L-dopa

By , 2014年12月30日 10:34 AM

パーキンソン病の第一選択薬の L-dopaが臨床的に用いられるようになって約 50年ということで、Movement disorders誌で特集が組まれていました (2014年12月30日現在、early viewで読むことができます)。L-dopa開発において、歴史的に重要な 4名の研究者についての文献を紹介したあと、興味を持った論文にリンクを貼っておきます。

Four Pioneers of L-dopa Treatment: Arvid Carlsson, Oleh Hornykiewicz, George Cotzias, and Melvin Yahr

L-dopa治療の 4人のパイオニアについて。四人とも medical doctorであり、最初の 3人は薬理学のトレーニングを受け、研究も薬理学におけるものであった。4人目は臨床神経内科医である。

1. Arvid Carlsson
インドシャボクの根は、市場で寄生虫、下痢、精神病の治療薬として売られていた。Siddquiらは 1939年に降圧作用を報告し、それは Vakilにより確認された。1950年代初旬には、Ciba研究所がインドシャボクの根からレセルピン、ヨヒンビン、アジュマリンなど多くのアルカノイドを分離し、レセルピンを降圧薬 Serpasilとして販売した。レセルピンは統合失調症や躁うつ病のような精神疾患にも臨床研究が行なわれ、用いられるようになった。それらが一般的に用いられるようになってから時を経ず、自殺やパーキンソン病様症候群の報告が相次いだ。
Carlssonはレセルピンの鎮静作用に興味を持ち研究を始めた。彼はドパミンが脳内に十分な量存在し、それがレセルピンで著明に減少すること、ドーパが正常レベルまで回復させることを確認した。1957年にレボドパがレセルピンによる寡動を改善することを動物実験で示したのは、彼の最も重要な実験である。彼はドパミンが神経伝達物質であることを主張した。彼の元で学んでいた学生 Bertlerと Rosengrenはウサギの線条体に多量のドパミンが存在することを示した。Carlssonは 2002年にノーベル賞を受賞した。

2. Oleh Hornykiewicz
Hornykiewiczは医学部卒業後、薬理学の研究に向かった。彼は Carlssonらの研究に刺激を受け、パーキンソン病患者のドパミンレベルを研究した。彼は遺体の脳を得て、パーキンソン病患者の線条体ではドパミンが著明に減少していることを 1960年に報告した。彼はパーキンソン病患者の重症度と、線条体のドパミン消失の程度が相関することを報告した。1960年11月に Hornykiewicsは内科医の Walther Birkmayerに連絡を取り、Hoffmann La Rocheから提供された L-dopaを投与する研究を1961年7月から開始することにした。Birkmayerは L-dopa 50~150 mgを生理食塩水に溶解し、パーキンソン病及び脳炎後パーキンソニズムのボランティア 20名に投与した。結果は印象的であり、Birkmayerと Hornykiewiczは、後に次のように書き残している。
「L-dopaの単回静脈内投与で無動は完全に消失するか、大幅に改善した。起き上がることのできなかった寝たきりの患者、座った時に立てなかった患者、立った時に歩けなかった患者が、L-dopaを投与すると楽に出来るようになった。彼らは正常な動きで歩きまわり、走ったりジャンプしたりさえ出来た。小声でよく聞き取れない発語は、正常者のように力強く明瞭になった。短時間の間、彼らは運動をすることができたが、これは他のどのような薬剤でも出来なかったことである。」
L-dopaは初回量から効果があり、寡動に対する効果は 3~24時間継続したと報告された。振戦や筋強剛に対する効果は明らかではなかった。MAO阻害薬 isocarboxazidの前投与で、抗無動効果は延長した。これらは最終的に、遺体の脳における線条体のドパミン欠乏の報告の 11ヶ月後に報告された。
その後、Rudolf Degkwitzもレセルピンによるパーキンソニズムに対する L-dopaの効果を報告し、ほぼ同じ時期に Barbeau, Sourkes, Murphyが L-dopa 100~200 mg経口投与 2時間後の筋強剛が改善すること、D-dopaでは改善しないことを報告した。
2000年に Arvid Carlsson, Paul Greengard, Erick Kandelにノーベル賞が贈られた後、250名以上の著名な科学者が Hornykiewiczが外れていることについてノーベル賞委員会に公開質問状を送った。

