シャコンヌ-オーケストラ編-
7月19日に紹介したバッハのシャコンヌ。これから色々な編曲を紹介していこうかと思います。
オーケストラ編曲としてはストコフスキー版と斎藤秀雄版が有名ですね。ストコフスキーは高名な指揮者でしたし、斎藤秀雄氏はチェリストとして或いは指導者として名を残しました。お二人とも残念ながら亡くなりましたが、斎藤秀雄氏の教え子らはサイトウ・キネン・オーケストラを作り、現在でも長野県松本市を中心に活動しています。教育のすばらしさを感じさせられます。斎藤秀雄氏はバッハの無伴奏曲に特に関心を寄せていたそうで、弟子達に楽譜を声部毎に色分けさせていたという話をどこかで読んだことがあります。ストコフスキーと斎藤秀雄の編曲を聴き比べてみるのも楽しいですね。ストコフスキーの編曲の方が有名ですが、個人的には斎藤秀雄氏の編曲の方が聴いていてワクワクします。
・Bach’s Chaconne for orchestra BWV 1004 (Stokowski’s transcription) – Part 1
・Bach’s Chaconne for orchestra BWV 1004 (Stokowski’s transcription) – Part 2
・Bach’s Chaconne for orchestra BWV 1004 (Hideo Saito’s transcription) – Part 1
・Bach’s Chaconne for orchestra BWV 1004 (Hideo Saito’s transcription) – Part 2
シャコンヌ
バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータには素晴らしい曲がたくさんありますが、最も有名なのがパルティータ第 2番最終楽章の「シャコンヌ」でしょう。私も好んで良く演奏する曲です。難易度が高いので人前で弾くのは嫌ですが・・・。
名演奏とよばれる録音はたくさんありますが、ここでは私がお気に入りのミルシテインの演奏を紹介しておきます。出だしの音が少しきつく聞こえるかもしれませんが、聴いているうちに引き込まれます。
・Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin – Part 1
・Bach BWV 1004 Chaconne Nathan Milstein Violin – Part 2
Henryk Szeryngもバッハの演奏にかけては凄く評価の高いヴァイオリニストです。一部分を Youtubeで見ることが出来ますのでこちらも紹介しておきます。
・Henryk Szeryng – chaconne
さて、このシャコンヌは色々と編曲されていることでもお馴染みです。ブラームスやブゾーニの編曲はピアノを弾かれる方なら御存知でしょうし、ストコフスキーはオーケストラ用に編曲しました。今後、編曲について少しブログで触れていきたいと思いますので御覧ください。
将棋と脳科学
「将棋と脳科学 (NPO法人 脳の世紀推進会議編, クバプロ)」を読み終えました。2009年 9月 30日に行われた第17回「脳の世紀」シンポジウムでの公演を収録した本です。
最初は羽生善治名人による「脳の可能性」という特別講演。定跡がデータベース化されていく中どのようにデータを扱うかや、現代将棋の特徴などについて、長考しているときの心理状態についてなどをわかりやすく講演しました。
棋士が一手に数時間長考しているとき、何を考えているかに興味がありますが、実は選択肢が選べなくて迷っている場合も多いらしく、羽生名人は「ここはこのように進めようって割り切れるときが、非常に調子のよいときになります」と述べられていました。
また目隠し将棋にも触れています。私も先日研修医と目隠し将棋をして何とか勝ちましたが、頭の中だけで一局駒を動かすのはなかなか大変な作業です。羽生名人は盤面を頭の中で4分割して覚えると話していましたが、私が指したときにも無意識のうちにそうしていました。ただ、私の場合、4分割した盤を統合しようとしても一つにくっつかないんですよね。佐藤康光九段はいっぺんに3人とか5人と目隠し対局出来るそうで、びっくりしました。
