ボン旅行(2006年8月28日〜9月2日)

リューベック第1日目

 30歳の誕生日。20歳になったとき以上に、節目という思いが強い。女遊びは20歳代でやめようとか、自分で勝手に決めた約束事があるからかもしれない。

 私は10歳代の頃、自分が30歳で死ぬという思いこみがあった。根拠はないのだが、友人に聞いても、友人も同じ思いこみを持っていたことがあるようだから、思春期に独特の感覚なのかもしれない。実際に30歳になってみて、忘れていたその感覚が、非常な実感を持って甦ってきた。

 目覚めはそれほど良いわけではなく、気怠い中シャワーを浴びて、朝食を摂った。バイキングとなっているレストランにスパークリングワインを見つけ、朝から煽った。チェックアウトを済ませると、本ですっかり重くなったスーツケースをガタガタと引きずって、地下鉄に乗り、中央駅までたどり着いた。

 中央駅にある薬局で、診察道具が欲しいと伝えると、医療用品店を教えてくれた。中央駅から裏通りになるKirchenalleeを北上して、右に曲がってLange Reiheに入る。数百メートル歩いたLange Reihe83に、教わった「Sanitathaus」という店があった。

 店に入ると、外科系の器具が所狭しと展示してあった。「神経内科医ですけど、ハンマーください」「ここにある全部のタイプを見せてください」と話すと、7種類くらいのハンマーを見せてくれた。次に聴診器を出して貰うと、子供向けにかわいい絵が描いてあるものもあった。「とりあえず全部ください」と言ってみたところ、「943ユーロですけど900ユーロにしておきますね」と言われたので、普通にカードを出したのだが、「この店はカードが使えないんです」と予想していなかった反応が。私は不用心に現金を持ち歩くことはしないので、手持ちには250ユーロくらいしかなかった。「店の近くに銀行がありますよ」と教えてくれたが、東京三菱銀行がある訳でもないし、金を得る手段は強盗くらいしか思いつかない。しかたないので、ハンマーを2つだけ購入して店を後にした。今度来るときには現金をたくさん持ってこようっと。

 中央駅に戻って本屋に行くと、日本の漫画のドイツ語版があったので地元の友達の土産に購入。朝日新聞と「Gehirn & Geist」という医学雑誌も売っていたので、購入した。朝日新聞は3.8ユーロもしたが、久しぶりに日本の記事が読めて良かった。

 リューベックまでのチケットを購入すると、売店でBitburgerというビールを買って電車に乗り込んだ。ハンブルクからリューベックまでは1時間弱である。あちこちで馬が放牧されていた。ヨーロッパでは良く馬の放牧を見かけるが、乗馬用の馬だろうか。

 リューベックの駅は改装工事中で、重いスーツケース抱えて階段を上る羽目になってしまった。リューベック駅からまっすぐ街の方に歩いていくと、道路の両側に銅像があり、右手は「ビスマルク」と書かれた男の銅像で、左手は馬にまたがった騎士像であった。そこから橋を渡って左に曲がるとすぐにホテル「Movenpick(メーヴェンピック)」だった。好都合なことにホテルの斜め前がコンサートホールである。

 綺麗な受付嬢と話してチェックインを済ませると、ようやく重い荷物から解放されて、街の散策に出かけることとした。ホルステン門の横を通って、街の中心部に向かう。といっても、トラヴェ川とトラヴェ運河の中州に出来た街は、直径1kmもない。坂を左斜め上に上がっていくと、マリエン教会があった。

 マリエン教会には、8512本のパイプを持つパイプオルガンがあり、この教会でオルガニストのブクステフーデが活躍していたそうである。バッハがこの教会に通っていたという記録も残っている。パイプオルガンが2つあったが、特に入り口付近には非常に大きなパイプオルガンがあった。パイプオルガンは天井付近に設置されており、高所恐怖症であったなら恐くて演奏に集中できないと思われる。その近くには、空襲で天井から落ちて床にめり込み、割れた鐘が、当時のままの姿で残されていた。懺悔室近くで、勝手に心の中で懺悔した。「汝姦淫しました。」「ボスの回診中いつも抜け出して、医局でコーヒーを飲んでいました。」「看護婦さんの退職時の寄せ書きに、ボスの名前でコメントを書きました。」「後輩の女医に強要して、いくつか合コンを開いて貰いました」・・・。しばらくして「許す」という声が聞こえた気がした。

 そこからブライテ通りを下って民族博物館にたどり着いた。民族博物館の1階は恐竜の時代を扱っており、どうやって遺跡を発掘しているか模型で示していた。また、鉱石などの展示もされていた。2階は様々な動物の剥製を展示していた。いろいろな角度から見たのだが、傷口が見られず、どうやって剥製を作ったのかに興味が湧いた。3階は昆虫・その他だったのだが、一部非常に趣味の悪い展示があった。それは「ゴキブリの展示!」である。台所が再現してあり、所々ガラスでのぞけるようになっている。そこにゴキブリが水槽に入っているのだ。周囲にはゴキブリの餌がある。また、少し離れたスペースには、蝿を展示していた。近くには蠅叩きが何種類か展示してあった。見ていて気分が悪くなるのでもう少し進むと、亀と大きな水槽があった。亀と睨めっこをしていたら、亀が勝手に池の縁に落下し、裏返しになって動けなくなった。「亀に触らないでください」と書いてあったため、助けることも出来ずにいたが、防犯カメラでもあったのか、館員が助けに行ったようだ。

 そこからトラヴェ川に沿って帰ると、誕生日を祝福するかのように虹が出ていた。川辺では本を読んでいる人や、カップルや、家族連れや、釣りをしている人などがいた。こういった生活も悪くないかもしれない。

 ホテルに戻ると、夕食を摂ることにした。ワインを注文して、「デキャンタで」と伝えたところ、「Canti」という銘柄のワインを持ってきたのには苦笑いした。

 コンサートが始まるまでに一悶着あった。というのは、私が「Reihe 15, Platz 20」の席に座っていたら、女性が「ここは私の席よ。」と言ってきて、私がチケットを見せると、「私はこの席を3ヶ月前から予約していたのよ。みんな知り合いと続き番号だし」とまくしたてた。でも、私のチケットの番号も同じ番号。妙な偶然もあるなと思って係員を呼ぶと、彼女は右側の15番。私は左側の15番だった。ややこしい座席配置である。

 コンサートは、Royal Concertgenow Orchestra、Maris Jansons指揮で、1曲目は交響曲第23番(モーツァルト)。普段あまり聞くことのない曲である。2曲目はヴァイオリン協奏曲第5番(モーツァルト)をVesko Eschkenazyが演奏した。両方ともとても音が柔らかくて心地よかった。ソリストは第1、2楽章で各1回ずつ大きく音を外したが、それ以外は完璧な演奏だった。この演奏も対向配置で、最近ヨーロッパの流行なのだろうか?休憩を挟んで、後半はリヒャルトストラウスの「Ruite aus der Oper "Der Rosenkavalier" op.59」だったのだが、この作曲家の曲は何故か聴くと気分がいつも悪くなる。この日もご多分に漏れず、冷汗が出てきて、めまいがしてきた。コンサートマスターがソロを弾くところのみ、うっとりと聴き入ったが、後は拷問のようであった。アンコールでモーツァルトのフィガロの結婚序曲を演奏してくれて復活したが、試練の30歳を象徴するような演奏会だった。

 明日はいよいよボン。この旅行の目的地でもある。


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