科学と人間を語る

By , 2008年2月17日 10:18 AM

「科学と人間を語る (福井謙一、江崎玲於奈、共同通信社)」を読み終えました。

江崎玲於奈氏は 1948年ノーベル物理学賞、福井謙一氏は 1956年にノーベル化学賞を受賞しておられます。

前書きで江崎先生が述べている「科学者の条件」は、読んでいて新鮮でした。「独断と偏見に満ちた個性が必要なのである」と言い切ってしまう辺りは、彼の確たる思想を感じます。

 さて、本書に収められている福井先生との対談は、私にとってもそこから学ぶことが多かった。そして特に次のようなことを感じたのである。もともと、自然科学とは、観測や実験結果を論理的に解析し、出来るだけ普遍的原理を見出し、自然の理解を深めようとする学問である。そこでは主観や感覚的要素はすべて排除されるので、門外漢や初心者にとっては冷たい学問と思われがちである。しかし実際に研究を進め、新知識を創造するのは、血の通った人間の業であるということを忘れてはいけない。いうまでもなく福井教授は篤実温厚の紳士であるが、話して楽しく、大変人間らしい素質も身につけておられる。私が大事と考える科学者の条件はこの人間らしい素質である。よい仕事をするためには、鋭い直感力や洞察力、想像力や創造力、そして何よりも独断と偏見に満ちた個性が必要なのである。優れた科学者は強い意志を持つが、やはり理性と感情が交差し、いつも矛盾と撞着に悩まされる。しかし、そこにこそ、私は研究推進の原動力を見出すのである。

Ⅰ章は「日本人と創造性」と題され、江崎氏と福井氏の対談となっています。ノーベル賞受賞に関する話から、日米の科学研究に対するスタンスの違い、今後の日本が取るべき方向性が議論されています。それは基礎学問に力を置くべきだということです。そのための研究のあり方について、福井氏が面白いことを述べています。

総合的に言えばやはり私はサイエンスは ”平均” で進歩するものじゃないと思うんですね。経済成長だとか、GDPを増やすというようなものは、これは”平均”で勝負できるわけですね。ところがまさにサイエンスはフラクチュエーションで進歩します。わずかな突出部で、どこかふっと突出しますと、そのレベルまですうっと上がるわけですね。例えば相対性理論が出たら、あらゆるいろんな疑問がそこまで解決しましてね。あるいは別のところでと、そういうことですからね。

そういうサイエンスの進歩のネーチャーに対しては、日本の制度は都合よくなっていない。若い人を早く突出させる機構が一つもないですね。

今も昔も、優秀な人材が海外に研究しにいく理由が分かる気がします。

第Ⅱ章は福井氏による「科学と人間」という講演の収録で、彼自身の科学論と、科学と人間がどのように交わっていくべきか、熱く語られていました。

第Ⅲ章は、「ノーベル賞と私」です。福井氏がノーベル賞を取った前後のことが書かれています。スウェーデン国王との会食など、興味深く読みました。章の終わりには、若い人たちへのメッセージがありました。

福井氏曰く、「不必要なものを勉強して、視野を広くして、非常に鋭い先見性を養うようにしていただきたいと、一番いいたいのはそれです」と。

第Ⅳ章は、江崎玲於奈氏による「エキサダイオードが生まれるまで」です。恥ずかしながら、私は江崎玲於奈氏が何故ノーベル賞を取ったのか知らなかったのですが、この章を読んで、初めて内容を知りました。

話は、トンネル効果への関心から始まります。トンネル効果に関する解説を引用します。

 導体あるいは半導体の中にエネルギー障壁があるとしよう。古典力学によれば、導体中を自由に運動できる電子も、運動エネルギーが障壁の高さより低ければ、障壁領域に絶対に入ることが許されない。もちろん、温度を上げ、電子の運動エネルギーを上昇させて (すなわち熱電子にして) 障壁を乗りこえさせるというのとは、話はまた別である。

ところが量子力学によると、電子は波動関数というものによって表示され、障壁領域に置いても、その存在が否定されないのである。そうなると、エネルギー障壁が薄い場合には、電子がそれを透過する確率がゼロではない。いわゆる「トンネル効果」を予想することができるのである。これはまた、ド・ブロイの提唱した「物質の二元性」、すなわち電子には粒子性と波動性の両方の性質が共存するという説によっても、説明することができる。電子を野球のボールのような粒子として考えれば、壁にあたればかならずはね返るだけであるが、波動、たとえば音として考えれば、壁の向こう側にもひびく、すなわち透過するという理屈である。

