抑留された神経内科部長

By , 2009年7月31日 7:36 AM

知り合いの神経内科の先生から面白い話を聞きました。

第二次世界大戦中、満州開発のため、多くの日本人が満州に渡りました。望んで渡ったのかというと、各村に割り当てがあって、その数の若者を出さないといけなかったという話があります。

同様に、中国での病院で働くことが、日本人医師に課せられました。

戦争が終わって、多くの日本人が中国やロシアに抑留されました。中でも悲惨だったのはシベリア抑留された方だったといいます。

こうした事情の中、ある日本人医師がシベリアに抑留されることになりました。しかし、その日本人医師は、シベリアに抑留されている間に、ロシア語をマスターしてしまったんですね。そして、帰国後、某有名病院の神経内科部長となったそうです。

ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテルが来日した際、ある症状を訴えました。「ロシア語を話せる医師はいないか」と大騒ぎになった結果、その医師に白羽の矢が立ちました。

その医師がそつなく診療をこなすと、リヒテルは医師に全幅の信頼を寄せるようになりました。そして来日の毎に、その医師を受診し、健康チェックを受けるようになったのです。

その医師は音楽に詳しくなかったのですが、リヒテルは音楽についての相談もしたことがあります。「演奏していて、楽譜を忘れていないか不安でしょうがなくなることがある」と。

その医師は、「だったら楽譜を置いて弾けばいいじゃないですか?」と答えました。

リヒテルは、はたと膝を打ち、「何で今までこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう・・・」と言い、以後楽譜を置いて弾くようになったそうです。

天下のリヒテルが、こんな相談をしていたなんて、興味深いですね。


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