輸血の歴史

By , 2010年8月14日 8:18 AM

「輸血の歴史 -人類と血液のかかわり- (河瀬正晴著、北欧社)」を読み終えました。本書は年表形式で書かれており、5章に分かれています。重要と思うところを纏めてみました。

1. 輸血学の先史時代 人類発生~1614年
輸血学で重要な最も古い記載は、旧石器時代にオーリニシアン人がスペインのエルピンダル洞窟に書いたマンモスの壁画に心臓と思われる絵があることに始まります。紀元前5000年の古代メソポタミアでは「動脈血は明るく昼間の血」「静脈血は暗い夜の血」とされており、暗い血を取り除くために瀉血が行われていたそうです。

紀元前2100年のハムラビ法典には「割礼時の異常出血により男児2人が続いて死亡したときはこれを禁止する」とあり、これは血友病を意味しているそうです。こんなに古くから血友病の存在が知られていたことに驚きます。

紀元前550年に Alkmaionが動脈 (無血脈管) と静脈 (輸血脈管) を区別し、紀元前 500年に Empedoklesが血液が体内を循環することを提唱しました。

紀元前43年頃に Augustus帝時代の詩人 Ovidの「変身譚」に魔女 Medeaが老人の血液を入れ替えて若返らせる場面があり、輸血術が「Cura Medeana療法」と呼ばれるもととなったそうです。

以後、瀉血はさかんに行われていたようですが、輸血に関する重要な記載はかなり時代を下らなければみられませんでした。

1492年に死の床にあった法王 Innocent VIIIが回生のために3人の血液を飲むも無効で死亡 (輸血したとの説あり)。1576年 Cardanoが若者の血液を老人に輸血して若返らせることを提唱しました。1604年に M. Pegaliusが若返りの方法として銀管を使った輸血法を発表。1614年に動脈と静脈を銀管でつなぐ輸血法を記載しました。輸血の目的の多くが、若返りにあることが興味深いです。

2. 輸血学の模索の時代 1616~1899年
1616年にHarveyが血液循環を発見して以降、輸血の研究が急速に進みました。1628年 Colleが健康な若者の血管より管を使っての輸血法を記載し、1634年 Folliが輸血を実際に行ったと主張しました (実証する記録なし)。1656年に Wrenが羽茎と銀管と動物の膀胱を使った注入器を考案し、犬に静脈注射を行いました。

輸血の機運が高まり、1657年 Clarkが動物を脱血させてから輸血を行う最初の動物実験に成功しました。1664年に Major, Elsholtzが人の静脈に薬液注入を行いました。輸血を行うための周辺の技術が高まってきました。

1665年 Lowerが犬から犬に輸血を行い成功。1667年には J. Denisが子羊の血液を発熱性疾患の15歳の少年に初めて輸血し成功しました。羊の血液なんて大丈夫かと思うのですが、同年 R. Lower, E. Kingも羊の血液を人に輸血して成功しています。しかし、失敗も相次いだためか、1668年を最後に約 150年間輸血は中止されました。

1818年 J. Blundellが術中自己血輸血を実施。1824年に Blundellは分娩時にショックを起こした 5人の産婦に輸血 (人から人への輸血) を行いましたが、全員死亡しました。1828年に Blundellは「異種動物間の輸血は不可能」と発表し、産婦に人の輸血を行い成功しました。

その後、何故か乳汁を静脈内投与するというとんでもない治療法が流行ります。1873年に J. Howeが結核の末期患者にヤギの乳を輸注し失敗。1874年に Hasseがヤギの血液を輸血に使用することを提唱し、輸血を行いましたが、致命的な副作用を認めました。翌 1875年に Landoisが異種血液輸血による溶血反応を試験管内と生体内で証明し、輸血 347例をまとめ、動物血液の輸血の危険性を報告しました。以後、動物血液の輸血は行われなくなりました。しかし、Howeを中心に乳汁の投与はまだ行われ、1880年 J. Howeが肺疾患患者に人乳を輸注しましたが死亡しました。

一方で、自己血輸血は流行り、1883年に Halstedが CO中毒の患者に自己血輸血を行い、1885年に Millerが大腿切断術に自己血輸血を行い、1886年に Duncanが下肢切断術に自己血輸液を行いました。輸血に伴って、抗凝固薬の研究も進められました。

3. 真の科学的輸血時代のあけぼの 1900~1935年
輸血学の転機は、1900年に Landsteinerが人の血液型 (ABO) 型を発見したことでした。1902年には Decastelloが AB抗原 (AB型) を発見しました。

このころ免疫の分野でも大きな発見が相次ぎました。具体的には、1902年には Ch. Richetと P. Portierがアナフィラキシーを発見し、1903年に O. Porgesと K. Spiroがγグロブリンを発見し、1906年に von. Porquetがアレルギーの概念を発表しました。

これらの免疫分野での発見に対応してか、1907年に Hectoenが血液型不適合による溶血反応を示唆し、血液型検査と交叉血の必要を提唱しました。1908年に R. OttenbergはABO式血液型を初めて示唆し、O型は他の 3型に輸血可能なことを提唱。以後、O型のヒトを万能提供者とするようになりました。1911年に Ottenbergは輸血前の交叉凝集テストにより輸血副作用が減少したと発表し、以後交叉凝集テストが一般に行われるきっかけとなりました。

