将棋と脳科学

By , 2010年7月18日 8:57 PM

「将棋と脳科学 (NPO法人 脳の世紀推進会議編, クバプロ)」を読み終えました。2009年 9月 30日に行われた第17回「脳の世紀」シンポジウムでの公演を収録した本です。

最初は羽生善治名人による「脳の可能性」という特別講演。定跡がデータベース化されていく中どのようにデータを扱うかや、現代将棋の特徴などについて、長考しているときの心理状態についてなどをわかりやすく講演しました。

棋士が一手に数時間長考しているとき、何を考えているかに興味がありますが、実は選択肢が選べなくて迷っている場合も多いらしく、羽生名人は「ここはこのように進めようって割り切れるときが、非常に調子のよいときになります」と述べられていました。

また目隠し将棋にも触れています。私も先日研修医と目隠し将棋をして何とか勝ちましたが、頭の中だけで一局駒を動かすのはなかなか大変な作業です。羽生名人は盤面を頭の中で4分割して覚えると話していましたが、私が指したときにも無意識のうちにそうしていました。ただ、私の場合、4分割した盤を統合しようとしても一つにくっつかないんですよね。佐藤康光九段はいっぺんに3人とか5人と目隠し対局出来るそうで、びっくりしました。

次の講演は中谷裕教氏の「将棋棋士の直感を脳活動から探る」でした。中谷氏は私が理化学研究所を訪れたとき話し込んだ研究者です。そのときの様子をブログ記事に書いたことがあります。今回の講演では、思考の小脳仮説について述べられていました。運動のモデルが小脳に蓄えられているとする考え方はかなり確立したものです。運動では手や足を動かしますが、思考ではイメージや概念を操作します。両者は学習効果や「何かを操作する」という点など共通する点が多いので、思考も運動と同じように小脳で扱われるのではないかというのが小脳仮説です。そこで直感について考えてみると、直感は「熟練者が無意識で自動的に、なおかつ素早く正確に」考えられた結果ですので、小脳が大きく関与しているのではないかと考えられます。中谷氏らの講演は、プロ棋士に脳波や fMRIを用いて行った実験などがふんだんに織り込まれていてとても面白いので、是非本書を読んでみてください。

近山隆氏はコンピューター将棋について講演をしました。人間は直感的に次に指す手、ないし数手先の局面を思いつき、それを検証していきますが、コンピューターには直感という方法がとれません。ルールで許される手を全て検証していくしかないのですが、一局最後までルール上可能な手を全部挙げると、全宇宙の素粒子数を上回るほどの可能性があるとも言われるくらいで、全部を検討するのは現実的には不可能です。そこで絞り込みが行われます。ミニ・マックス探索とか静的評価関数などといった方法がとられるのですが、こうした技法について初めて読んだのでとても新鮮でした。

笠井清登氏は統合失調症の脳病態について講演されました。将棋には直接関係ありませんでしたが、光トポグラフィーなど最近のトピックスを勉強することができました。

最後の講演は鍋倉淳一氏の「発達期の神経回路の再編成」でした。未熟期や脳損傷後の脳では大雑把な神経支配しかされていないので、大きな動きしかすることができません。例えば、赤ちゃんはチョキができないそうです。しかし、成長、あるいは神経損傷の回復に伴い余剰シナプスを除去することで、より選択制の高い運動ができるようになります。

GABAは神経細胞に対して通常抑制的に働きます。すなわちGABAによって Clチャネルが開くと、細胞内に Clが流入してきて細胞電位が下がるのです。しかし、未熟期では細胞内の Cl濃度の方が高いため、GABAによって Clチャネルが開くと細胞内から Clが流出し、細胞内電位は高くなります。すなわち GABAが興奮性に働くのです。これは非常に面白い現象だと思いました。脳損傷後の脳も、未熟期の脳と同じように GABAの抑制作用が減弱しているそうで、しばらくして徐々に GABAのはたらきが回復してくるそうです。未熟期からの脳の発達と、神経損傷の回復の共通点が見られて興味深いですね。

まだまだ面白い話はたくさんあるのですが、紹介しきれないので簡単に概要を紹介するに留めました。脳科学や将棋に興味がある方は是非読んでみてください。

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