ラフマニノフと慢性疼痛

By , 2009年2月15日 3:58 PM

今回紹介する論文は、慢性疼痛を持ったピアニスト二人についてです。その偉大なピアニストとは、「Clara Wieck Schumann (1819-1896)」と「Sergei Vassilievich Rachmaninov (1873-1943)」です。Clara Schumann は Robert Schumann の妻としても知られています。Sergei Rachmaninov は、有名なロシアの作曲家でありピアニストです。彼のピアノ協奏曲を扱った「Shine」という映画を覚えている人も多いと思います。

論文「Hingtgen CM. The painful perils of pianists: The chronic pain of Clara Schumann and Sergei Rachmaninov. Semin Neurol 19: 29-34, 1999」には、この二人の慢性疼痛について詳細に記載されています。

Clara Schumann と Sergei Rachmaninov は二人とも、顔面の慢性疼痛に悩まされていました。Rachumaninov の顔面痛は三叉神経痛に矛盾しない所見であり、Clara Schumann の慢性疼痛は、いくらかはっきりしないものの、時々起こる頭痛や顔面痛でした。この論文では慢性疼痛が如何に二人の人生に影響を与えたかが議論されます。論文を書いた Hingtgen 博士はインディアナ大学の方のようですが、インディアナ大学と聞いて、昔アゴスティーニ氏の公開レッスンを受けたことを思い出しました。

 Rachumaninov’s face

ラフマニノフは、1873年 4月 1日、ロシアの裕福な家庭に生まれました。しかし、父親が浪費家で、ラフマニノフが 9歳の時に家族を捨てました。直後にラフマニノフの妹(or 姉)が死亡しました。ラフマニノフの母は、夫がした多額の借金のため、サンクトペテルブルグに引っ越しました。音楽とピアノにとても興味があったラフマニノフは、サンクトペテルブルグ音楽院に入学しました。しかし不幸なことに、彼の才能は行動障害(behavioral problem)に打ち勝つことは出来ませんでした。彼は勉強せず、全ての試験に失敗しました。ラフマニノフの母は、ラフマニノフに才能があり、練習不足であることをわかっていたので、ひどく落ち込みました。

ラフマニノフは 12歳の時に、モスクワ音楽院に移りました。そこで、強力な父性を持つ教師、Nikolai Zvereff に出会いました。Zvereff は、弟子の生活を全ての面-服装、食事、友人の選択-でコントロールしました。ラフマニノフは、一生懸命勉学に勤しみ始め、演奏や作曲の面で成果が現れました。

しかし、ラフマニノフはまだ、感情面での問題を抱えていました。彼は第 1交響曲の初演が失敗した後、とても落ち込み、3年間作曲できませんでした。彼はうつ病の治療のため、催眠療法を受けました。病気が治った後、彼は作曲や演奏で賞賛を浴び続けました。1917年のロシア革命後、彼はヨーロッパやアメリカを巡り、妻、娘とアメリカに移住しました。多くの家族や友人を残してきたので、ラフマニノフにとってこの移住は困難なものでした。さらに、ロシアに残った母親への送金ですらトラブルがありました。

移住前、右の側頭部に疼痛発作が始まりました。疼痛は鋭く、重度で周期的でした。年々頻度が増え、重くなりました。ラフマニノフの友人の一人は、彼が発作中どのようであったのか書き残しました。「ラフマニノフは側頭部の神経痛にひるんでおり、時々マッサージしていました」。ラフマニノフは、この疼痛を作曲時の姿勢と関連づけており、アメリカに渡る前には、実質的に作曲を全くやめてしまいました。それにも関わらず、疼痛は続きました。ラフマニノフはいくつもの医師を辿りました。それぞれから、鑑別診断、治療法を聞きましたが、疼痛を和らげる唯一の方法は、演奏することだけでした。ラフマニノフは、ステージにいるときは、疼痛から解放されていたのです。

友人や同業者への手紙で、彼はしばしば顔面の疼痛に言及し、これらの手紙から彼の病気がどのようなものだったかがわかります。「銚子はまあまあ。痛みだけが私を苦しめる。疲れるほど痛みがひどく、頻繁になる」。後に、ある内科医が演奏会を減らすように提案したとき、ラフマニノフは「時々 24時間も痛くなるが、コンサート前になると、魔法のように良くなるんだ」と答えました。彼は既に、ほとんど完全に作曲を諦めていました。演奏会中が唯一痛みから解放されるのに、彼は何故演奏までやめなければいけないのか理解できませんでした。

