オランダには何故MRSAがいないのか

By , 2009年6月7日 5:21 PM

「オランダには何故 MRSAがいないのか?-差異と同一性を巡る旅- (岩田健太郎・古谷直子著、中外医学社)」を読み終えました。

MRSA (メチシリン耐性黄色ブドウ球菌) とは、文字通りメチシリンに耐性を持ったブドウ球菌を指しますが、メチシリンだけではなく多くの抗生剤に耐性を示すので、治療にかなり難渋する細菌です。MRSA の院内感染の報道を目にした方も多いと思います。黄色ブドウ球菌に占める MRSAの割合は、日本やアメリカでは 60%を超えますが、オランダでは 1%以下とされています。その原因を探ったのが本書です。と同時に、比較文化論としても優れた本だと思います。冒頭に、ある文化を述べるときにどういうことに留意したらいいかが、細やかに考察されています。

オランダに MRSAが少ない理由は、まず第一には抗生剤の使用頻度が少ないからだと思います。それを代表するジョークが本書で紹介されています。

 「抗生剤のジョークしってる?」
テアさんが笑っていう。どうやらとっておきのジョークらしい。
「いや?」
「オランダでは、患者さんが熱を出しても、ドクターに「抗生剤をださないでくれ」って頼むのよ。学校教育で抗生剤はみだりに飲まないで、って教育を受けるせいね」
「なるほど」
「ベルギーに行くと、患者さんは「抗生剤はどうでしょう」っていうわ」
「ふんふん」
「フランスに行くと、「抗生剤を出してくれ」って言うのよ」
「なるほど、アメリカに行くと、『テレビでやってた○○マイシンを出してくれ』って銘柄を指定してきますよ」
と私も切り返す。ちがいない、とテアさんも笑う。日本だったら、抗生剤はくださいっていうが、次の病院ではその名前は覚えていないってところだろうか。

次に、徹底的な隔離政策が上げられます。職員や患者は MRSAリスクカテゴリーで分類され、キャリアであれば隔離が行われます。隔離解除には、7日間の間隔を空けた 3回の培養で MRSAが陰性である必要があります。日本でこれをやると、かなりの人間が隔離されてしまうので、現実的ではないかもしれません。

また、オランダにはきちんとしたトレーニングを受けた ICP (Infection Control Practitioner) が 250ベッドに 1人以上います (オランダは170人/ベッドを目標にしているようです)。日本ではいるかいないかというレベルです。数値だけではなく、しかるべき地位を与えられ、感染症コントロールのため活躍しています。

しかし、これらは表面的なことで、何か問題を解決することに対する土壌の違いが大きいのかもしれません。著者は、あとがきでも触れている通り、「既存のモノ」に原因を見出します。「既存のモノ」は本書を読むうちに色々見えてきますが、行政であったり、癒着の構造であったり、旧泰然としたシステムです。

本書ではまず、オランダ厚生省の仕事にびっくりしました。日本の病院機能評価機構を私は単なる天下り団体としてしか評価していませんが、オランダの監査は全然違うようです。本書より該当する部分を引用します。査察官との対話です。

  「それでは、あなたが病院を訪れるときは、さぞ皆が緊張して出迎えるのでしょう。」
「いいえ、そんなことは全然ありません。私は病院を叱責したりああしろこうしろと要求するために監査しているのではないのです。私たちは、警察官ではありません。私たちは縦の関係ではなく、パートナーです。病院の ICPと厚生省の ICPたる私が共同して、どうやって病院をよりよい存在にしていくのか、一緒に相談するのです。」
「!!!」
ここで、僕は日本という国に気持ちを戻さざるをえない。日本でも厚労省や保健所、医療評価機構による「監査」はある。しかし、厚生官僚などは2年に1回担当が変わってしまう、「素人」であり、マニュアルを棒読みし、そして文面に書いてあることが病院でなされているかをチェックする、という構造から逃れていない。実際に本当に病院がよくなっているか、というクリティカルな点に対してはさしたる関心もないし、そもそもそれを裁量する能力にも乏しい。「感染管理のレクチャーを年何回やっていますか」「参加者は何人ですか」箱物行政の日本の官僚は箱物的な数値目標にしか関心がなく、それがもたらすアウトカムには全く無頓着である。だから、僕らも彼らの監査は「重荷」であり、「苦痛」であり、決して自分たちのクオリティーを高めてくれる福音だなんて思わない。