このように、電子の二元性から、半導体にアプローチする道が議論されていました。彼は、その分野で研究を始めます。半導体の障壁領域における研究です。

現在では半導体デバイスは、すべてシリコンであるが、その当時はまだ大部分がゲルマニウムでつくられていた。半導体デバイスのためには、高純度で欠陥の少ない単結晶を必要とするのであるが、そこに添加される微量の不純物もまた重要である。その種類によって、半導体を N型と P型に分けるのである。前者は負の電荷を持つ電子が、後者は正の電荷を持つ正孔が、結晶中を自由に動きまわれるので、ちがったタイプであるが、いずれも電気伝導性を持つ。

さて、半導体結晶の一端が P型、他の端が N型であったとすると、その境界面、PN接合の部分には、電子および正孔のエネルギー障壁がつくられ、その障壁を乗りこえるだけの電圧を順方向に加えて、はじめて電流が流れる。逆方向では「逆耐電圧」に達しなければ電流は流れない。このような整流作用をもつ二端子デバイスを、通常 PNダイオードと呼ぶのである。

さらに、PNPあるいは NPNと、結晶中が三つの領域に分かれ、二つの PN接合をもつ三端子デバイスがトランジスタである。

学生時代、友人がシリコンの研究をしていました。彼が、「今、大学院でシリコンの研究している」と言った時、私は「おっぱいの材料?」としか感じなかったのですが、実は、このような高度な研究であったのだと、今更ながら知りました。

障壁を極度に薄くすれば、すなわち不純物濃度を丁度良いくらいまで添加すれば、トンネル電流が観測できるのではないかと考えられるようになりました。ところが、電流を強くかけて実験すると、電子と正孔の対が多数発生する「なだれ現象」によって、電流が発生してしまうためトンネル電流が観測できないこともわかってきました。江崎氏らは、不純物濃度一立方センチあたり10の18乗 (0.01%) 含むゲルマニウムを用いた PN接合ダイオードを作ったところ、逆耐圧が 1ボルトを切り、逆方向の方が順方向より電流が流れやすいバックワード・ダイオード (逆特性ダイオード) を開発しました。逆耐圧が 1ボルト以下なので、「なだれ現象」が発生しないそうです。

その後、江崎氏は試料の温度特性を調べていました。その結果、アセトンを混合した零下約 80度の槽でバックワード電流を測定している時、順方向の 0.1ボルト以下のところにダイオードが負性抵抗を示すことを見出しました。逆方向電流が順方向電流より多く、トンネル電流を観測していることが決定的になりました。不純物濃度を増やすことにより、室温でも負性抵抗をもつダイオード、「トンネルダイオード (エサキダイオード)」を開発しました。

トンネルダイオードにまつわるエピソードとして、葛飾北斎の絵があります。

私がダイオードの特性を測るのに忙しかったころ、デスクの横の壁に有名な葛飾北斎の富獄三六景の一つ「神奈川沖の浪裏」がかかっていた。私はある日、突然、この絵をながめて気がついた。次頁の図のように電流と電圧の座標軸を書き込めば、二百年昔に描かれたこの雄大な構想の浪は、トンネルダイオードの特性にいちじるしく類似しているのである。

通常のダイオードでは、電圧を上げると、かならず電流は上昇する。ところがトンネルダイオードの順方向の低電圧のところでは、電圧を上げると逆に電流が低下する現象がみられ、これを一般に負性抵抗とよぶのである。そして、北斎の絵の浪裏のところは、ちょうど負性抵抗に相当し、波頭がちらついて発振しているようにみえ、遠くにながめる富士山は過剰電流による隆起とみなすことができた。さらに、オシロスコープ上のトンネルダイオードの特性曲線のように、右に行くにつれ、電圧とともに電流の波も上昇するのである。

その後、ゲルマニウムではなく、シリコンでもトンネルダイオードを作ることに成功しました。これらの業績により、江崎氏はノーベル賞を受賞したわけですが、彼のノーベル賞受賞講演の最後の部分を引用します。

 このせまくなってきたわれわれの住む地球上には、なお多くの高い障壁が現存することを指摘したい。それは国家間、人種間、そしてまた信条教義を異にする人たちのあいだにある。不幸にして、ある障壁は厚く強固である。われわれの熱意で、これらの障壁を自由に透過することができる新しいトンネル効果を見出せば、それこそ世界永遠の平和のいしずえとなり、アルフレッド・ノーベルの遺言にそう道であろう。

第Ⅴ章は「福井博士とフロンティア理論」という解説です。福井氏自身ではなく、細矢治夫氏が描かれていますが、非常にわかりやすくかかれています。

まず、原子や分子中の電子の軌道 (orbital) の解説から話は始まります。これからの話を理解するために必要な部分を引用します。

 原子や分子の電子中に、そとからほんの僅かなエネルギーを加えても、電子の運動を変えることはできない。しかし、外から加えるエネルギーの大きさを少しずつ増していくと、それがある値になったときに突然そのエネルギーが吸収されて、電子はエネルギーの高い別の空いたオービタルにとび移る。そのとき吸収されたエネルギーから二つのオービタルの間のエネルギー差を知ることができる。逆に、エネルギーの高いオービタルにいた電子が下の方の空いたオービタルにとび移るときは、エネルギーが放出される。光 (電磁波) もエネルギーの一形態であるから、電子のオービタルからオービタルへの上がり下がりに応じて光が吸収されたり放出されたりする。これがスペクトルとして観測されるわけである。このように空間的にもエネルギー的にも、オービタルにはとびとびの値しか許されていない。