3. Geroge C. Cotzias
1966年に George Cotziasはパーキンソニズムのある患者に、最初は D, L-dopaを、最終的に L-dopaを漸増して経口投与した。この実験は、D, L-dopaの 2時間毎の内服を少量で開始し、数週間かけて認容可能な上限まで漸増することで、患者の運動症状や障害の改善に著明な効果がある、という素晴らしい結果に終わった。結果は 1967年の New England Journal of Medicineに掲載された。Nutritional Biochemicals Corporationは、 D-dopaは毒性がラセミ体混合物 (D-dopaとL-dopa)の 50%だが、治療効果がないことを発見した。D-dopaに効果がないのであれば L-dopaのみとすることで投与量を半分にすることができ、その分副作用を軽減させることができる。Cotziasらは、パーキンソン病における L-dopaの長期治療効果を発表した。これらの発見により、1970年に FDAは L-dopaをパーキンソン病の治療薬として承認した。Guggenheimがこのアミノ酸を空豆から分離した約 60年後のことであった。
ちなみに、この研究は試行錯誤の末に生まれたもので、パーキンソン病患者の黒質緻密部ではメラニンを欠くので、それを補充しようとして beta melanophre-stimulating hormoneを投与して、患者の皮膚が黒くなった失敗もあった。
1963年に Bartholiniらが Ro 4-4602が少量で末梢でのドーパ脱炭酸酵素を選択的に阻害し、それをドパミン前駆体 L-dopaと共に投与することでドーパの脳への移行を高めることを見出していた。Corziasらは、alpha-methyldopa hydrazine (carbidopa) を 1968年に使い始めた。Alpha-methyldopa hydrazineを併用することで、症状をコントロールするための L-dopaは少量でよく、効果発現も早く、心血管や胃腸への副作用も少なかった。しかし、L-dopa誘発性低血圧、不随意運動、精神症状には効果がなかった。1972年の Corzias の New England Journal of Medicine論文 “Levodopa in Parkinsonism: potentiation of central effects with peripheral inhibitor” により、L-dopaを末梢ドーパ脱炭酸酵素阻害薬と併用することが一般的になり、現在でもそうされている。彼は L-dopaの効果を高めるため、末梢組織で O-methyltransferase を阻害することも提唱し、現在使用されている Catechol-O-Methyl transferase阻害薬が開発されることとなった。
Cotziasらはまた、L-dopa誘発ジストニアの最初の報告をしている。彼らは L-dopaをやめるとジスキネジアが消失し、再導入するとまた出現することを見出した。
Cotziasらは、apomorphineの研究も行い、その数年後の apomorphine皮下注射製剤開発につながった。この製剤を通じて、Cotziasは最初の経口 apomorphine、ついで N-propylnoraporphineの研究を行うようになった。
Cotziasは James Ginosと共に、合成ドパミンと同じようにドパミン受容体に作用するドパミン類似物を研究した。これらの研究は、別の研究者による piribedilや bromocriptine、その他のドパミンアゴニストの開発につながった。

4. Melvin D. Yahr
Yahrはモンテフィオーレ病院の Houston Merrittのもとで神経学を学んだ。そしてMerrittがコロンビア大学の神経内科部門の責任者になったとき、Yahrはそれに加わった。Yahrがコロンビア大学で fellowshipプログラムを始めたときの臨床 fellowが Margaret Hoehnで、Hoehnはコロンビア大学で治療を受けているパーキンソン病患者数百人の臨床データの評価を命じられた。Hoehnと Yahrは L-dopa前時代におけるパーキンソン病患者の自然経過と死亡率を記載した。その論文で彼らが紹介した、パーキンソン病のステージ分類である Hoehn-Yahr scaleは、今日でも広く使用されている。
Yahrは Ehringerと Hornykiewiczによるパーキンソン病患者での線条体ドパミンレベルの低下について、また Birkmayerと Hornykiewiczによる L-dopa投与でのパーキンソン病患者の劇的な改善についての報告を知っていた。しかし、効果が無いという報告も複数あるなど、L-dopaの効果については意見が分かれていた。Cotziasらが 1967年に報告した研究は、印象的な抗パーキンソン病効果を示したが、D, L-dopaを 4-18 g/day内服するなど高用量であり、吐気や血液学的異常やアテトーシスなどの副作用のある治療レジメンであった。この結果にも関わらず、Yahrは自分の目で確認するまでは懐疑的であり続け、その後 L-dopaに対する治療の潜在的な重要性を確信するようになった。Cotziasらの研究はオープンラベル試験であり、Yahrはその限界に良く気付いていて、プラセボ効果や効果判定へのバイアスがあるのではないかと思った。この問題を解決するために、Yahrは二重盲検法プラセボ対象前向き臨床試験を行うことにした (※パーキンソン病における最初のプラセボ対照試験)。この試験では、60名のパーキンソン病患者 (56名の特発性パーキンソン病患者と 4名の症候性パーキンソニズム) が4~12週間入院し、プラセボないしはプラセボ+L-dopaを投与量毎に毎日 5~10錠内服した。その後、プラセボ錠は、至適効果が得られるまで 24~48時間毎に 0.5 gの L-dopaに置き換えられた。患者は、L-dopaは総量 8 g/日、もしくは認容できない副作用が生じるまでの量を内服した。治療効果のあった 9名のサブグループでは、L-dopaが急に中止されてプラセボに置き換えられた。入院中、患者は各種評価を受けた。また、退院後、4~12ヶ月間外来でフォローされた。
この研究では、49名 (81%) が二重盲検期間中に著明な治療効果を経験し、4名を除く全員 (91%) が 4ヶ月の治療で少なくとも 20%の改善を認めた (平均 59%の改善)。改善は、パーキンソン病の全ての運動症状に及んだ。治療効果は治療約 2~3週間後に投与量が 5 g/日となったところで始まり、投与量、治療期間と共に増した。L-dopaからプラセボに置き換えられて約 2日間で治療効果は消失した。吐気、嘔吐、不整脈、低血圧が主な急性期の副作用であったが、これらは通常自然に消失した。対照的に、慢性的な治療は 37名に不随意運動を引き起こした。著者らは、L-dopaはパーキンソン病に対して効果的であり、それまで行なわれていた他のどんな内服治療や手術療法にも優ると結論づけた (Yahr MD, Duvoisin RC, Schear MJ, Barrett RE, Hoehn MM. Treatment of parkinsonism with levodopa. Arch Neurol 1969;21:343-354)。
こうして、L-dopaの時代が到来した。臨床医は、Cotziasの 1967年と 1969年の報告、Yahrの 1969年の報告を元に、パーキンソン病の治療に L-dopaを使い始めた。数年以内に、ほとんどの患者が L-dopa治療を受けるようになり、現在世界で数百万人のパーキンソン病患者がこの治療の恩恵を受けている。

