大町病院から

By , 2012年5月20日 5:27 PM

以前、「南相馬市立総合病院の記録」という記事をお伝えしました。

同じく医療ガバナンス学会で、大町病院からいくつかの報告がなされています。記事へのリンクを貼っておきます。現場の人たちの思いが伝わってきます。

Vol.323 わだかまりを越えて 2011年11月23日
Vol.347 福島県南相馬市・大町病院から(2) 2011年12月23日
Vol.366 福島県南相馬市・大町病院から(3) 2012年1月15日
Vol.411 福島県南相馬市・大町病院から(4) 2012年2月22日
Vol.446 福島県南相馬市・大町病院から(5) 2012年3月29日
Vol.489 福島県南相馬市・大町病院から(6) 2012年5月16日

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描画の神経科学

By , 2012年5月19日 10:17 AM

日仏学会で、岩田誠先生の講演が行われます。

(科学講演会) 描画の神経科学

日時: 2012年07月06日(金曜) 18:00
会場: 日仏会館ホール – 渋谷区恵比寿3丁目
入場無料

● 岩田誠 (日仏医学会会長、東京女子医科大学名誉教授)

主催: 公益財団法人日仏会館、日仏医学会、日仏海洋学会、日仏工業技術会、日仏生物学会、日仏獣医学会、日仏農学会、日仏薬学会、日仏理工科会
後援: ABSIF (科学部門フランス政府給ひ留学生の会)

生物の進化史上、自然発生的に絵を描くことを始めたのは、われわれHomo sapiensのみです。既にある程度の話し言葉の能力を持っていたと考えられ、我々に最も近い存在であったとされる旧人(Homo neanderthalensis)でさえ、絵を描くことはしなかったようです。その意味で,ヒトはHomo pictorと呼んでも良い存在であると言えます。それでは、ヒトは何故絵を描くのでしょうか。また、どうしてヒトだけが絵を描く能力を持っているのでしょうか。それらの諸問題を、認知考古学、動物行動学、神経心理学、発達神経心理学などの多方面からのアプローチで探ってみましょう。また、様々な病気が、画家の描く作品に与える影響についても、考えてみたいと思います。

岩田先生の講演は、いつ聴いても感動を覚えます。早速申し込みました。

似たような内容の講演をされたことがあるようで、日本子ども学会のサイトに文章が載っていました。講演を聴きに行けない方は、こちらで雰囲気を味わってみて下さい。

描画の発達と進化」 (pdfファイル)

ちなみに、ジェラール・プーレ氏のコンサートが別の日に行われるようで、こちらも申し込みました。ジェラール・プーレ氏の父、ガストン・プーレはドビュッシーと親交があり、以前ブログで紹介したことがあります。非常に優れた音楽家ですので、クラシック音楽好きの方は是非申し込まれることをお勧めします。

(フランス音楽の夕べ) フランス音楽の夕べ

日時:2012年07月11日(水曜) 19:00 (18:30開場)
会場:日仏会館ホール – 渋谷区恵比寿3丁目
演奏 櫻木枝里子(p)、夜船彩奈(p)、白山 智丈 (p)、金澤希伊子(p)、ジェラール・プーレ(Vn) Soirée de musique française – SAKURAGI Eriko (p), YOFUNE Ayana (p), Gérard POULET (vn), KANAZAWA Keiko (p),/
参加費:
● 日仏会館会員 3.000 円
● 一般 2.000 円、学生 1.500 円
・ピアノ
櫻木枝里子
ラモー  新クラヴサン組曲より
ラヴェル 夜のガスパール

・ピアノ
夜船 彩奈

白山 智丈
前奏曲【初演】

幻想曲【再演】

・ヴァイオリン
ジェラール・プーレ
・ピアノ
金澤 希伊子

ラヴェル
フォーレの名による 子守唄
ハバネラの形式による小品
バイオリンとピアノのためのソナタ

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医学のともしび

By , 2012年5月9日 9:03 AM

「医学のともしび (遠城寺宗徳、前川孫一郎、松田道雄著、学生社版)」を読み終えました。科学随筆文庫の一冊です。

遠城寺先生は、九州大学小児科教授だった方です。先生が小児科医として過ごしたのがどういう時代であったかを象徴するような記載があるので、一部紹介します。

小児科四十年。その間に、小児科は大いに変わった。私が小児科医になったころ、わが国の乳児の死亡率は出生千人に対し百四十二.四(一九二五年)で、世界の大関位であった。当時、世界の楽園をほこる世界のニュージーランドが四〇で、早くニュージーランド並みにというのが私たちの合言葉であった。

