神経内科医の文学診断

By , 2016年3月19日 10:30 PM

神経内科医の文学診断 (岩田誠著, 白水社)」とその続編を読みました。

私が神経内科医を目指そうと思ったのは、岩田誠先生の「脳と音楽」を読んでからです。また、「見る脳・描く脳」という本を読んで、絵画の鑑賞の仕方が変わりました。音楽、絵画につづいて、今回は文学。岩田誠先生の芸術に対する造詣の深さに驚嘆させられます。

「神経内科医の~」というタイトルですが、神経内科の知識をベースにした議論よりも、臨床医の慈愛に満ちた視線を本書の随所に感じました。例えば下記備忘録に引用した認知症患者についての記載などです。

私は読む小説に偏りがあるためか、本書で取り上げられた小説の大部分は未読でしたが、楽しく読むことができました。基本的な知識がなくても読めるよう易しく (でも深く) 書かれていますので、色々な方に読んでいただきたい一冊です。

以下、特に気に入った部分、あるいは備忘録としておきた文章。

神経内科医の文学診断

・このビラが投下されたアフガニスタンにおいて、それを読むことができた人々が、いったいどれほどいたのだろうか。二十年以上にもわたる戦火の連続と飢餓、そして女性に対する教育を認めないタリバーン政府。一九九〇年のユネスコのデータによると、アフガニスタンの成人人口における識字率は三十一.五%であるという。この国においては、男性の五十三.八%、女性においては驚くなかれ八十五%の人々が文字を操るすべを知らないのである。米国は、アフガニスタンにおけるこの識字率を本当に知っていてビラ撒きをしたのだろうか。文字を知らないがゆえにナチスの残虐行為に組み込まれ、大いなる戦争犯罪に関わらざるを得なかったハンナの悲劇と同じような悲劇が、今のアフガニスタンにおいても繰り返されていないとは言えまい。

・さてここで、nauséeという語の起源について一言述べてみたい。この語はギリシア語で「船酔い」を表す nausiaにあたり、そのもとは船、すなわち nausに由来する。「むかつき」の代表として船酔いをあげるところなぞ、さすが海洋国ギリシアであると妙に納得できる語源である。

・的にも見方にもはっきりと見せる姿で矢玉を受けつつ先頭をきって進まなければならないというのは、洋の東西を問わず、一軍を率いる将たるものに要求されてきた心意気である。ジャンヌ・ダルクもまた、そのような目立ついでだちで戦いの先頭を突き進み、それまで劣勢だったフランス軍を奮い立たせてオルレアンを包囲するイギリス軍を打ち破った。敵の矢玉を一身に受けつつ先頭をきって進む、これがなければ兵士たちはついてこない。元来、ヨーロッパの貴族たちには、体が目立って大きいことが要求されてきた。戦いにおいて兵の先頭に立ち、敵の矢を真っ先に受けて戦うためである。これが「貴族の義務 (noblesse obligé)」であり、この戦場での義務からがあるからこそ、平時においては特権が与えられるべきことが腫脹されたのである。戦場で目立つことこそが、貴族の心意気である。

・しかし、そのような中で起こった一つの事件が、イベリットの運命を変えた。第二次世界大戦中にドイツ軍の爆撃により沈没させられたアメリカの貨物船内に密かに積まれていたイベリットが船外に流出したため、海面に逃げた多くの人びとがイベリットの犠牲となったが、この時死亡した人々では、著しい白血球減少が見られた。このことがきっかけとなって、イベリットの白血病治療への応用が考えられたのである。一九四二年、エール大学の薬理学者ルイス・S・グッドマンとアルフレッド・ジルマンは、糜爛性の毒素を防ぐため、イベリットの Sを Nに置換してナイトロジェン・マスタードと呼ばれる抗がん薬を創生した。ナイトロジェン・マスタードには HN2と HN3のに種類のものがあるが、このままではまだ毒素が強かったため、わが国の石舘守三らは、より毒性の低いナイトロジェンマスタード-N-オキシドをつくり、これをナイトロミンという名で世に送り出して、白血病などの治療薬として商品化した。私が医者になりたての頃は、まだこのナイトロミンが、白血病に限らずさまざまながんの治療に使用されていた。またこの系統の薬として開発されたクロランブチルは慢性骨髄性白血病の治療薬として大いに使用されていたし、この系統の薬剤であるシクロホスファミド (エンドキサン) は今日でもなお白血病などのさまざまな悪性腫瘍の治療薬としてだけでなく、膠原病やリウマチなどの自己免疫疾患の治療薬としても使われている。私の専門である神経内科の診療においても、多発性硬化症や慢性炎症性脱髄性末梢神経障害、重症筋無力症などの治療に用いられている。

・すなわち、自らは健康であるという自覚は、身体的な状態とは全く関係なく誰でも抱き得る実感であり、死に至ることが必須の病に陥った患者でも抱き得るものである一方、身体的には異常のない人がそれを抱き得ないこともしばしばある。言い換えるなら、<健康>というものは、自らの身体的な状況とは全く無関係に抱かれている感情、身体的な実体を持たない幻覚のような自覚的感情である、というのが、私の言い分なのである。