1911年に初めて輸血によるマラリアの感染が報告されました。この時代における輸血の感染は、1917年にBernheimが梅毒を報告しています。

血液型の発見や交叉凝集テストにより輸血の安全性が向上してくると、血液を如何に保存するかに注目が集まりました。それまではヒルから抽出したヒルジン (1892年 Landois) などが用いられていましたが、1914年に毒性が報告され、同年に A. Hustinがクエン酸ソーダとブドウ糖による血液抗凝固剤を開発しヒトの輸血に成功してからは、これが活躍することとなりました。

1914年にはもう一つ大きな発見があり、J. J. Aberらが犬の血液を体外に出し、細胞成分だけを体内に返血する血漿交換を報告しました。

1916年に P. Rousと J. R. Turnerがクエン酸塩とブドウ糖溶液により採血された血液が 21日間保存可能であることを報告しました。同様の報告を 1918年に Robertsonが行い、戦場で大規模に使用し、成功しました。当時は第一次世界大戦 (1914-1918年) のまっただ中だったのですね。1919年に日本から塩田廣重、後藤七郎らが第一次世界大戦の西部戦線で輸血を見学してきました。同年、塩田は子宮筋腫の貧血、後藤は膿胸手術の患者にクエン酸ナトリウム加血液を輸血し、成功しています。わが国の輸血における金字塔です。塩田は 1930年に、暴漢に狙撃された浜口雄幸首相に輸血し救命しました。このことからわが国で輸血が注目されるようになりました。

血液保存が可能となったころから血液バンクが盛んになり、1921年にロンドン輸血センターが設立、1926年に名古屋に給血者協会、1932年にレニングラードに血液銀行ができました。

4. 輸血学の発展と輸血検査法の確立の時代 1936~1977年
1936年に J. Elliottが血液成分輸血を提唱し、1937年には A. Castellanosが循環負荷を軽減するために赤血球濃厚液の輸血の使用を提唱しました。全血輸血から成分輸血が主流となっていきました。

それまでは ABO型のみをスクリーニングしていたようですが、1939年に P. Levineと R. E. Stetsonが Rh式不適合による輸血副作用を報告し、1940年に Landsteinerと Wienerがヒトの赤血球にアカゲザル (Rhesus) と共通の血液型抗原を発見し、Rh因子と命名しました。1941年に Levineらは Rh式不適合により新生児溶血性疾患が起こることも報告しました。

輸血における感染制御も問題になっていました。これに対し、1941年に Turnerらは採血した血液を 4℃, 72時間保存することにより梅毒トレポネーマが不活化することを報告しました。一方で、4~6℃保存の血液ではマラリア原虫は不活化されないようでした (1936年 Hutton)。1943年に Bessonが全血輸血による輸血後肝炎を報告しました。

血液の保存法は改良が加えられ、1943年に Loutit, Lollisonが開発したACD液を 1944年に米国海軍が使用し、有効な効果を得ました (保存液としてもう一つ重要な CPD保存液は 1957年に J. G. Gibsonらが開発しました)。

1945年に R. R. A. Coombsがクームス試験を発表し、輸血の安全性が向上しました。

日本における輸血の大きな出来事しては、1948年に東大分院産婦人科で輸血梅毒事件が発生し、問題となりました。また、1954年に内藤良一が廃棄された血液の血漿からグロブリン製剤を初めて製造しました。1960年には加熱人血血漿蛋白、人血清アルブミンが医薬品として承認されました。しかし、日本で血液分画製剤の製造・供給が始まったのは 1973年でした。

自己血輸血は廃れていたのですが、1960年頃には整形・形成外科領域などの限られた症例において、安全性の観点から再び見直されるようになりました。

1965年に B. S. Blumbergが Au抗原 (HBV) を発見し、1968年に A. M. Prince, 大河内一雄が Au抗原が B型肝炎に関係することを解明しました。1972年になって全国の日赤血液センターで Au抗原検査が開始されました。

5. 輸血学の反省の時代 1978年~現在
1975年に川崎市で血液型誤判定が原因で主婦が死亡するなどの事故はあったものの、輸血によるアレルギー反応の問題が克服されてくると、感染制御が最も大きな問題になりました。

1978年に米国で AIDSの患者が発見されました。1982年に CDC (米国防疫センター) は血液凝固因子製剤による AIDSの感染を指摘しました。1985年に米国で全献血者の AIDS抗体検査を実施。同年わが国では最初の AIDS患者が認定されました。

もう一つ問題になっていたのが 成人T細胞白血病ウイルス ATLVです。1981年に日沼頼夫が発見したこのウイルスが輸血で感染することを 1984年に大河内一雄が指摘しました。これらの問題から 1986年から全国の赤十字血液センターで HIV抗体と ATLA抗体の検査が開始されました。さらに同年、納光弘が HTLV-1 associated myelopathy (HAM) を提唱し、輸血により感染することを明らかにしました。

1987年、残念なことに日本で献血による血液から AIDS感染の初例が報告されました。

1988年米国の Chiron社が非 A非 B肝炎ウイルス遺伝子のクローニングに成功し、 HVCと命名しました。1989年全国赤十字血液センターで HCV抗体検査を世界に先駆けて実施開始されました。

1990年に書かれたこの本を読んで、現代医療にとって欠かせない輸血学が、如何に多くの犠牲の上に成り立っているのかを改めて感じました。医療が進歩した現代においても輸血関連の事故はゼロではありませんし、より安全な輸血医療を目指していかないといけませんね。


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