次の講演は中谷裕教氏の「将棋棋士の直感を脳活動から探る」でした。中谷氏は私が理化学研究所を訪れたとき話し込んだ研究者です。そのときの様子をブログ記事に書いたことがあります。今回の講演では、思考の小脳仮説について述べられていました。運動のモデルが小脳に蓄えられているとする考え方はかなり確立したものです。運動では手や足を動かしますが、思考ではイメージや概念を操作します。両者は学習効果や「何かを操作する」という点など共通する点が多いので、思考も運動と同じように小脳で扱われるのではないかというのが小脳仮説です。そこで直感について考えてみると、直感は「熟練者が無意識で自動的に、なおかつ素早く正確に」考えられた結果ですので、小脳が大きく関与しているのではないかと考えられます。中谷氏らの講演は、プロ棋士に脳波や fMRIを用いて行った実験などがふんだんに織り込まれていてとても面白いので、是非本書を読んでみてください。
近山隆氏はコンピューター将棋について講演をしました。人間は直感的に次に指す手、ないし数手先の局面を思いつき、それを検証していきますが、コンピューターには直感という方法がとれません。ルールで許される手を全て検証していくしかないのですが、一局最後までルール上可能な手を全部挙げると、全宇宙の素粒子数を上回るほどの可能性があるとも言われるくらいで、全部を検討するのは現実的には不可能です。そこで絞り込みが行われます。ミニ・マックス探索とか静的評価関数などといった方法がとられるのですが、こうした技法について初めて読んだのでとても新鮮でした。
笠井清登氏は統合失調症の脳病態について講演されました。将棋には直接関係ありませんでしたが、光トポグラフィーなど最近のトピックスを勉強することができました。
最後の講演は鍋倉淳一氏の「発達期の神経回路の再編成」でした。未熟期や脳損傷後の脳では大雑把な神経支配しかされていないので、大きな動きしかすることができません。例えば、赤ちゃんはチョキができないそうです。しかし、成長、あるいは神経損傷の回復に伴い余剰シナプスを除去することで、より選択制の高い運動ができるようになります。
GABAは神経細胞に対して通常抑制的に働きます。すなわちGABAによって Clチャネルが開くと、細胞内に Clが流入してきて細胞電位が下がるのです。しかし、未熟期では細胞内の Cl濃度の方が高いため、GABAによって Clチャネルが開くと細胞内から Clが流出し、細胞内電位は高くなります。すなわち GABAが興奮性に働くのです。これは非常に面白い現象だと思いました。脳損傷後の脳も、未熟期の脳と同じように GABAの抑制作用が減弱しているそうで、しばらくして徐々に GABAのはたらきが回復してくるそうです。未熟期からの脳の発達と、神経損傷の回復の共通点が見られて興味深いですね。
まだまだ面白い話はたくさんあるのですが、紹介しきれないので簡単に概要を紹介するに留めました。脳科学や将棋に興味がある方は是非読んでみてください。
口蹄疫
生産者に多大な被害を与えた口蹄疫。多くの家畜たちが殺処分とされましたが、生産者が悲痛な思いをブログにつづってらっしゃいます。
その口蹄疫も、対策の効果か 7月に入ってから下火となり、厚生労働省のサイトによると 7月4日以降発生はないようです。
以前から疑問に思っていたのですが、何故感染して助かった牛を殺さなければいけないのか、またワクチンを打った牛を殺さないといけないのか?あまり報道はされていませんが、その答えが Newton誌の 8月号に書いてありました。
日本は国際機関 OIE (国際獣疫事務局) に加盟しています。これに関連して「清浄国」という概念があります。「清浄国」は OIEによって口蹄疫ウイルスがない清浄な国であると認められた国で、日本はこれまでワクチン非接種清浄国でした。ワクチン非接種清浄国は 59カ国あり、これに認定されるとワクチン非接種清浄国以外からの畜産物の輸入を断ることができます。また国内の畜産物の価値が高まります。
ワクチン非接種清浄国に認定されるには、決められた数の家畜の血液を集めて、そこにウイルスに対する抗体がないことを示す必要があります。さらに 3ヶ月間、口蹄疫が発生していない必要があります。感染したりワクチンを打つと抗体が出来るため、認定されなくなってしまうのです。
殺処分には、感染を食い止める以外にもこうした複雑な事情があるのですね。一刻も早い問題の解決を願ってやみません。
ワインと外交
「ワインと外交 (西川恵著, 新潮新書)」を読み終えました。
ワインは良く飲みますが全然詳しくなく、外交に至っては全くの専門外です。そもそも一人の女性の気持ちすらわからんのに、他の国がわかるのか?といったところです。
それでも、未知の世界への興味というのはあるもので、本屋で手にとって一気に読んでしまいました。さまざまな会談での食事やワインのメニューが載っていて面白かったです。