今やそのついに実現するどころか昨年(一九六六年)になっては、ついに一八.五と、先進国を凌駕した。全国各地では「乳児死亡減少を祝う会」という名のほがらかな催しが開かれて、私もその記念講演によばれたのである。これは、小児科学の進歩と努力ばかりではない。一般社会生活の向上と相まって、乳幼児の栄養がよくなったのと、抗生物質や予防接種の発達出現によって感染症が激減したからであるが、ともかく隔世の感である。

これまで助からなかった命がどんどん助かるようになっていた時代で、本当にやったことが報われる機会が多かったのだろうなと思います。

遠城寺先生の留学中の話が面白くて、ベルリンでは何と湯川秀樹博士と同宿だったそうです。

一九三九年八月、ドイツ軍は、突如、ポーランドに侵入した。われわれベルリンにいた日本人には大島大使から引き揚げ命令がでた。「明日、ハンブルグ港出帆の靖国丸に乗船せよ」という急な通知であった。同宿には湯川秀樹博士もいた。ほんとうに、そうこうして、ハンブルグへかけつけ、婦女子をふくめた日本人三〇〇余人が、靖国丸に乗り込んで、まずノルウェーのベルゲンに向った。

(略)

ベルゲンには、一週間くらい停舶したが、毎日散歩に上陸した。道々の話題はドイツに引き返すことへの幻想ばかりであった。湯川さんが「遠城寺さん、ここにしばらく残ってドイツに帰れる時期を、待とうではないか あなたは医師をやれば食えるでしょう。私は数学の先生でもやりますよ」など、たわいのないこともなかば本気であった。湯川博士は、たしかスイスで開かれるはずの世界物理学会に出席のため、ベルリンに待機していたところを、引き揚げ船に乗せられたのである。このとき戦争が起こらなかったら、彼のノーベル賞も、もっと早くもらえたであろうと、いまに思っている。

医師のこうした随筆集で、こんな歴史の裏話が読めるとは思っていなかったのでびっくりしました。

前川孫二郎先生は変わった経歴の持ち主です。京都大学卒業後、一時期小説を書いていたそうです。結局医学の道に戻ってきたそうですが、巻末の著者略年譜にその経緯が書いてあります。

免許証をもらい、真下内科に入局したが、当時わたしは医者になる気持は毛頭なかった。医学部の全課程をおえて、医学の幼稚さ加減にすっかり失望、このような貧弱な知識と技術で、わたしは到底医者としての職責を全うする自信がなかったし、それに私は非常に感じ易いので、手の施しようもない患者の枕頭に無為で侍するなど、とても出来そうにもなかった。それで兄の紹介で第九次?の「新新潮」の同人になり、盛んに小説を書いた。野晒紀行の芭蕉と捨子を題材に劇や自伝風の「京都の夫婦」など評判がよかったようである。それが何時しか創作を忘れ、次第に医学の道に深入りするようになったのは、全く真下先生の感化による。先生もまたあやまって医者になられた一人であった。勝れた機械に対するセンスをもち、機械を愛し、機械に明け暮れした。我が国における医学工学の先駆者である。

孫川先生の随筆は、医学的な内容が多い一方で、現代の医師目線から見ると首をかしげるような部分が目に付いたりして、あまり私の好みではありませんでした。

松田道雄先生は、結核などを専門とし、最終的には小児科で開業されました。祖先は徳川家の侍医であったそうです。

昭和 28年に書かれた、松田先生の「三等教授」という随筆は、就職難の話から始まり、この問題はいつの時代も人々を悩ませていたのだなぁと思いました。松田先生の考えでは、大学が増えたから失業が増えたというのは逆で、失業が増えて就職を有利にするために大学の需要が増えたのだとしています。そうなると、設備や機能が不備な大学が増えます。教授あるいは学部長は老人であるし、学問以外はよくわからないので、大学の運営も事務長の独占となってしまいます。大学は学問としてより役所として機能することに重点がおかれます。以下、教授達の恨み節溢れる記載が長々と記載されています。

残念なことに医学部は病院だけではやっていけない。解剖、生理、医化学などの基礎医学を教えるところがなくてはならない。新しい建物をつくるゆとりはないと、よく目をつけられるのは、昔の連隊あとである。兵舎は講堂だ。馬小屋は解剖教室だ。炊事場は医化学実験室だ。兵器庫は教授室だ。

