近代手術の開拓者

By , 2006年11月23日 9:23 PM

「近代手術の開拓者(J・トールワルド著、尾方一郎訳、深瀬泰旦解説、小学館)」を読み終えました。

以前紹介した「外科の夜明け」という本の続編です。扱う内容は、脳外科手術、甲状腺手術、胆嚢摘出、喉頭癌などです。詳細な解説があり、医学的知識が無くても読むことが出来ます。

第1話は、「脳外科の門出」。脳に局在があるという説は、ガルの骨相学より始まっていますが、今から150年くらい前は、フルーレンによる全体説が主流でした。その後、局在論を唱えたフェリアと、全体論を唱えたゴルツらが激しい論争を繰り広げました。これはその頃の話。今から120年くらい前のことです。脳の一部を除去した猿を用いた実験で、フェリアが勝利を収める様子が描かれています。失語を発症し、左前頭葉、第2・3前頭回に軟化した患部を認めたブローカの症例(局在を示唆する)を裏付けるものでした。この当時には、てんかんのジャクソン・マーチで有名なヒューリングス・ジャクソンが「運動中枢」を提唱しています。パジェット、パストゥール、ウィルヒョウ、コッヘルなどが活躍した時代のことです。

第2話は、甲状腺腫摘出の話。1880年代までは、甲状腺腫の患者の多くが、気道を圧迫した腫瘍により、呼吸困難で死亡していたそうです。エドムンド・ロゼが防腐法、鉗子などの利用によって手術を成功させ、タブーを打ち破りました。彼以前の時代の甲状腺手術は、出血の合併症での死亡例が多く、また反回神経麻痺により声を失うこともあったそうです。「ビルロートの生涯」という本の紹介でも登場した、手術器具に名前を残した外科医コッヘルは、その技術を高めました。しかし、術後、甲状腺機能低下症が多発し、可能な場合は全摘から部分切除に術式が改められました。テタニーという合併症から、上皮小体(副甲状腺)を温存することが常識になり、その役割が研究されました。副甲状腺ホルモンが同定されたのはその後です。

一つの術式の確立の裏に、多数の患者の犠牲があったことを忘れてはなりません。近年、医療は安全なもので、完全な治療をすれば命は助かり、何かトラブルがあったら医療者に過誤がある筈だという風潮があります。しかし、このように実験的な治療の積み重ねの上にデータが蓄積されてきたものの、未知の部分もまだ多いのが実情です。

第6章は、喉頭癌です。ドイツのフリードリヒ3世(当時、皇太子)は、喉頭の腫瘍を発症しました。ドイツの医師団は、白金線で焼き切ったにも係わらず再発したため、癌と診断しました。

しかし、セカンドオピニオンを求めようということで、皇太子妃はイギリスからマッケンジーという医師を呼び寄せたのです。マッケンジーは癌ではないと診断しました。患者心理としては、良い方の診断を信じたい、また皇太子妃はイギリス出身で、マッケンジーの診断が支持されました。以後、明らかに癌としての経過をとったため、ドイツ医師団は何度も癌であり、今手術(世界最初の喉頭全摘術はビルロートが成功させた)すれば助かる見込みがあると進言しましたが、いずれも退けられました。皇太子妃はドイツ医師団を遠ざけました。

マッケンジーも徐々に癌と感じるようになっていたのかもしれませんが、自分のプライド、王妃から得た信頼などのため診断を変えることはしませんでした。

結局、皇太子は癌で死亡しました。死ぬ少し前に、父のヴィルヘルム1世が死亡したため、短期間フリードリヒ3世として皇帝となりました。死後、宰相ビスマルクの許可を得て、ウィルヒョウとヴァルダイアーが解剖を行いました。診断は喉頭癌と確定しましたが、マッケンジーはあくまで非を認めず、ドイツ医師団を中傷する内容の本を出版し、英国王立医学界から追放されましたそうです。マッケンジーは、癌と確定した後も、「自分も癌だと思っていたが、喉頭手術は死の確率が高いので、皇帝を手術による死から守った」と言い訳をしていました。

甲状腺手術の話を読んだ感想です。今の医療では当たり前のこととなっていることの陰に、多くの犠牲者が過去に存在したことを忘れてはなりません。現在では当たり前の治療を見たとき、「昔の人もこの技術があれば、多くの助かった命が助かっただろう」とか、「このような治療しかない時代に、病気にかかったときの患者、家族や周りの人はどんなだっただろう」と感じるときがあります。何故その術式がいけないか、手術が失敗して死んだ人がいたから判明したことも多々あります。

未来の人から、現在の医療はどう映るでしょうか?

第6話からは、セカンドオピニオンの難しさを感じました。二つの相容れない診断があったとき、患者は良い方の結果を信じやすいが、正しいかどうかは別問題ということです。フリードリヒ3世は、どのような医師を動かせる立場であっても、マッケンジーの甘い言葉に嵌ってしまいました。今日の日本人は皆、115年前の皇帝より優れた医療を受けていますが、セカンドオピニオンの本質としては、変わらない部分があり、気を付けないといけないと思います。もちろん、セカンドオピニオンというのは、非常に有用な制度です。

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大学病院

By , 2006年11月23日 7:24 PM

私の科では、研修医は何名かいますが、直接患者を持たない指導医を除くと、医局員は病棟に2人しかいません。医師-患者関係がこじれた症例や、VIP、暴○団関係者などは研修医に持たせられないため、基本的に私ともう一人の医師でみることになります。学問的に困難な症例を持つことも多いのですが、何故か一般的な症例の筈が、入院後、症例報告ものであることが多くてびっくりしています。他の先生が主治医になるとそんなことはないのに、珍しい病気が集まる星の下に生まれているのでしょうか?

郡山時代の症例を論文にするのと並行して、大学での症例も学会発表、論文報告しないとなりません。珍しい症例は、情報がないので、次にその症例に遭遇する医師のためにも、論文にするのは医師の義務と思います。

私が研修したころと、大学病院もかなり変わっていて、自宅に病棟から電話がかかってくることがめっきり少なくなりました。研修医に経験をつませるためか、「脱水症の老人」とか、場末の病院のような入院も増えました。大学病院の機能について考えるところもあります。

研修制度が変わってから、大学からの給料が上がりました。月20万円くらい貰っています。当直は月3回(うち1回は土日)で、その手当はtotalで2万円(時給270円前後)です。一方で、大学病院では、退職金やボーナスを払わなくて済むように、定期的に出張に出して、短期労働者扱いにしているトリックがあります。

出来るだけ自宅に電話しないとか、給料のアップに関しては、おそらく、研修医を集められない病院は、淘汰されていくので、待遇の改善が始まったのではないかと感じています。昔は大学病院の月給は、3-5万円が相場でしたし、毎日のように、看護師から問い合わせの電話がありました。検体を手術室から検査室に運ぶためだけに、深夜に病院に呼び出された研修医もいたと聞いたことがあります。研修医の奪い合いと並行して、看護師の奪い合いも大変みたいです

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