Category: 雑感

発熱

By , 2015年1月6日 6:48 AM

新年早々、1月4日に発熱してしまいました。インフルエンザだったら困るので、1月5日は病棟に行かず、マスクして医局の隅っこのパソコンから電子カルテを使った遠隔医療。長引くとヤバいなと思っていたのですが、帰宅して体温を測ると解熱していました。普通の風邪だったのでしょうか。早く治って良かった (^ ^)

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謹賀新年

By , 2015年1月6日 6:46 AM

あけましておめでとうございます。達成率がほぼゼロでお馴染みの新年の抱負です。

・医学/神経学

新しいことに挑戦したいと思っています。一つには、臨床試験を深く解釈したり、自分で臨床試験を計画するために、臨床疫学をもっと勉強したいです。もう一つは、これまでほぼスルーしてきた、中枢神経の電気生理学に手を出してみようと思っています。

・音楽

レコーダーを購入して、自分の演奏を録音し、欠点が多くみつけられるようになったので、まずはその欠点を改善していきたいです。また、親友の結婚式で演奏を頼まれていて、バッハの無伴奏曲を弾くのが、当面の目標です。

・乗馬

引き続き駈歩の練習です。あとは、速歩を立ったままできるように、足の位置をきちんとして、重心を安定させたいです。

・その他

荷物が多くて部屋がいっぱいになったのと、過去に買った安物の家具がどんどん崩壊してきている (例えば、タンスは引き出しの扉が外れているし、ベッドは床が抜けている) ので、その辺を全部一新することを兼ねて引越をしたいと思っています。

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年末年始

By , 2014年12月31日 6:13 PM

12月26日 (金) から数日間の冬休みを頂きました。ところが、冬休みということを忘れていて、26日は午前 5時に起床して出勤。上司から「何でいるの?」と言われました。その日は、細々した事務仕事だけして帰宅。

27日 (土) に岡山県の実家に帰省し、28日 (日) は大山乗馬センターへ乗馬に出かけました。練習間隔が開くと、なかなか上達しないものですね。私の前後のレッスンに、凄く綺麗な女性がいたので声をかけようかと思ったのですが、妹夫婦が近くにいたので自重しました。結局、実家には二泊し、29日 (月) に東京に戻りました。

30日 (火) は仙台を散策。Ingressで新しいポータルを探訪したり、国分町で飲み歩くなど、羽を伸ばしました。

31日 (水) は秋田で当直、1月1日 (水) も引き続き日直です。年末年始は近隣の医療機関が閉まっているのと、インフルエンザの流行で、かなり忙しい当直になります。また、1日は秋田新幹線が運休になるかもしれないという穏やかならざる情報があって、ヒヤヒヤしています。2日 (木) は千葉で日直の予定なので、東京まで帰れないと大変です。

私の年末年始の予定は、こんなところです。

それでは、皆様良いお年を。

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だったらこうしてみたら

By , 2014年12月16日 5:57 AM

最近見て感動した動画です。こういうことを喋れるように歳を重ねられたらと思います。

人生は一度きり、ぶっつけ本番なんです。

(追記, 2017.1.29)
上記リンク切れですが、下記で見ることが可能です。
・Hope invites | Tsutomu Uematsu | TEDxSapporo

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めがねめがね

By , 2014年12月12日 6:08 AM

昨日朝、シャワーを浴びた後に眼鏡のレンズを拭いていたら、レンズがフレームから外れてしまいました。以前に草野球で打球が当たったりして、フレームが歪んでいたのが原因と思います。
外勤を終えて眼鏡屋に行ったら、前回購入したのが 5年前だったので、買い換えることにしました。

視力測定では右眼の近視が改善傾向・・・。遠視の始まりを意味しているそうです (/_;)

フレームは、「ファッションには全く興味がないので、前回と同じで良いです」と伝えたのですが、女性店員がやけに熱心に色々と勧めてきました。全部スルーしていたものの、最後に「これが将棋の羽生さんがつけているのと同じです」と言われて陥落。それにしてしまいました。シャルマンのラインアートという眼鏡です。

本当かなと思って Twitterで呟いたら、下記のサイトを教えて頂きました。どうやら本当のようです。これで、一歩鬼畜メガネに近づいた気がします (違

『ラインアート』のメガネ

有名人の眼鏡  羽生善治さん

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東京書庫

By , 2014年12月10日 5:51 AM

周囲の医師たちを見ていて、私は割と本を沢山購入する方だと思います。興味を持った医学書はその場で買うようにしているので、知らず知らずのうちに本が溜まってしまいます。

困るのが置き場所です。都内だと特に狭い物件が多く、収納スペースが限られます。都心部から離れた比較的家賃の安い練馬で広めの家を部屋を借りていますが、本棚 6~7個が埋まった後は、本を床に積んでいる状態です。自炊は、コストや手間がかかりますし、やはり紙媒体で持っておきたいものです。

そこで、知人から教えてもらい、本を預けるサービスを使うことにしました。

東京書庫

割とリーズナブルな値段で預けることが出来、満足しています。預けた本のリストを CD-ROMで送って貰うこともできます。預けた当初は部屋がスッキリしました。

しかし、ダンボール 10箱預けた後、再び本棚が埋まりつつ・・・ orz

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我々はどこから来たのか

By , 2014年11月12日 8:17 AM

日経サイエンス 2014年12月号が「人類進化」特集でした。私が高校生の頃に勉強した内容が次々と覆されていて、興味深く読みました。

従来の説:最初のホミニン (ヒト属) が 440万年以上前に東アフリカに出現し、我々ホモ属が 200万年より少し前に現れた。ホミニンは 100万年より少し前まではアフリカ大陸を出ることはなく、その後になって徐々に拡散した。新しい土地に住み着く過程でユーラシア大陸にネアンデルタール人などホモ属の新種が登場。これらの種はホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に広がるまでの数十万年間繁栄した。ホモ・サピエンスの勢力が増すにつれて、旧人類は絶滅に追いやられた。新旧人類間に交わりはなかった。3万年前には、生き残ったホミニンはホモ・サピエンスだけになっていた。

