月のセレナーデ

By , 2011年6月13日 8:00 AM

2011年 3月 11日の震災で、三陸鉄道は大きな被害を受けました。

 全面復旧「諦めぬ」 三セクの岩手・三陸鉄道、社員力合わせ奮闘

2011.4.14 21:33

東日本大震災で沿線が壊滅的被害を受けた岩手県のローカル線「三陸鉄道」が、震災から1カ月あまりたった今も奮闘を続けている。「今こそ地域の足となる」。停電、通信断絶、駅消滅と数々の苦難を経験しながら、社員93人の力を合わせて地震発生後5日という早さで運転を一部再開。全面復旧に向け「諦めるわけにはいかない」と力を込める。被災地に希望を運ぶ列車を動かしたのは、四半世紀あまり前の開業時から運行を支え続けた鉄道マンたちの熱い思いだった。(市岡豊大)

「終わりなのか」

三陸鉄道は、国鉄民営化に伴って廃線予定だった路線を引き継ぎ、全国初の第三セクター方式の鉄道として昭和59年4月に開業。宮古-久慈間の北リアス線(71キロ)と、盛-釜石間の南リアス線(36キロ)に分かれている。

「こんなことは後にも先にもない。悪夢のような1カ月だった」。開業当時から三陸鉄道に携わる元県職員の望月正彦社長(59)が振り返る。

3月11日、宮古市内を大津波が襲った。宮古駅の本社は被害を免れたが、停電して通信は断絶。停車中の1両を動かして車内を対策本部とし、まもなく乗客と社員全員の無事を確認した。

本部内では社員約10人が“車中泊”しながら、24時間態勢で情報収集した。しかし、状況が明らかになるにつれて絶望感が漂った。「三陸鉄道はもう終わりなのか」。ある社員はつぶやいた。

2日後の13日、開業時からの社員で旅客サービス部長の冨手淳さん(50)は、望月社長と沿線の被害確認に出た。駅舎が付近の陸橋とともに丸ごと消えた島越駅(田野畑村)を見て絶句した。「あるべきものがない。ぞっとした」。線路上や駅構内にがれきが散乱し、復旧の厳しさを痛感した。

重い足取りの帰り道。2人は線路上を歩く被災者らを見て思い直した。「道は線路しかない。生活の足となるのがローカル線の使命だ」。開業当時の熱い思いがよみがえってきた。

再開へ人海戦術

南リアス線の釜石駅長で、開業時から在籍する菊池弘充さん(46)は苦悩していた。車庫がある盛駅の被害が大きく、同線の復旧のめどが立たないからだ。

「動かせるとこから動かそう」。菊池さんは早期再開の可能性がある北リアス線に向かった。作動しない信号機の代わりに、駅での到着・発車時の安全を手旗信号で確認する「人海戦術」に、南リアス線の社員も協力し、総出で当たることにした。「絶対に動かしてやる」という菊池さんの思いは、ほかの社員と一致していた。

北リアス線の復旧可能な区間の線路点検や砕石の補充を進めたが、最大の難題はがれきの撤去。望月社長は3月15日、山本正徳・宮古市長に飛び込みで直訴した。「あと1週間で(宮古駅から)走らせる。がれき撤去を自衛隊に要請してほしい」。山本市長は「あと1週間」という言葉に驚き、望月社長の顔を見たが、「分かりました」と応諾した。

地元とともに

思いを同じくする人は、駅の外にもいた。開業と同じ年に宮古駅前で魚料理店を始めた佐々木博さん(63)は、対策本部へ毎日弁当を届けた。「ともに歩んだ26年。三陸鉄道は街になくてはならない」とエールを送る。

地元の後押しもあり、3月16日の北リアス線・陸中野田-久慈間を皮切りに、宮古-田老間、田老-小本間の運転再開にこぎ着けた。現在は、宮古-小本間で1日4往復、陸中野田-久慈間で6往復を運行。制限速度も段階的に引き上げている。ただ、南リアス線は運転再開の見通しが立っていない。

全線復旧には数十億円規模が必要で、国の支援が前提となるが、先行きは不透明だ。それでも、望月社長は「何度も廃線の2文字が頭をよぎった。存続のためにも早期復旧が必要。諦めるわけにいかない」と話している。

復旧には膨大な資金がかかるそうです。

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