料理はホスト国の特徴を生かしたものが用いられることが多く、宗教的に問題になるものは避けられます。ワインは食事に合わせてつけられることが多いようです。しかし、外交の場では料理にも意味が隠されているということがあります。米国のブッシュ大統領がフランスを訪れた際にはフレンチフライが出されました。実はフレンチフライには曰くがあります。詳しくは Wikipediaで見て頂きたいのですが、イラク戦争に関連して起こった米国での反仏運動で象徴となった食べ物です。会談の中でブッシュ大統領は笑いながら食べたと言います。
皇室とモロッコの交流が深まったのは比較的最近のことでした。モロッコのモハメド皇太子が日本に訪問する前、日本のことを勉強する必要性に迫られ、日本側に「適任者をモロッコに差し向けて欲しい」と要請。そのときに約1週間講義を行ったのが、あの舛添要一東大助教授でした。モハメド皇太子はその後国王になりましたが、日本での迎賓館に滞在中、日本人料理人をいたく気に入り、王宮に招いてお抱え料理人にしたらしいです。
2000年の天皇陛下のオランダ訪問は、かなりの障害を乗り越えて行われました。戦争捕虜虐待問題やオランダ人慰安婦問題などが障壁となり、天皇陛下が国賓としてオランダを訪れたのは戦後初めてのことでした。オランダ植民地であったインドネシアを日本軍が占領した後、日本の強制収容所に入れられたオランダ人は約 17%亡くなったとされています。これはシベリア抑留で亡くなった日本人戦争捕虜の約 12%を上回る数字らしいです。日本政府は「平和友好交流計画」「償い事業」などを通じて地道に交渉を続け、会談が実現しました。
オランダ人被害者達のデモを回避するために関係者は奔走し、無事に天皇皇后両陛下が慰霊塔に黙祷を捧げたとき、オランダのベアトリックス女王の目に涙が光っていたといいます。晩餐会でベアトリックス女王は、オランダ船リーフデ号の漂着から日蘭交流は始まりましたが「リーフデ」はオランダ語で「愛」の意であること、「歴史の役割は、思い出すことのみではなく、将来への意味を与えることにある」など素晴らしい歓迎のスピーチをしました。晩餐会が成功に終わったあと、ベアトリックス女王はガッツポーズのような仕草をしたと書かれています。こういう話を通じて、天皇の海外訪問とその晩餐会は外交的に大きな意味を持っていることを知りました。
沖縄サミットでは、小渕首相は饗宴に心を砕いていたらしく劇団四季の浅利慶太氏に相談しました。浅利氏は音楽評論家の安倍寧氏を首相に紹介し、安倍氏は辻調理専門学校理事長の辻芳樹氏やソムリエの田崎真也氏らを集めてサミット晩餐会を成功に導いたらしいです。小渕首相は 2004年4月2日に脳梗塞で倒れるまで、時間があるとワインのサービスのビデオを見ていたといいます。初めて知る話でした。
新聞には書かれない外交の裏側について、食とワインという側から書かれた本で、読みやすく、お薦めの一冊です。
杉ちゃん&鉄平
6月28日のブログで、スーパーマリオブラザーズに合わせて演奏するヴァイオリニストを紹介しました。
そのヴァイオリニスト鉄平がピアニストの杉ちゃんと組んで演奏する、「杉ちゃん&鉄平」。有名な二つの曲を融合させたユーモアたっぷりの演奏が Youtubeで見られます。
DUDLEY MOORE
ダドリー・ムーアという俳優さん。自身が音楽家であったのですが、面白い作品をたくさん残しています。
私の一番のお薦めは、何と言っても「Beethoven Sonata Parody」です。全然別の曲の主題用いてベートーヴェンのピアノソナタ風に演奏しています。どこからどう聴いてもベートーヴェンですので是非聴いてみてください。主題が執拗に繰り返されるあたりはいかにもです。曲がなかなか終わらないあたりなど、ユーモアたっぷりです。
・Dudley Moore Beethoven Sonata Parody 1
何と、6月12日に紹介した Muppet Showという番組にムーアが登場しているのを見つけました。これも面白い。
ムーアのことを調べていたら、彼が進行性核上性麻痺で亡くなっていることを知りました。自分の専門領域の病気であり、ビックリしました。ご冥福をお祈り致します。
病院の窓から
「病院の窓から (島村喜久治・野村実・正木不如丘著、学生社版)」を読み終えました。「物理学者の心」「医学への道」と紹介してきた科学随筆文庫シリーズの一冊です。
島村喜久治氏は巻末の略歴を見ると岡山県出身なのだそうです。同郷ということで、少し親近感が湧きました。生物学者志望だったそうなのですが、生計が苦しかったので医師を目指したとされています。医師になった動機がそのようなものであったからこそ、逆に生計が立てば儲けるつもりはなかったと述懐されています。東京大学医学部を卒業しましたが、「医学部は、卒業しても研究室(医局)に無給で残って、教授に頤使されなければ学位も貰えず一人前にもなれないというルール」があったこともあり、昭和12年、当時ミゼラブルな疾患であった結核の治療を志しました。