現在わかってきたこと:ジュラブ砂漠で見つかった 700万年前の化石は、最古の人類の化石の記録を 200万年以上も伸ばし、ホミニンが西アフリカに現れた可能性を高めた。また南アフリカで見つかった 200万年近く前の化石は、ホモ属が東アフリカでなくアフリカ南部に現れた可能性を示唆している。グルジア共和国で見つかった 178万年前の化石は、ホミニンがこれまで考えられていたより数十万年前にアフリカを出発し始めたことを示している。さらに、17000年前までインドネシアに生息していた新種のホミニンが見つかった。遺伝学的研究は、現生人類とネアンデルタール人の間に混血があったことを明らかにした。非アフリカ系の人々のゲノムの最大 3%がネアンデルタール人由来とされている。デニソワ人もホモ・サピエンスとの混血があったことが確認された。デニソワ人由来の遺伝子は、チベット人が酸素が希薄な高地で生活するのを助けている。

驚くべき研究の進歩だと思います。この記事を読むまでは、ここまで定説が覆されていたのを全く知りませんでした。こういう話題に興味がある方は、是非実際に雑誌を読んでみて頂きたいと思います。この号には、ノーベル賞を受賞した中村修二氏の 1994年10月当時のインタビューも再録されています。彼がどのようにして技術的な壁を乗り越えていったかがありありと伝わってきます。

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爆撃下のガザで医師たちが人命救助の合い間にツイートした痛ましい話

By , 2014年8月30日 6:56 AM

シリアやイラク、ウクライナなど、内戦の悲惨な状況が連日のように報道されていますが、その中でもイスラエルのガザ地区は最も民間人犠牲者の多い地区の一つです。
ガザ地区では、病院もイスラエル軍の攻撃の対象になっています。そうした病院で働く医師たちのツイートを見て、心が痛みました。

爆撃下のガザで医師たちが人命救助の合い間にツイートした痛ましい話

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誕生日

By , 2014年8月30日 6:18 AM

もはや何回目かもわからなくなった誕生日を、当直室のベッドの上で迎えました。 以上、業務連絡終了です。

・Happy Birthday Variation 1_Hong Kong Pure Strings

・Peter Heidrich – Happy Birthday Variations

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ある科学者の死と報道

By , 2014年8月12日 6:08 AM

STAP細胞に関する論文疑惑で渦中に合った笹井芳樹氏が亡くなりました。お悔やみを申し上げます。

笹井氏の死について、科学者の小野昌弘氏が胸に刺さる詩を書いています。

科学者の死

亡くなるまで知りませんでしたが、笹井氏は、昔医師として筋萎縮性側索硬化症や脊髄小脳変性症の患者さんの診療にあたっていたそうです。臨床現場でこうした疾患を診て、なんとかしたいという思いが基礎医学の研究を始めるモチベーションになるのは、昔の私もそうだったのでよくわかります。私の場合は、才能と努力の問題で、彼のようにずっと基礎医学を続けることにはなりませんでしたが。

笹井芳樹博士が語った「これまでの道のり」と「再生医療の未来」

もともとは内科医だとうかがっています。

──1980年代後半に研修医として,大学病院ではなく臨床の最前線だった病院に入りました。これからの医学に必要なことを肌で感じたいと思ったのです。
当時,脳のようすを撮影できるCTやMRIが通常の診療にも使えるようになり,高精度で診断できる病気がふえていました。ですが,神経の難病には,治療法や特効薬はないものが多かった。たとえば,いずれも運動障害がおきるALS(筋萎縮性側索硬化症)や脊髄小脳変性症などの患者さんも担当しました。そうしたなかで,体の中で脳がいちばんわかっておらず,脳がいたんだときの病気はいたましいことを知ったのです。

なぜ基礎研究をはじめたのですか?

──治療法を探るにしても,臨床医として研究できる範囲は限られると思ったことが一つです。また当時,脳の神経細胞ではたらく遺伝子の機能を,ごくわずかな細胞からでも調べることのできる分子神経生物学がちょうどはじまったころでした。これは革新的かもしれないと思い,大学院に進んで研究をはじめました。

笹井氏がどれほどまでに優れた研究をしてきたかは、下記のサイトで初めて知りました。科学界にとっては大きな損失です。

笹井芳樹博士が科学界に遺した、偉大な業績まとめ

さて、今回取り上げたいのは、彼の死に関する報道です。自殺を大きく報道すればするほど自殺率が上がるなどとする説が知られてます。ウェルテル効果というらしいです。そして自殺の連鎖を防ぐため、内閣府のサイトでは、WHOガイドラインを紹介しています。

自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)

ところが、今回の笹井芳樹氏の件では、この WHOガイドラインに反して、自殺の具体的な場所や手段までもが、大手メディアにより繰り返し報道されました。そこで、私の知人が NHKを始め多くの報道機関に抗議文を送っています。今後は適正な報道がなされるようになることを願ってやみません。

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