原子軌道も分子軌道も電子の入れる容れものであるから、電子が入っていなくても、軌道は存在すると考えてよい。そういう空の軌道を空軌道 (unoccupied orbital) と呼ぶ。化学反応を考えるときには空軌道は重要な役割を果たす。ところでどの軌道も最高二個までしか電子を入れることはできない。これをパウリ (Pauli) の原理という。たびたびいうように、軌道エネルギーはとびとびの値をとっているので、エネルギーの低い軌道から順に並べることができる。そして低い方から順に二個ずつ電子をつめていく。この状態が一番低いエネルギーをもった基底状態である。一つでも途中に電子の入っていない隙間があれば、その状態は基底状態より高いエネルギーをもつので励起状態とよばれる。励起という言葉は、英語で興奮している (excited) という意味である。励起状態は無数あるが、それぞれの軌道のエネルギーがとびとびの値をとるように、一つ一つの励起状態のエネルギーも基底状態を基準にしてとびとびの値をとっている。

これは、大学時代に基礎化学の授業で習った内容ですが、ちょっとしたエピソードがあるので脱線します。

4学年上の女性の先輩が1年生の時の試験です。「励起状態」と解答する問題がありました。この先輩、基礎化学の授業に出たことがあまりなく、他人のノートで勉強していました。そのため、何と読むのか聞いたことがなかったのです。「励起 (れいき)」という漢字が難しかったので、答案用紙には平仮名で解答しました。回答欄に書かれたのは、「ぼっきじょうたい」。化学の先生は、採点していてビックリしたそうです。下品な話ですみません。

さて、電子の波の性質を表しているのが、シュレディンガー方程式です。非常にややこしい形の方程式ですが、ややこしい部分を記号で置き換えると、

Hψ=Eψ

と書き換えることができます。Hをハミルトニアンと呼びます。Eは電子エネルギー、ψは波動関数です。厳密なところは私もよく分からないのですが、本書に「粒子模型にハミルトニアンHのおまじないをかけると、粒子は波の性質をもって出て来る」とありますので、ハミルトニアンは粒子という概念から波という概念への翻訳するための「おまじない」と考えておくと、次に進めると思います。ψの二乗は存在確率ないし、電子の密度と理解されます。密度と捉えると、原子の周りに電子の雲が広がっているというイメージを持つことが出来ます。

フロンティア理論を知るためには、もう少し予備知識が必要です。電子の軌道はエネルギーの低い軌道から順に詰められますが、電子のつめこまれた軌道 (被占軌道; occupied orbital) のうち最もエネルギーが高い軌道を最高被占軌道 (highest occupied molecular orbital; HOMO) と呼び、それより大きなエネルギーを要する空軌道 (unoccupied orbital) の中で、最もエネルギーの低い空軌道を最低空軌道 (lowest unoccupied molecular orbital; LUMO) と呼びます。HOMOの電子をπ電子と呼びます。

こうして生まれたフロンティア理論の骨子は、「求電子試薬が真っ先に攻撃するのは、電子の詰まっているエネルギーの一番高い軌道 (HOMO) の中で電子密度の一番高い場所であり、求核試薬が最も近づきやすい場所は最もエネルギーの低い空軌道 (LUMO) の中で、ふくらみの一番大きいところである」ということになります。

福井博士のフロンティア理論が生まれる以前、芳香族化合物の化学反応についての研究が盛んでした。特に、芳香族化合物の置換反応が研究されていたのですが、ナフタレンのように、全体とすると電荷を持たない物質で、どの部位に反応が起こるかの予想は困難でした。フロンティア理論により、様々な化合物の反応部位を比較的簡単に予想することが可能となりました。そこから更に話が拡がっていくのですが、私も理解できていませんし、ややこしくなるので、このくらいにしたいと思います。

フロンティア理論は、その後生まれた Woodward-Hoffmann測と相互に補い合い、福井博士、Hoffmannはノーベル賞を受賞するに至りました。

私が大学生時代、一般教養の授業で HOMOだとか LUMOの言葉だけは聞いたことがあったので、懐かしく読みましたが、理解の程度は当時と変わりませんでした。わかりやすく説明してもらっても、全く難しい分野ですし、この分野の研究者を尊敬します。

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