古代アンデスの謎

By , 2012年6月26日 8:27 AM

「古代アンデスの謎 二〇〇〇年前の脳外科手術 (片山容一著、廣済堂出版)」を読み終えました。丁度 20年前、1992年に書かれた本です。

著者は日大の脳神経外科教授ですが、 UCLAの名誉教授も務めています。そして定位脳手術の世界的権威です。医学生時代にボリビア・アンデス一帯を登山し、博物館で穴を開けられた数々の頭蓋骨を見たのが著者とアンデスの頭蓋骨の出会いでした。以後、著者はこの穴の謎の探求を続けることになります。

どうやらこの穴は、生きている時に開けられたらしいのです。この穴が脳外科手術によって開けられたことに初めて言及したのは、かの有名なブローカでした。というのも、穴の周囲の骨が増殖し、穴が滑らかになっているのが確認されているからです。これは穴を開けてから、その人物が長く生きたことを意味します。

ブローカ以後、有名な脳外科医がこの問題に取り組みます。世界で最初に脊髄腫瘍の手術をしたホースレイはてんかんの治療だと考え、ルカ・シャンピオニエールは減圧開頭術ではないかと推測しました。その後も、バランス、シェリントン、ウォーカーなど、錚々たる学者、脳外科医がこの問題に言及しました。

著者は現代の脳外科医の眼から見て、当時の手術がどのように行われていたかを推測します。そして、最終的に、この穴が急性硬膜外血腫の手術痕だったのではないかという結論に達しました。しかし、当時は CTのなかった時代です。診断技術に乏しく、危険な手術に踏み切るかどうかアンデスの医師たちは悩んだことでしょう。この悩みを著者は現代の医師たちに重ねあわせています。

迷いの内容は違うが、手術をしたほうがいいのかどうかわからないのは、古代アンデスの外科医とまったく同じである。そして決断の核心には、まったく医学的治療や科学的な因果関係などといったことばで語られるような確信はないのである。これも古代アンデスの外科医とまったく同じである。

こういうとき、なにか無条件に従わなければならない原則が決まっていたとしたら、医師の仕事は大変やりやすいものになる。原則に従うということで、自分は正しいことをしているのだと思い込むことができるからである。

古代アンデスの頭蓋骨の謎から、時代を超えて現代まで通じる考察ができるのが、著者の見識の高さではないかと思います。そして、あとがきでは現代の医療問題について触れられていました。このあとがきが、医療崩壊が叫ばれるより前に書かれていたことに驚きました。

こういう意味では、彼らの置かれた立場は想像を絶するほど難しいものであったに違いない。そんな彼らが少しでも気を楽にする方法は、彼らも持っていたと思われる体系と原則に沿い、頭蓋穿孔について社会が自然に形作ってきた合意と要請に従って、仕事を進めることであっただろう。

医療技術というものは、よほどはっきりした根拠がない限り、それぞれの医師の確信のみにもとづいて行われるわけではない。一部の例外を除いて、全体的には社会的な合意と要請に従うように行われる傾向がある。

医療の問題を語るとき、誰かが作り出した常套句がよく使われる。薬漬け、検査漬け、などはすぐ頭に浮かぶものである。こういった常套句はわかりやすいだけに、容易に使われることが多く、しかもそれですべてがわかったつもりになってしまう。だから問題の本質を考える上では、かえって妨げになっていることが多いようである。

医療費の高騰は、現代の社会の持つ大きな問題のひとつである。その原因探しは行政の大切な役目になっている。この問題を語るときに必ず出てくる、薬漬け、検査漬け、といった常套句の与える印象どおり、医師たちが自分の利益のために不必要な検査や投薬を行なっているのなら、医師を責めれば問題は解決するだろう。しかしそれだけでは到底解決できないことは、もうだんだんと誰の目にもはっきりしてきている。

医師に対する不信というのも常套句のひとつである。しかしこれはなにも今に始まったものではない。医師に対する不信という問題は、古今東西の著作をあたってみればいくらでもみつけることができる。多少の知識のある人なら誰でも知っていることだろう。そこには、もっと本質的な問題がもともとあるのである。医師に信頼回復を叫ぶだけでは、問題は絶対に解決しないようにわたしには思える。そろそろ医療技術というものの本質的な性質を、社会との関係から考えてみることのできる時期にきているのではないだろうか。

この解説まで読むと、単に頭蓋骨の穴の謎を解くだけではなく、古代アンデス、現代に共通する、医療問題の普遍性を見ぬくことが、本書のもう一つの目的であることに気付かされます。

最後に、現代の実際の手術風景の描写から、著者を指導した教授の含蓄ある言葉を記しておきます。著者たちは、こういうことを思いながら手術を進めているのですね。

傷んでいる脳ほどほんの少しでも大切にしなければいけないのだ。このひとには、この傷んでいる脳しかないのだから。

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