ウィーン旅行(2003年10月6日〜10月12日)

ウィーン第2日目

 長旅の疲れと時差のことを考えると朝きちんと起きられるかどうか不安だったため、前日フロントに電話してモーニングコールを頼んでおいたのだが、 そんな不安も杞憂に終わり、現地時間6時半に目を覚ますことが出来た。日本で当直など36時間連続の労働を毎週していて、不規則な生活に慣れていたか ら簡単に順応できたのだろう。

 起きてまずテレビをつけてみる。ドイツ語の番組ばかりだ。英語のニュースもやっているが、特に大きな事件も起きていない様子。チャンネルが数十 チャンネルあり、順に廻していく。アルプスの風景をバックに延々とヨーデルを流している番組があり、それを聴きながらバスルームへ。

 バスルームはトイレと一体型のユニットバスのような感じだが、結構広かった。石鹸、ボディソープ、シャンプー、リンス、ドライヤーはあるが、日本 のホテルと違って髭剃りは置いていないので要注意。念のため持ってきておいて良かった。

 一通り身嗜みを整えると、ホテルの1階へ食事へ。食堂の入り口に金髪の凄く綺麗な御姉様がいて、笑顔で「Good morning! Tell me your room number.」と話しかけてきた。「それってナンパ?俺の部屋でいいの?」と胸を躍らせてみたが、どの客にもしている質問。部屋番号を答えるとテーブル へ案内された。食事はバイキングで、パンやサラダなんていう一般的なものだけど、ソーセージやハムなどにいくつか種類があった。特に美味いとも思わな かったが、不味いわけでもなかった。食堂の隅を見ると味噌汁など日本料理もあった。折角ウィーンまで来て日本料理というのもどうかと思ったので食べな かったけれど、周りを見渡せば日本人の観光客も多かった。

ロプコヴィッツ橋

 食事を終えて、部屋に戻り楽器を持ちいよいよホテルの外へ。ホテルの前には「LOBKOWITZ BRUCKE(ロプコヴィッツ橋)」があり、下を川が流れその横を地下鉄が走っているのが見える。橋をホテルと反対方向に歩き、渡ったところが 「Meidling Hauptstrasse駅」である。一見渡った正面にある立派な建物が 駅のようにも見えるが、実際はその道路向かいに駅 がある。前日教わったとおり Wochenkarteを購入。12.5ユーロで1週間ウィーン市内のバス、地下鉄、電車が載り 放題なのでかなりお得。日本ではまず考えられない。

 地下鉄4番に乗り、Westbahnhof駅へ。地下鉄のドアは手動式なので、最初少し戸惑う。Westbahnhof駅でBudapestまで の切符を購入。「往復」を「go and return」と表現するということを予習しておいたおかげでスムーズに切符が買えた。ホームに出たんだけどどの乗場かわからず近くの老夫婦に聞いてみ た。終点が「Budapest」ではなく、電車に違う都市名が表示されていてわかりにくかったのだ。親切にも電車まで案内してもらえて、10:07の電車 に乗ることが出来た。異国の地に来ると他人の親切が身に染みて嬉しい。そしてウィーンの人はみんな親切だ。東京で外国人を見かけたらそのように振舞いたい ものだ。

 駅のホームで1ユーロで買ったジュースを片手に、英字新聞を広げて見る。内容はイラク戦争や、サッカー、経済ニュースなど。競馬コーナーに 「デットーリ」という懐かしい競馬騎手の名前を見つけた。新聞を読んでいると突然「Are you a Chinese?」と見知らぬ中国人2人組から話しかけられた。「No!」と答えると彼らは俺の斜め向かいに座った。なんか不審そうな雰囲気が漂ってい て、あまり関わりたくもなかった。

