神経内科病棟

By , 2008年1月4日 4:00 PM

「神経内科病棟(小長谷正明著、ゆみる出版)」を読み終えました。

小長谷先生の本は、これまでに「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」や「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで- 」を紹介したことがあります。文章が上手ですし、内容がしっかりしていて読みやすいです。

目次

初めての患者
神経内科病棟
赤くなり、熱くなり
天災と発作は忘れたころに
危機また危機
神経難病
立ちて歩め
筋ジス、空を飛ぶ
カルチャーショック
ヤコプ病がやってきた
『あたしって美人でしょう』
東に難病の人あれば

内容は、神経内科病棟での出来事を書いた読み物で、医学的知識がなくても読めるようになっています。作為的な「神の手」的読み物と違って、よっぽど血の通った文章です。私も治療経験ある病気があったりして、時に頷きながら読みました。

看護学校で英語を教えるシーンで、看護師のルーツについて興味深い部分があったので引用します。私は医学史に興味を持って色々な本を読んでいるのですが、これは知りませんでした。それに纏め方が上手いですね。

 三ヶ月ほどして、試験をすることになった。大学入試や専門医試験のみならず、少なからず落第経験のある身としてはこれも気が進まない。夏の当直の晩、やっと試験問題を作り終えてやれやれと思っているところに、医局のドアがノックされた。学生が一人、満面の笑みを湛えて、キンキラ声で入ってきた。どこかの病棟に配属されているナースで、ときどき病院の前の道を、フェイスマスクで大型バイクを走らせているのを見かける娘だ。

「もう試験問題できたんですか。ネェ先生、ヤマを教えてください。是非、ヤマを」

「エッ!!」

僕は一言絶句、彼女は多弁連句。よく口が回るので、ちょっとの練習できっと英会話もペラペラになるに違いない。

「是非、是非、ヤマを。クラス代表で来たんです。授業中、いつも先生はあたしを見ながら講義しているでしょう。それでみんなが、お前が聞いてこいと言うんです。それに、あたしって美人でしょう。だから、先生はきっとヤマを教えてくれるって。解答でなくてもいいから、是非、ヤマを。せめて範囲だけでも」

「わかった、教えてやる。教科書の一ページ目から最後のページまでだ。」

なにがプア・リトル・ナースなものか。しかも、肝心要の試験を彼女は欠席していた。数日後、廊下でばったり出くわし、きまり悪そうに顔をそむけていたが、けしからんと問い詰めてみた。

「わたし、モーターレース好きで、サーキットのある町のこの病院に来たんです。レースクィーンのコンテストにも出たんですが、いくらあたしでもダメだった。それで、レースのチームに入れてもらい、病院と学校の時間の合間にそっちもやっているんです。試験の日はイタリアでのレースで、四日で行って帰ってきて、勤務は休みませんでした。あたしって、本当に行動的でしょう、先生」

聞きながら、とんでもない奴だ。レースとナース、どっちが大事なんだと怒鳴りたくなった。

それでも、彼女はナースをとったようだ。秋の戴帽式には神妙な顔で出席していた。ナースキャップに白衣の看護学生たちは、たしかに、いつになく美人になっていた。次の講義で、すこし蘊蓄を述べてやった。

中世ヨーロッパでは修道院で病人の施療をしていたので、ナースはもともと修道尼であったし、ナースキャップは修道尼にベールの名残でもある。看護師はナース、修道尼はナン、同じ語源の言葉だ。

こんな話がある。七世紀に、パリのノートルダム寺院の脇にオテル・ディユー『神の家』が、ノートルダム付属の治療所として作られた。今から約六五〇年前、世界中にペストが大流行した。感染すると全身が黒ずみ、血痰を吐いて死ぬことから黒死病といわれ、ヨーロッパだけで二五〇〇万人もが亡くなった。パリのオテル・ディユーにも黒死病患者が次々と運ばれてきて、一日に五〇〇人も亡くなった。そのときの修道女たちの博愛精神が記録されている。

『敬虔な修道女たちは恐れを知らなかったので、愛情深く親切に患者を看護し、自らの恐怖心などを忘れていた』そして黒死病の流行がおさまったときには、一〇一人いた修道女のうち六二人が亡くなっていたという。同じような話は、所と時代を変えて幾つもあるんだ。

だから君たちの頭の上のナースキャップには、昔から病気の人々が癒しと救いの思いを寄せて眺めていたんだ。まあ、君たちも頭に白いきれを載せると、尼僧物語のオードリー・ヘップバーンとはいかないまでも、神々しく見えてくるよ。

モーターレースで試験をさぼった学生が言った。

「ふ~ん。ヘップバーンか。やっぱり、あたしって美人よね」

耳をひく言葉、眼をひく顔にはちがいない。そして、それの皮も厚そうだ。

医療関係者以外の方にも、お薦めしたい一冊です。


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