ラフマニノフにとって、演奏中に痛みがとれるだけでは不十分でした。彼はもっと痛みから解放されたいと思っていました。彼はいくつもの国を多くの医師を訪れ、多くの治療に挑戦しました。1921年、アメリカにいる間、顔面痛に対するいくつかの外科処置を受けました。しかし、手術では痛みはとれませんでした。どうやらラフマニノフが受けた手術は、神経根開放切除術  (open rhizotomy) ではないかと考えられています。ラフマニノフはまた、ドレスデンで電気ショック治療を受けましたが、やはり上手くいきませんでした。最後に、1929年にパリにいるとき、歯科医と催眠術師に会いました。「パリで最近長々としつこく歯科医の Kastritzky とフランス人の催眠術師の治療を受けました。両方とも素晴らしい。私は助かり、神経痛もかなり和らぎました。もし、どちらの医師が私を治したのかと聞かれたら、ためらいなく答えます。前者です」。Kastritzky医師の治療はラフマニノフの疼痛を治しました。この治療がどのようなものだったかは明らかになってはいません。なにか別の外科手術だったのか、エタノール注入だったのか、何らかの歯列矯正術だった可能性があります。

ラフマニノフの症状は、鋭く、刺すような強い痛みで、片側性で周期性という三叉神経痛の古典的特徴のいくつかを備えていました。段々悪化していったのは、三叉神経痛としてつじつまが合います。ある姿勢がきっかけとなることがあり、ラフマニノフは作曲の姿勢が増悪因子だと感じたのかもしれません。演奏中に痛みがなかったのは、注意が別の方向に向いていたからかもしれません。もしくは、演奏によってアドレナリンや内因性オピオイドが分泌されて、症状がマスクされたり発作を予防したのかもしれません。手術で良くならなかったのは、手術法が確立したものではなかったり、外科医の技術によるものであったり、あるいはラフマニノフが三叉神経痛ではなかったことを反映しているのかもしれません。

他の可能性としては、ラフマニノフが顎関節症 (temporomandibular joint disorder) に罹患しているものです。この痛みは通常拍動性ですが、鋭い場合もあります。通常片側性です。ストレスで悪化し、ストレスからの開放で軽減します。加えて、うつ病や不安神経症などの精神疾患と関係があります。事実、フランスの歯科医 Kastritzky がラフマニノフの疼痛を治したという事実は、彼の疼痛が顎関節症や歯や関節の病気であったことを示唆するかもしれません。

可能性は低いものの、別の可能性としては、片頭痛、群発頭痛が挙げられます。ラフマニノフには、片頭痛にあるような、頭痛に伴った吐気や嘔吐はなかったようです。彼の疼痛は、群発頭痛で通常見られるように、眼を巻き込んだり、涙や鼻閉を伴うこともありませんでした。

ラフマニノフが受けた治療が正確にわかってないので、最終診断にたどり着くのは難しいかもしれません。彼はおよそ 20年も顔面痛に悩まされました。彼は演奏出来ましたが、実質的にこれらの間作曲をやめていました。1887年から 1910年の間、ラフマニノフは 2つの交響曲、3つのピアノ協奏曲を含む、約 80曲を作曲しました。おそらく顔面痛が始まった 1910年以降、彼はたった 30曲しか作曲していません。これらの 30曲のうち、半分以上は他人の楽曲の編曲です。ラフマニノフの交響曲第 3番は、彼の神経痛が治ってから 5年以上した 1835-1836年に作曲されました。作曲数が減ったことが神経痛の結果なのかは、彼を除くと誰にもわかりません。彼が作曲より純粋に演奏を楽しんでいた可能性はありそうです。ラフマニノフは、急速に進行する悪性黒色腫 (malignant melanoma) で死亡した 1943年の早春まで、演奏旅行を続けました。

本論文で与えられた情報からだけだと、私も三叉神経痛の印象を受けます。それほど珍しい病気ではなく、私も 1日に 2~3人くらい初診で診たこともあります。現在だったら、カルバマゼピンなど良く効く薬がありますので、治療は可能だと思います。また、難治性の場合、私の専門とは外れますが、γナイフなどで外科的に治療することもあります。

三叉神経痛の原因は不明(特発性)のことも多いですが、血管による神経の圧迫だったり、ヘルペス感染の後遺症だったり、脳腫瘍だったりします。当時は CTも MRIもない時代でしたので、原因は判らなかったと思いますが、後に改善しているので、脳腫瘍などではなさそうです。また、発作性に疼痛があり、ヘルペス感染でもなさそうです。

彼が受けた手術がどのようなものだったかはわかりませんが、三叉神経痛の原因がわからず手術をしたのだとすれば、根本的な解決になっていた可能性があります。手術で治らなかったのは、診断を否定する根拠にはなりませんね。顎関節症は経験がないのでよくわかりませんが、鑑別診断には挙げられると思います。頭痛の性状から、片頭痛や群発頭痛などの機能性頭痛は否定的だと思います。

この論文では、クララ・シューマンの慢性疼痛も扱っているのですが、長くなりそうですので項を改めることとします。

ラフマニノフについて追記するとすれば、彼は Marfan症候群だったという説があります。オシエー著の「音楽と病」によれば、ラフマニノフの身長は 180cmで、両手ともピアノで楽々で 12度音程まで広げられたそうです。彼は、上記論文に示されている通り、最終的に全身への転移を伴う悪性黒色腫となり、ビバリーヒルズで亡くなりました。

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