L-dopa開発の歴史は、朧気ながらどこかで読んだことがありましたが、このように詳しく読むのは初めてだったので、勉強になりました。Yahrの業績は、Hoehn-Yahr scaleくらいしか知りませんでしたが、この時代にきちんとしたデザインの臨床試験を組んで薬剤の評価をしていたのは素晴らしいことだと思います。

(以下、その他に興味を持った論文)

Mortality in Parkinson’s disease: A 38-Year Follow-up Study
38年間のフォローアップで、パーキンソン病の標準化死亡比は 2.02であった。死因は肺炎、脳血管障害、心血管病が多く、SMRsはそれぞれ 3.55, 1.84, 1.58であった。

Behavioral Effects of Levodopa
近年、L-dopa誘発性行動障害が問題になっている。そのスペクトラムに含まれる、非運動症状の日内変動の神経心理学的側面、反復常同行動、ドパミン調節障害、精神症状と幻覚、軽躁/躁、衝動制御障害についての総説。

Clinical Spectrum of Levodopa-Induced Complication
L-dopaの副作用についての総説。レボドパ誘発性合併症の危険因子、臨床像 (motor fluctuations (wearing-off, sudden offs, dose failure, on-off fluctuations), Levodopa-induced dyskinesia (high-dose dyskinesia, chorea, dystonia, myoclonus, ocular dyskinesia, respiratory dyskinesia), low-dose dyskinesia (off-period dystonia, diphasic dyskinesia), non-motor fluctuations (autonomic symptoms, sensory symptoms))。

Levodopa: Effect on Cell Death and Natural History of Parkinson’s Disease
L-dopaに神経毒性があり、神経変性や臨床症状を促進するのではないかという議論が昔からなされている。確かに in vitroでは L-dopaは神経細胞の変性を引き起こすが、パーキンソン病患者の脳で同じことを起こすかどうかはわかっていない。In vivoにおいては、L-dopaがパーキンソン病動物モデルのドパミン作動性神経へ毒性を持つという結果は観察されていない。しかしながら、これらの動物モデルはパーキンソン病を忠実に再現したものではない。臨床試験では、毒性を示唆するいかなる所見も得られていないが、薬剤の効果が進行している神経変性をマスクしている可能性がある。さらに画像検査において、L-dopaではプラセボやドパミンアゴニストと比較して、ドパミン作動性の機能が大きく低下することが知られており、毒性があるという考えに合致する (ELLDOPA trial) (ただし、受容体のダウンレギュレーションを見ている可能性は否定出来ない)。病理学的には、L-dopaがドパミン作動性神経細胞の脱落を促進するという事実は知られていないが、バイアスを排除したきちんとした試験デザインにより得られた所見ではない。このように、L-dopaに毒性がないという確固たる根拠はないのが現状である。従って、臨床医は (その有用性のため) L-dopaを継続することが推奨されるものの、臨床的に満足にコントロールできる最小の量を用いられるべきである。

The medical treatment of Parkinson disease from James Parkinson to George Cotzias
Parkinson病の治療法開発の歴史。

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