基礎医学のほうはなるべく世帯を小さくする。教授一人に助手一人というところが珍しくない。

臨床の教室は連隊あとからは半時間も電車にのっていく市民病院であったり、県立病院であったりとする。もともと学生を教えるようになっていないから、とてもせまい。建てましということになるとまず病室だ。研究室などという収入がなくて支出ばかりのあるところは、なるべくあとまわしにされる。病舎についている検尿室でも、ガスがあるんだから、実験はできるでしょうなどと言われる。

教授は毎日、病院へ来る病人をみなければならない。昔からの官立の大学病院では教授は一週に二回、午前中に特にえらばれた病人を五、六人みればよかったのに、ここでは一日四十人みなければならない。その間に見学に来ている学生に臨床を教えなければならない。その上、毎週二時間の講義の準備もしなければならない。病舎に県会議員の身うちでもはいっていると、事務室からの催促で、何のかわりもないのに一日に二度も三度もみなければならない。それでいて教授だから学会には報告をもっていかなければならない。学問はきらいでないにしても、こう追いつかわれていては、なかなか、まとまった研究にとりかかれない。研究はただではできない。研究費として使えるのは一つの講座で一年十万円もあればいいほうで、五万円以下のところもある。外国から雑誌を二種類、教科書を二冊も買うと、そのあとの実験は自分のポケットから出してやらなければならない。

著者はこうした境遇を三等教授とさげすむ教授達に、「君たちは一等教授だ。君たちがいるからこそ、日本の大学は多すぎはしないといえるのだ」と激励しています。戦後の地方大学置かれた環境を知ることができ、ためになる随筆でした。

忘れてはいけないのが「晩年の平井毓太郎先生」という随筆。平井先生は京都大学小児科教授でしたが、素晴らしい人物であったそうです。退官後、有名医学雑誌をいくつも自ら購読し、医師達に講義、抄読していました。開業している医師が診断のつかない病人にぶつかると、よく平井先生の往診を頼みましたが、頼んだ医者の顔を立てて往診は拒みませんでした。一方で、報酬は拒み、無理においていくと、ほんの一部をとってあとは結核予防協会に寄附しました。寄付額は、京都の富豪達の寄付額と比べても、上の方だったといいます。医師として格好良すぎます!

この随筆は次のように締めくくられています。

治療では過剰治療にたいする嫌悪をかくされなかった。今まで注射しなければ無効とされていた治療が、それ以外の方法でも治しうるという種類の報告は見のがされることがなかった。治療としてなされている行為で有害であるということが判明したものは、どんな小さな記事でも紹介された。病人を不必要に苦しめることは、非道徳的であり、それによって利益を求めようとするのは、犯罪であるという信念を先生は、かつてゆるがされることがなかった。

けれども先生は雑誌会の講義でも、倫理を倫理として説かれたことはなかった。人を指導してやっているのだという意識は先生には絶えてなかった。本を読むことが好きな老人が、読んだことを繰り返して記憶をつようめることをたのしんでいるという風であった。八十歳に近い老人が、十五、六人の医者が座席の前のほうにばらばらに並んでいる、粗末な教室で、汗を拭いながら、ドイツの雑誌をよみ、フランスの教科書を示し、軍医団雑誌をひらいて語り、ああもう時間が来てしまったとつぶやく姿は、むしろ崇高であった。これほど倫理的な教育が他のどこにあったか。

先生は学問に酩酊していられたのである。私たちは、その酔いのかおりをかいで、すこしばかり興奮した。人をしてこれほどまで酔わしめる学問にたいして熱心でなかったことに慚愧し、それでいて、生ける古典の弟子であることに誇りを覚えるのだった。

それは、もろもろの雑草が夕やみのなかに没し去ったあとに、ただ一つ喬木が落日に鞘をかがやかせている風景に似ていた。

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南相馬市立総合病院の記録

By , 2012年5月8日 8:30 AM

医療ガバナンス学会に、「東日本大震災以後の当院」と題された文章が寄せられました。南相馬市立病院からです。震災後の貴重な記録ですので、様々な方に読んで頂きたいと思います。

Vol.463 東日本大震災以後の当院

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ゴールデンウィーク

By , 2012年5月7日 8:55 AM

ゴールデンウィークは、長々と休みを取らせて頂き、非常に充実した日を過ごすことが出来ました。

 

4月30日 (月)

妹の夫 methyl先生とボーイング 787で岡山空港~私の実家へ。手巻き寿司をして、methyl先生が送ってくれた地酒を堪能しました。食卓を飾った酒は、愛宕の松メモリアル、日高見純米大吟醸、写楽 (備前雄町)、飛露喜特製純吟、伯楽星、弥右衛門酒星眼回・・・。贅沢でした。

