デスマスク

By , 2007年11月10日 8:10 AM

ボンでベートーヴェンハウスを見学したとき、彼のデスマスクを長いこと眺めていたものでした。

ベルリンの森鴎外記念館では、鴎外のデスマスクがあり、その解説文に「デスマスクを残した科学者たち (原田馨)」という論文から引用された文章が使われていました。

帰国して、その論文が気になっていたのでネットで検索したところ、化学史研究という雑誌であることがわかりました。

早速論文 (原田馨. デスマスクを残した科学者たち. 化学史研究 24: 226-231, 1997) を取り寄せて読んでみました。

そもそもデスマスクの起源は、13世紀頃から王侯の死像が彼らの石棺の上につくられていたことに由来し、そのために写実的な死面を得るのに 16世紀に粘土を使ったデスマスクをつくるようになったようです。その後、美しい像に仕上げられた墓碑芸術という文化になった一方、故人を直接写した分身としてのデスマスクも生み出され、後者がベートーヴェンであったり、森鴎外だったりする訳です。

この論文で紹介されているのは、筆者が実際に写真に収めた 7名で、5例は本来のデスマスクなのに対し、1例は大理石像、1例は油絵です。

・ウィリアム・カレン
スコットランドの化学者であり医師でした。神経組織の重要性を認識し、neurosisという言葉は彼の造語であるそうです。また、化学史について書いた最初の人だとも言われています。

・ユストゥス・リービッヒ
ドイツの化学者で、「化学理論」、「応用化学」「化学技術」などの発展に貢献したそうですが、私は聞いたことのない化学者です。

・ロベルト・ブンゼン
ドイツの化学者で、ブンゼンバーナーやブンゼン電池、水流ポンプ、熱量計などを開発し、キルヒホッフとともにスペクトル分析法を創始したそうです。

・ルドルフ・ウィルヒョウ
医師にとってはおなじみの病理学者です。「すべての細胞は細胞から」という言葉はどこかで聞いたことがある人もいるでしょう。彼の業績です。ウィルヒョウの師はシュワン (シュワン細胞などで有名) で、その師がミュラーです。
私が訪れたベルリンのシャリテ (旧大学病院) でも、ウィルヒョウは神の如く祭られ、彫像があったり、通りに名前が付けられたりしていました。
彼について面白いエピソードがあるので紹介します。「彼は医学者であると共に、政治的には自由主義者であり、プロイセンのビスマルクの政治に激しく抵抗した。怒ったビスマルクは何度もフィルヒョウに決闘を申し込んだが、フィルヒョウは遂に武器を取らなかった。」

・エルンスト・ヘッケル
動物学者で、「個体発生は系統発生を繰り返す」との命題を繰り返したそうです。

・エルヴィン・シュレーディンガー
物理学者として非常に有名です。私も以前彼の「生命とは何か」を読み、感銘を受けたものです。シュレディンガー方程式の名前も、物理学を勉強したことがあれば聞いたことがあるでしょう。

・森林太郎
森鴎外です。日本人には説明はいらないかもしれません。私はベルリンでこのデスマスクに触れることが出来ました。

以上、論文を紹介してきましたが、原田馨先生には同じ雑誌に「絵を残した科学者たち」という論文もあり、取り寄せたのですがパストゥールが 15歳の時に両親をスケッチした絵などが収録されており、こちらも楽しめました。

化学史研究という雑誌には、「宇田川榕菴と生化学」という論文もあり、こちらも取り寄せて、これから読むところです。この雑誌に多数収録されている魅力ある文献についても、今後機会があれば読んでみたいと思います。

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