「院長日誌」というエッセイは、都立府中清瀬病院の院長時代を書いたものです。なお、都立府中清瀬病院は後に国立清瀬病院を経て、国立療養所東京病院と改称されました。
乏しい予算を工面して何とか退院時に赤飯を出せるように奔走した話、生活保護法と結核予防法の板挟みになった話(当時は制度の併用が難しかった)、自殺しかけた患者に家族が「いっそ、そのまま死んでくれた方がよかった」とつぶやいた話(自宅療養を続ける必要のあった結核は、かえって家族に厄介と思われていた)、暇をもてあました政治患者たちとの戦い・・・。ストレスからか胃潰瘍を発症し、「こうして、私は、徹底的に愛し切れず、かと言って徹底的に憎み切れない患者たちの院長として、夏目漱石のように胃薬ばかり飲みながら、院長室に坐って」いた話が記されています。
島村氏は先進的な考え方を持っていて、「憂楽帳」というエッセイでは「妻が夫から独立して自分自身の社会的活動をもつ段階。これが妻の社会的進化論である」と書いてらっしゃいます。昭和初期としては画期的な意見だと思います。一方で、「世の主婦たちよ。中年すぎての美容法もいいが、もっと大切なのは心の美容法である」と耳の痛いことも述べています。
「憂楽帳」で特筆すべきは「七つの注文」という項。新聞記者が気をつけないといけないことが書いてあるのですが、今の時代でもそのまま通用しますね。その7つを列挙します。
①報道は客観的に
②センセーショナリズム自粛のこと
③記事の裏には被害者が生じることの自戒
④東京中心主義の反省
⑤科学記事、特に影響力の大きい医学記事は慎重に。
⑥読者の批判精神を引き出して、世論を読者に作らせる指導を
⑦広告にも責任をもつこと。化粧品と薬品には誇大広告が多すぎるし、映画の広告はあくどすぎる。
本書二人目のエッセイストは野村実氏。彼は大正九年に内村鑑三の話を聞いて一日でキリスト教徒になりました。エッセイの端々に信仰について出てくるのですが、それほど宗教じみた話が多い訳ではなく、本質は「生と死を受け入れること」であるように感じました。死にゆく患者さんたちとの付き合いを通じて、それをどう受けいれていけば良いのか、内面的な葛藤が赤裸々につづられています。
野村実氏は九州大学を卒業し、結核の診療に従事していました。昭和初期の結核病院では、入院患者の半数以上が死亡していたそうです。そのような過酷な状況下におかれた患者達にとって、野村氏のように向き合って心まで診てくれる医師と巡りあえたことは、不幸中の幸いであったように感じました。
野村氏はしばらくアフリカを訪れ、シュバイツァーと働いています。シュバイツァーが作った診療所にはハンセン病の患者が非常に多かったそうです。シュバイツァーの精力的な一日や黒人達の生活などは「シュバイツァー博士と共に」というエッセイで生き生きと描かれています。シュバイツァーはピアノが上手だったらしく、夜な夜なバッハのフーガを演奏していたそうです。このエッセイで初めて知ったのは、シュバイツァーが30歳代から書痙で悩んでいたということです。シュバイツァーは自身は遺伝と言っていました。それでも多くの著書を残していることに感銘を受けました。
野村氏のシュバイツァー談義には後日談があります。シュバイツァーは生き物を殺すのを非常に嫌い、診療所は「巡回動物園」と呼ばれるほど動物が我が物顔で歩いていました。放し飼いの犬、猫、猿、豚、野猪、山羊、アヒルの群れ達・・・。野村氏はシュバイツァーに「先生は動物を殺すなというけれど、治療で細菌を殺しているじゃないですか。細菌だって生き物でしょ?」と聞いたことがあるらしいのです。そうするとシュバイツァーはしばらく困った後に「あれは悪者だから良いんだ」というようなことを言ったらしいです。私の知人が野村氏の講演を聴いて教えてくれました。そんなことを聞く野村氏も野村氏ですけれど、そんな会話が出来る間柄だったのですね。
最後のエッセイストは正木不如丘(ふじょきゅう)氏。東京帝国大学医科大学を卒業し、大正五年に福島市福島共立病院で副院長を務められています。彼も島村氏や野村氏同様、結核診療に従事していました。自分の周りの医師や患者についてのエッセイが主ですが、諧謔に富んでいます。とは言っても、少し不謹慎に感じる話も多いですが。
正木氏はパスツール研究所に留学していたせいか、研究に関する話も残しています。「すべて研究というものは運と鈍と根の三拍子が揃わないと完成されぬものだと言われている」と述べているところに、先日紹介した寺田寅彦氏のエッセイ「科学者とあたま」を思い出しました。
タイトルからはわかりませんでしたが、本書のテーマは「結核」にあると思います。現代においても結核は静かに流行していますが、診療報酬などの問題から敬遠する病院も多いのが現状です。