・これと同時に私は、わが国で体育礼賛のために用いられている「健全な精神は健全なる身体に宿る」という言い回しが、完全なる誤訳であることを繰り返し主張してきた。この言葉の由来になったラテン語の原典 <mens sana in corpore sano> は、「健全な精神が健全な身体に宿って欲しい」という願望を意味するのであって、身体が健全でなければ、精神の健全は望めないというような意味は全く含まれていない。むしろ、最も大切なのは精神の健全であって、身体の健全さではない、と読み替えすることすらできるのである。

続・神経内科医の文学診断

・サルペトリエール病院は、一八八二年、世界で最初の神経内科学講座が開設された病院である。一八六〇年代からこの病院で神経内科学の診療と教育をおこなってきたジャン=マルタン=シャルコーの主催する神経病クリニックは、この年、パリ大学医学部の正式な講座となった。そのため、サルペトリエール病院といえば、神経内科医にとって聖地とも言うべき由緒ある病院となっている。

・サルペトリエール病院の前身は、ルイ十四世の勅令によって創設された貧民救済施設で、当初の目的は、パリ市内の女性浮浪者を施設内に収容することだった。当時のパリの人口は五十万人、そのうち浮浪者が五~六万人に達していたという。浮浪者たちはパリの街で物乞いをしながら暮らしていたが、一六五六年四月二十七日、十八歳の国王ルイ十四世は、「パリの貧者を収容するためのオピタル・ジェネラル」設立の勅令を出した。「パリには、いまや数え切れぬほどの浮浪者や乞食たちが侵入し、罰せられることもなく不埒な生活を送っている。彼らの放埒を防ぐと同時に彼らの窮乏を救わんとして、国王陛下は四月の公開状をもって、五箇所の施設をオピタル・ジェネラルの名の下に統合することを命じられた。国王の命ぜられたるところは、貧困者は、年齢と性を問わず、このオピタル・ジェネラルに収容されるべきであること、障害のあるものや高齢者はこれらの施設においてあらゆる援助を得るべきであること、それらの施設においては様々な職種についての働き手を雇うべきであること、そしてそれらの施設においては、全ての者が慈悲の義務を負うべきであるときょういくされるべきこと」であった。

・当時、「オピタル (hôpital)」という言葉は、今日のような「病院」ではなく、監禁施設を意味していた。最も古いオピタルは、一六一二年にルイ十三世の妃であったマリー・ド・メディシスによって設立されたノートル=ダム・ド・ラ・ピティエで、主に子供の浮浪者を収容するための施設だった。ルイ十四世は、ここに加えてサルペトリエールとビセートルをオピタル・ジェネラルとし、前者には女性の浮浪者を、後者には男性の浮浪者を収容した。さらに、ルイ十四世が築いた建造物のうち最も美しいとされる廃兵院には、障害をもった兵士たちを収容した。勅令ではオピタルは五箇所とされているが、主な施設はこの四つで、他に数箇所の小規模な収容施設が用意された。

・こうしてサルペトリエールには、約六〇〇〇人の女性が収容されたが、そのうち一七〇〇人ほどは自由を奪われた監禁状態にあった。監禁状態の収容者は、大きく三つのカテゴリーに分けられていた。第一は精神障害者で、彼女たちは、鎖で壁につながれて家畜同様の扱いを受けていた。第二は娼婦たちで、約四〇〇人が収容された。第三が犯罪者とされた者たちで、二〇〇人ほどが監獄棟に監禁された。

・今日でも、茂造が示したような奇異な行動は、昭子が感じたと同様に困惑の対象であり、処理の対象とはされるが、理解の対象とはされない。デメンチア患者の診療や介護を論ずる学会や研究会では、デメンチア患者の呈するさまざまな異常行動が取り上げられ、それに対する対処法や薬物療法が論じられているが、そのような奇異な行動がなぜ生じたのかを理解しようとする介護側の努力はきわめて少ない。しかし、デメンチア患者の示す突拍子のない行動には、ほとんどの場合、何らかの了解可能な理由があり、その理由に適切に対処できれば、行動を抑える必要はなくなることが多いのである。デメンチア患者の一見奇異で、周囲の人々を困惑させる行動は、処理の対象ではなく、理解の対象となるべきなのである。

・デメンチアの患者を差別や蔑視から守るためという謳い文句で考えだされた「認知症」という用語は、今や立派な差別用語となって、蔑視の眼差しを助長する役目を担っている。デメンチアを発症した父や母を私のもとに連れてくる息子や娘たちの多くは、「父 (母) は、やっぱりニンチなんですか?」とたずねる。その言葉の奥には、父母の病態に対する心配や共感の気持ちは感じられず、自分たちが厄介なものを背負い込んでしまったのではないかという嫌悪感を伴った怖れしか感じられないことが少なくない。


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