野垂れ死に

By , 2007年3月21日 7:00 PM

「野垂れ死に (藤沢秀行著、新潮新書)」を読み終えました。囲碁界の巨匠ですが、とてもスケールの大きな人物であったそうです。愛すべき方です。私は仕事で著者にお目にかかる機会があり、「君はなかなか見込みがあるなぁ」と名刺を頂きました。何の見込みだったのかは聞けずじまいでしたが。

以下、面白かった部分をいくつか紹介します。一番最初に紹介するのは、本書の冒頭部です。彼の死生観が表れています。

 こんなに生きるはずではなかった。
野垂れ死にするつもりだったのだ。
碁を打って打って打ちまくり、好きな酒を気が済むまで飲んで、ふらっと出かけた競輪場あたりである日コトッと死んでいる。
そんな最期を、もって早くに迎えてしかるべきだった。
それが、くたばり損なった。何度もチャンスはあったのだが、そのたびに間違って生き延びてしまい、何の因果か、今年二〇〇五年六月で八十歳になる。

続いて、彼の複雑な生い立ちについて。凄く特殊な環境で育ってきたことがよくわかります。

私は誕生日が三回変わった。母親に確かめた正しい誕生日は六月十九日なのに、どういうわけだか、引っ越すたびに、新しく交付された保険証には違う誕生日が書いてある。

(中略)

私の兄弟の数も、正確に言えば、戸籍は間違っている。私は四人兄弟の長男ということになっているが、わかっているだけで一九人兄弟なのだ。本当はもっと多いかもしれない。
ただし、それは私の親父の都合でそうなったのであって、戸籍を作ったお役人に罪はない。母親の違う子を十九人も作って、子供の戸籍を分けたのは親父の仕業である。

彼の扱い方は周りもよくわかっていたようですが、下記に示す結婚式でのエピソードは「えーっ、ここまで徹底しているの?」と思いました。

考えてみると、三男も四男も、その結婚式にすら私は出ていない。三男のときなどは、「どうせ来ないから」と呼ばれもしなかったのだ。
怠け者の私は、冠婚葬祭が大の苦手である。決まりきった形式に沿って、心にもないことを言ったりやったりするセレモニーが、面倒で仕方がない。

彼の伝説については、他にも色々とあり、本書にたくさん載っています。

(参考)

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