査察一つとっても、日本とオランダで随分と違うようですが、オランダは海外のガイドラインを鵜呑みにせず、自分たちで目標を立て、それを実行するためのガイドラインを作っています。特記すべきは、ガイドラインが目標とならないように運用されていることです。ガイドラインを作成する WIP という機関について本書で触れられています。

ガイドラインを作るのは WIP というテアさんが所属する組織だ。例えば、 WIP が作ったガイドラインでは「全ての病院に臨床微生物学者をおく」ことを明記している。qualitiy Actという法律の名において、109ある病院はこのガイドラインを遵守「しなくてはならない」。目標数値ではないのである。そして、マリイカさんの仕事は各仕事がそれを遵守しているのか、査察を行うことである。

まあ、ここまでなら「そうか」という感じであろう。しかし、問題はここからである。驚くべきはそこから先の考え方である。

当然、病院によってはガイドラインを遵守していない所も生じる。そのときマリイカさんが行う行為は日本のような「指導」でもなければ、アメリカのような「体罰」でもない。マリイカさんは、病院上層部や ICP と「対話」を行うのである。

もしかしたら、WIP の推奨事項は A という病院の予算体系では非現実的かもしれない。具体的には、臨床微生物学者を雇う給料の予算を持っていないかもしれない。その場合、マリイカさんは「ガイドライン通りに A 病院が出来ていないのは予算が足りていないからだ」と判断し、厚生省に持って帰る。そして、ガイドラインの遵守のために追加の補助金を要求するのである。マリイカさんは「ガイドラインが遵守しているか、していないか」という二者選択的な発想を持たない。どうすれば遵守できるのか、を現場と一緒に考えるのが彼女の仕事だ。

場合によっては、ガイドラインが病院の内実と合わないこともある。そのときは、WIP のガイドラインをモディファイして、より現場にあったローカルルールを作ることもある。ガイドラインはあくまでアウトカムをだすためにあるのであって、ガイドラインを遵守すること「そのもの」が目的なのではないのだから、日本の場合、普遍的に見られる目的と手段のはき違えが、ここでは起きていない。

日本の行政と全然違いますね。ある問題を解決するために、同じ方向を向いて努力していくことを阻んでいるのが、著者があとがきで述べる「既存のモノ」ということなのでしょう。もちろん、それは行政だけではないのですが・・・。

こうしたことで散々煩わしい思いをしたためか、本書では随所に行政への不満が吐露されています。例えば、国のデータベースのために医師が詳細な書類を書かされて、不備があると送り返されてくる。そんなのはデータベース作成部門の仕事なのであって、不備があれば保健所が補完すればよい。こうした書類を減らすだけで医師の負担も減るし、医療の質が落ちることもないと著者は考えています。私も同感です。また、著者は文部科学省不要論を唱えていて、「なくても困りませんって。あんな役所。なくなって困るのは、内部の人たちだけです。」とまで述べます。レベルの低い支配構造(「既存のモノ」の最たるものでしょう)が日本をダメにしていると考えているようですが、前記のオランダの話を見ると、納得出来る面があります。

最後になりますが、本書のコラムに「(本当に)薬害をなくす方法」があります。これは必読です。是非買って読んで頂きたいです。薬害の構造と、なくす方法が見えてきます。本書は比較文化論の本としての意味合いが強く、医療従事者以外の方が読んでも楽しめることを保証します。

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