ブダペストへの風景

 そうこうしているうちにいきなり電車が動き始めた。ウィーンの電車では出発のとき日本と違ってベルが鳴らないのだ。街中を抜けると、林の中を通 り、畑の中を突きぬける。。季節的には収穫が終わった後で、以前風景画で見たような光景が広がっている。途中「落穂広いの女(ミレー画)」という絵にそっくりの風景もあっ た。デジタルカメラを取り出し写真に取っ てみるのだが、上手く扱えなかった。デジタルカメラも日本を出る直前に買ったもので、使い方が良く わか らず電車の中で説明書をみながら少し勉強。

 途中軍服を着た男が2人来てパスポートを見せるように言われた。「どこに行くのか?」「何故行くのか?」と聞かれ「Budapestに観光に」と 答える。彼らは頷いて、去って行った。しかし、俺の斜め向かいに座っていた中国人はかなり根掘り葉掘り突っ込まれていた。結局は何事も無かったが。

 電車は12時58分にBudapestのkeleti駅(東駅)に着いた。駅の出口に行くと早速人相の悪い男が声を掛けてきた。「タクシーはどう ですか?」と言っているのだが、そんなタクシー乗ったら人生の終点まで連れて行かれそうだ。無視して駅の銀行でハンガリーの通貨を手に入れることにした。 相場は100ユーロで24632forint。200ユーロばかり交換した。

リスト記念館

 駅を出るとまずリスト・フィレンツ記念館へ向けて歩き始めた。かなり迷い、2キロくらいは歩いたと思う。街並みがとても綺麗でそれ程は苦にはなら なかったが。何人かの通行人に道を聞いたのだが、誰もリスト・フィレンツ記念館を知っている人はいなかった。地図を見せて「Where is here?」と聞きながら何とかたどり着くことが出来た。

 記念館のある建物に入り、階段を上がるとドアがあり、そこを開け る と受付に老婦人が座っていた。入館料金を払い、写真撮影をするための料金を払 う。受けつけを通り過ぎるといきなりピアノとリストの肖像画があった。その両側に部屋があり、まず左の部屋を見てみる。ピアノ数台とともに銅像肖像画、直筆の楽譜などがあった。次に右の部屋に入ったところ、引出 しがピアノになってい る机など興味深いものが見られた。リストの手をかたどった実物大の彫像も あった。見てみると指の長さは俺の1.5倍、太さは2倍くらいあった。ピアノ演奏にはすごく有利に働く手だろう。目を閉じて、この部屋で作曲をしているリ ストをイメージして見る。ここで彼は様々な名曲を作曲したのである。リストがみた天井であり、壁であり、リストが歩いた床なんて思うと、リストと空間を共 有している気がしたが、少しセンチメンタルになり過ぎだろう。

 いつまでも浸っているわけにいかず、もう一度受付に戻る。絵葉書を購入し、CDを見せてもらう。リストの全ヴァイオリンソナタ、ヴァイオリ ン小品 集、ベートーヴェンの全交響曲をリストがピアノ曲に編曲したCDをまとめて購入し、建物を後にした。

 通りをリスト音楽院に向けて歩く。途中何台もパトカーが通り過ぎる。ブダペストはあまり治安の良い街ではないようだ。結局リスト音楽院は発 見でき ず。今回行けなかったコダーイ・ゾルタン記念博物館を含め、いつか再び来る事を心の中で約束し、次の目的地へと向かう。

 ラーコーツィ通りを歩きエルジェーベト橋を渡る。ドナウ川が豊 かに流れその向こうに王宮が見える。ブダペストの街は、ドナウ川を挟ん で西が 「ブ ダ」、東が「ペスト」というのだ。このころ雨がかなり強く降り始めた。当然傘などなく、びしょ濡れになりながらひたすら歩く。橋を渡ってから右に曲がりド ナウ川沿いに歩いているとくさり橋が見えてきた。その手前 に目的とする「ゼンメルヴァイス医学歴史博物館」がある。

