ウィーン旅行(2003年10月6日〜10月12日)

ウィーン第1日目

 ウィーン旅行というのは以前からずっと憧れていて、医師国家試験に受かった後に一度企画し、飛行機のチケットが取れずにあきらめたことがあった。 丁度ニューヨークでテロがあった頃であり、ヨーロッパ旅行が人気だったためだと思われる。今回夏休みが1週間取れたこともあって念願が叶うこととなった。

 海外旅行は友人と韓国に行った事があるが、一人で海外旅行というのが初めての経験なのでツアーを利用することとした。でも音楽家の足跡をたどりた いっていうのが1番の目的で、飛行機とホテルのみツアーを利用して現地では全て自由行動とすることとした。が最小催行人数が2名だったため追加料金を支払 うハメに。時期的に旅費自体が安く済んだからまだ良かったけれど、追加料金は結構高かった。

 ヴァイオリンの先生に「海外で演奏すると音が全然良い」って聞いていたし、愛着ある楽器に一緒に旅行させてあげてかったから、ヴァイオリンに保険 をかけた上で持って行く事にした。それからデジカメを購入。スーツケースをレンタルし、旅行の準備も何とか前日までに整える事が出来た。コンサートのチ ケットはウィーンで買うのに比べて倍くらい高くなるけれど、向こうで上手く買えないと困るから日本でインターネットを利用して買っておくこととした。

 当日はAM10:45成田着、PM0:45成田発。日本航空機(JAL-411)に乗りこみ、滑走路に出るまではいざ出発!と期待に胸を膨らまし ていたが・・・。オイラは「高所恐怖症+飛行機が空を飛ぶのは不自然論者」であり、離陸の瞬間からは恐怖と緊張のあまり汗だくになって震えていた。ラジオ では落語が流れていたが、笑える筈もなく「こんなところで死ぬのかなぁ・・・」などという考えが頭の中を渦巻いていた。こんなとき可愛いスッチーが横にで もいてくれたら少しは安らぐのに(爆)。飛行機に乗る前に少し酒を飲んだのだけど、恐怖と戦うには少し量が足りなかったかな?

 雲の上に出ると凄く綺麗な景色が広がっていて、大分緊張もとけて落語にも笑えるようになってきた。雲の下は日本海が広がっているのが所々見える。 そしてロシアの寒々とした大地の上を飛行機は飛んで行った。機内食とウィスキーを味わいながらゆっくりと眺めるシベリアは、自然がそのまま残されていて、 山の間を流れる川がまるで大地に刻まれた彫刻のように感じられ、ずっと見ていても飽きなかった。

 途中トイレに行きたくなり、トイレへの冒険を決意した。実際トイレまではたどりつけたものの、中で用を足しているとき飛行機が揺れて「トイレで死 ぬのだけは嫌だぁ」と心の中で絶叫。

 そうこうしているうちにウラル山脈を越え、いよいよ目的地が近づいてきた。機内の飛行案内地図にも「サンクトペテルブルグ」などの耳慣れた地名が うつるようになってきた。だんだん民家が見えるようになってきて、それから都市が見えるようになってきて、下にアムステルダムの街がひらけてきた。飛行機 はどんどん高度を下げ、溜池(湖?)、道路の上を順に通りすぎ滑走路へ。見事着陸成功。数千キロ飛んできて、数メートルの範囲に着地出来るのだから見上げ たものだ。高所恐怖症の人間にとって、上るときより下りる時の方が全然恐怖心が少ない。安定した場所に近づいている安心感が不安感を上回るからかもしれな い。

 飛行機がアムステルダムに着いたのは17:45(日本時間0:45)で、次の乗り換えは20:00の予定。時間はたっぷりあった。でも乗り換え場 所がわからない・・・。余裕をもって探す事にしたのだがなかなか見つからない。「人に聞こうかな?でも英語自信ないしなぁ・・・。」などと思っていたが、 時間が刻々と迫ってくる。ここでウィーン行きの飛行機に乗れなかったらこのまま成田に引き返さなくてはいけないかもしれないし、何のためにここまで来たん だかわからない、と意を決し空港の職員に話しかけて見る。「Excuse me? I want to go to Vienna.」などとたどたどしい英語ではあったものの、何とか意思の疎通は上手くいき、ウィーン行きの乗場まで辿りつけた。なにはともあれ、まず英語 を使ってみて通じた事で少し自信がついた。どんな英語だって話さないより通じるものだ。

 ウィーン行きの乗場の待合室でベートーヴェンについての本を読んでいると、飛行機が遅れるとのアナウンスがあった。そのアナウンス自体は理解でき ていたのだけど、俺は気が短いので苛々しながら時計を見ていると、横から外国人が「飛行機が45分くらい遅れるんだってよ。」と英語で話しかけてきた。 「I see, thank you.」とだけ答えた。本当は他にも少し話したかったんだけど、まだそこまでは余裕がなかった。異国の地で親切に話しかけてもらえることがまさかこんな に嬉しいことだとは思わなかった。

 ウィーン行きの飛行機はオーストリア航空(OS-3376)。飛行機は外から見ても、中に乗ってみてもとても小さかった。こんな小さな飛行機が空 を飛ぶ事が許されるのだろうか?なんて思いもふとよぎった。空港のイルミネーションの中を飛行機は飛び立ち、やがてまわりは完全に闇となった。機内の飛行 案内地図に「フランクフルト」や「ボン」「ザルツブルグ」などの文字が見えると「あぁ、ついにここまで来たんだなぁ」と感無量であった。アムステルダムか らウィーンへは大体2時間弱かかる。

 ウィーンへの到着は少し遅れたものの、ちゃんと旅行会社の人は待っていてくれた。女性の案内人とハンガリー人の運転手の二人である。ベンツに乗っ てアウトバーンを走った。運転手はまだ若い人だったけど、凄く攻めの走りをしていて首都高バトルを彷彿とさせた。路肩走行で百数十キロ出し、ぎりぎりのタ イミングで走行車線へ入ったりするようなシーンもあり、飛行機に乗るのと違った意味でスリルがあった。高速道路を下りてから右手に森があり、案内人から 「ここにモーツァルトの墓があるのです。」と聞いて心の中で手を合わせた。

ホテル

 「VIENNA RENAISSANCE HOTEL」に到着後少しトラブルがあった。ホテル側が「そんな予約聞いていない」というのだ。でも案内人が予約の紙を見せ、ドイ ツ語ですごい勢いでまく し立てた。終いには「あなたじゃ埒が明かないわ。支配人が知り合いだからその人を出して。」とまで言っていた。最後には相手も納得し、予定通りチェックイ ンできた。「今日は何かと神経すり減らす日だなぁ」なんて思いながら。この案内人がいなくて俺一人だけだったとしたら、最悪の場合野宿するハメになったの ではないだろうか。

 ここで案内人とはお別れだったのだが、いくつか注意事項の説明を受けた。

 部屋に着いたのは0時(日本時間10月7日AM7時)近くであり、そのまま疲れのあまり寝てしまった。


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