5月1日 (火)

妹、methyl先生と 3人で大山乗馬センターに行き、妹夫婦がトレッキング、私は駈歩の練習をしました。それから境港で食事、蟹を購入しました。時間が余ったので、島根原子力館へ。1年ぶりでした。夜は鍋をつつきながら、日本酒の続きを飲みました。

5月2日 (水)

小学生時代からの親友、馬券オヤジ氏と四国旅行に出かけました。瀬戸大橋を渡って、うどん県でうどんを食べようとしたのですが、目的のうどん屋に渋滞が出来ていたので、郊外へしばらく走り、手打ちうどん渡辺に行きました。コシがあって美味しかったです。

そこから高速道路に乗って、みかん県坊ちゃん市へ。道後温泉につかり、隣にある道後麦酒館で地ビール全種類制覇しました。つまみの多くは四国の素材でした。温泉→ビールは鉄板ですね。このコースは楽しかったので、また来ようと思います。

5月3日 (木)

みかん県からうどん県を経由し、かつお県に行きました。かつお県のはりまや市では、とさ市場でかつおを楽しみました。そこから桂浜に行った後、噂の高知医療センターを経由して、一般道で北に向かいました。途中の大歩危 (おおぼけ) で乗った観光船は、船頭の解説が詳しく、なかなか楽しいものでした。

5月4日 (金)

帰京。ボーイング 787の予定が、機体トラブルでボーイング 737になったのは、残念でした。夜は将棋 Barへ。

5月5日 (土)

秋田で乗馬をしてから当直へ。乗馬は鞍を付けたり、蹄鉄の裏を掃除するところから始め、駈歩を楽しみました。終了後は林檎をあげると、凄い喜んでいました。馬とのコミュニケーションがとれるようになると、乗馬の楽しみが倍増します。

 

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帰省

By , 2012年4月30日 12:06 PM

これから帰省します。GWの予定は下記の通りです。

4月30日 帰省

5月1日 大山乗馬センターで乗馬、境港で海の幸を購入、夜はそれらで地酒を堪能

5月2日 親友♂と四国旅行。うどん県でうどんを食べて、松山泊

5月3日 高知までドライブ

5月4日 帰京

5月5日 秋田で当直

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発熱

By , 2012年4月27日 12:03 PM

4月24, 25日とやや食欲がなくて、26日外来に向かうときに凄まじい倦怠感に襲われました。病院について体温を測ると、 37.5℃くらいありましたが、マスクをして外来、訪問診療をして帰宅しました。帰宅後、体温が 38℃台まで上がってきて、本日、4月27日はラボをお休みすることにしました。

4月21日に B型インフルエンザ患者さんの診療をしていたのでそのせいか、或いは電車の中で貰っちゃいましたかね。

抗インフルエンザ薬は飲まず、解熱鎮痛剤のみで、自然に治るのを待っています。ゴールデンウィークなので、出来るだけ早く治して遊びに行きたいところです。

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XNA

By , 2012年4月26日 7:37 AM

DNAや RNAの話だけでお腹いっぱいなのに、XNAっていうのが出てきたらしいですね。

DNAでも RNAでもない新たな遺伝物質 XNAについて

DNAや RNAの五炭糖 (デオキシリボースや リボースの部分) を人工物質に置き換えたのが XNAで、塩基部分を人工物質に置き換えたのが 人工 DNAなのだそうです。DNAからXNAを、或いは XNAから DNAを合成出来る酵素があり、DNA-XNA二重鎖も可能らしい・・・というのはなにやら恐ろしい気もします。研究が進めば話題に取り上げられることが多くなるネタかもしれませんね。

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脳の歴史

By , 2012年4月25日 8:24 AM

Neurology という blogで紹介されていた「脳の歴史」を読み終えました。

脳の歴史 ―脳はどのように視覚化されてきたか―

古典的な研究、最先端の技法が豊富な写真で紹介されており、眺めて楽しい本でした。解説の文章もコンパクトで非常に読みやすかったです。脳研究の基礎知識がなくても読むことの出来るお勧めの本です。

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NHK杯

By , 2012年4月24日 6:52 AM

前期の NHK杯は羽生二冠の優勝で幕を下ろしました。

決勝戦の模様はラジオ放送もされ、その様子がネットにアップされています。ネットでは将棋盤を動かしながら観戦できるので便利です。ラジオ放送の解説陣は、米長会長、谷川九段、そしてハッシーと豪華です。すばらしい名局だったので、将棋ファンの方は是非見られることをオススメします。

ラジオ NHK杯将棋トーナメント

 

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