ゼンメルヴァイス医学歴史博物館

 ゼンメルヴァイス記念館の入り口入ると初老の女性が いて、温かく迎えてくれた。ゼンメルヴァイスというのは歴史上有名な産婦人科医で、彼の功績 は産褥 熱に対 するものだ。産褥熱の原因を立証し、塩素処理の水での手洗いなど消毒法を用いる事でほぼ予防する事に成功したのだ。彼の功績により産褥熱による母体の死亡 率は20〜30%から1%程度まで激減したといわれている。この記念館は彼の功績をたたえる他、医学史に関わる展示物が多数ある。受付で展示物を解説して いるプリントを受取る。解説は英語なのでなんとか理解できる。

 入り口付近に展示されているのは古代の宗教がかった道具で、亀の甲羅を始めとしてその他得体の知れない道具が展示されていた。この辺りはほ とんど 信仰の世界だ。時代が進むと整形外科の道具が増えてくる。戦争に伴う医学の進歩が感じられた。医学書らしきものも展示され始める。そうして展示物をみてい る途中に小部屋があり、入るとゼンメルヴァイスの書斎が再現されていた。彼の家族の写真や本棚を見て部屋を出た。そうすると今度は昔の解剖の教科書などが 展示されている部屋に出た。この頃の時代になるとようやく近代医学の香りが漂ってくる。俺もこういった医学者の端くれとして努力しなければと殊勝な 思いが湧き上がる。1番奥の部屋に入るとゼンメルヴァイス以外のハンガリー出身の医学者の資料室となっていた。外科、婦人科、眼科その他様々な科の医師達 の業績が称えられていた。医学を志す人間は一度は訪れる事を薦める。

 受付に戻り展示物を収録した写真集を2冊購入。受け付けの脇にはノートが置いてあり、過去訪れた人達が記念のサインをしていた。俺のサイン も最後 に追加。医師としてもう少しキャリアを積んで、学問をもう少し修めたらもう一度訪れる事を誓ってこの記念館を後にした。

 外に出ると雨は土砂降りになっていた。今日最後の目的地は「音楽史博物館」である。ハンガリーの音楽について勉強できるということで、雨の 中歩き 出す。ドナウ川沿いに北上する。途中「焼肉屋」を発見し、昼食を食 べていない事を思い出すがそのまま歩く。びしょ濡れな上に空腹でかなり惨めな思いもす る。何度か道に迷い、目的地について尋ねるが例によって誰も知らない。地図をみながら何とかあたりをつけ歩き続け、丘の上に目的地らしい場所を発見した。 しかし門は固く閉ざされている。「おかしいな?確か18時閉館なんだけどなぁ」と思いながら近くの店の人に聞くと「16時までだよ」と教えてくれた。日本 で買ったガイドブックに誤りがあったらしい。雨は豪雨となっていた。

 仕方ないので近くのヒルトンホテルへ入る。ホテルのレストランでハンガリーの伝統的な料理「グヤーシュ」とワインを堪能する。とても幸せな 気分に なり全ての疲れが吹き飛んだ。これでロマ(ジプシー)音楽が流れていれば最高だろうなぁ・・・。駅までは5キロ近くあるため、ホテルから安全なタクシーを 呼んでもらって乗りこんだ。

 駅についてから少し時間があったので駅の裏にある競馬場へ足を伸ばして見た。人っ子一人いない競馬場へ入っていく。暗くてほとんど見えな かった が、中はダートコースしか確認できなかった。そのまま駅へ戻る。

 駅につくとウィーン行きの列車が止まっており、「BOMBA! ENERGY DRINK B」なるジュースを買って乗り込む。普通のビタミン剤だが元気になりそうな名前だ。前の方の席では高校生くらいのウィーンの女性が携帯電話で話しこんでい る。どこの国でもあまり変わらない光景だ。電車は17:55に駅を出発し、21:26にSudbahnhofの駅に到着。そこからホテルに戻りすぐに寝 た。今日は5キロ以上歩いたが明日もきっとまた忙しい


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