帰省中の話と乗馬

By , 2010年1月5日 6:35 PM

1月3日 (日)
当直明けに家に帰り、シャワーを浴びて羽田空港へ。疲れていて、電車の中で寝てしまい、一駅乗り過ごしました。次の駅で逆方向の電車に乗り換え、大門で降りてモノレールに乗りました。搭乗口に着いたのはフライトの 5分前。まさに冷や汗ものでした。

実家には、妹も帰省していて、家族全員で鍋をつついて飲みました。

1月4日 (月)
去年の11月23日以来の乗馬へ。乗馬センターから見える、冬の大山がとても綺麗でした。

最初の一鞍は、馬がまったくやる気なし。確か馬はラルフ君だったと思います。歩くように合図しても全然歩かず、トレーナーの命令で嫌々歩いてもすぐショートカット。馬場を大きく歩くように指示すると、柵に体を押しつけるようにして私の足が鐙から外れてしまう始末。軽速歩もすぐやめてしまうし、合図しても始めてくれないし・・・。

私はというと、手綱がどんどん長くなるのと、つま先立ちになってしまうのを何度も直されました。また、鞍を膝で挟んでしまうので、膝の内側の皮が剥けてしまいました。

昼食に大山そばを頂いて、再度一鞍。今度の馬はモンド君。馬もやる気ばっちりで、良いレッスンになりました。

モンド君とのレッスンは趣向を変えて、姿勢の復習から入りました。鐙から足を外した状態で、馬に跨り、体を一本の線の様にする感覚をまず覚えました。その感覚で立ったり座ったり、あるいは軽速歩をすると、私の足の裏が地面に平行になるようになりました。上体を同じ位置にしているのに馬の背中が上下するので、それに合わせて足を曲げたり伸ばしているような感覚の時に、上手くいったような気がします。膝で鞍を挟む癖も解消されました。軽速歩をしながら止まらずに何周も出来たので、かなり上達したのでしょう。トレーナーからも褒めて頂きました。ただ油断するとつま先立ちになるし、手綱が弛みます。手綱の感覚はホント難しい。

レッスン後、色々と馬の話を聞いたのですが、この乗馬センターにはサカラートがいるらしいです。サカラートは乗ることが出来ませんが、ナムラサンクスは乗馬用で乗ることができるようです。

乗馬の帰りに境港に行き、直売店は閉まっていましたが、活ガニスーパーでズワイガニを買って帰りました。そして酒。

1月5日 (火)
津山に出かけました。まずは箕作阮甫の家へ。箕作阮甫は津山藩の藩医でしたが、多大な業績を残しています。代表的な業績として、ペリーやプチャーチンが来日した際に、外交文書の翻訳を行いました。次に、日本で最初の医学雑誌「泰西名医彙講」を著しました。また、東京大学の前身である蕃書調所の初代教授に就任しました。更に、神田お玉が池に種痘所を開き、ここは東京大学医学部の発祥地となりました。津山も凄い人を輩出していたのですね。

次いで、津山洋学資料館に行ったのですが、移転のため閉館されていました。「日本にコーヒーを紹介した」とか「音楽理論を研究していた」などの話が残る宇田川榕菴や、日本初の内科学書を著した宇田川玄随に関する展示物が見たかったのに残念。また 3月以降に行ってみようと思います。

時間があまったので、津山郷土博物館に入りました。入り口にパレオパラドキシアという恐竜の骨格復元模型があったのですが、人間との類似点 (椎弓の形、大腿骨頭の作り、骨盤の形状など) が多々あるのを発見し、ワクワクしました。そのほか、豊臣秀吉や徳川綱吉などからの書状も展示されていて、興味深く見ました。ただ、典型的な箱物で、私以外の客はいませんでした。

16時20分頃につやま自然のふしぎ館を訪れた所、閉館時間がまだ来ていないのに閉まっていて、「ふしぎ」な気分になりました。

今日は、これから馬券オヤジ氏と飲みに出かけます。そして、明日東京に戻ります。

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