F. A. E.のソナタ

By , 2008年9月26日 12:10 AM

 

F. A. E.のソナタ」を聴いて、良い曲だなと思い、楽譜を買ってきて練習しています。この曲は、ディートリヒ、シューマン、ブラームスがヨアヒムのために作曲しました。

音名として、「F」は「ファ」、「A」は「ラ」、「E」は「ミ」ですね。曲の主題がこの三つの音になっているのですが、さて、FAEとは何のことなんでしょうか?

門馬直美氏が「ブラームス (春秋社)」で詳細を述べていますので、引用します。

 ヨーアヒムは、1853年10月27日、シューマン指揮の予約演奏会で、自作のヴァイオリンと管弦楽のための≪幻想曲≫を演奏することになっていた。ヨーアヒムは、これがシューマンの指揮するデュッセルドルフでのおそらく最後の演奏会になるだろうと予感していたようである。

デュッセルドルフに到着したヨーアヒムを迎える人のなかに、可愛らしい少女ギーゼラ・フォン・アルニムがいて、ヨーアヒムに花籠をさしだした。その花の下には、ヴァイオリン・ソナタイ短調の手書きの楽譜があり、その包み紙にはシューマンの手でつぎのように記されてあった。

F. A. E.敬愛するヨーゼフ・ヨアヒムの到着を期待して、ロベルト・シューマン、アルベルト・ディートリヒ、およびヨハネス・ブラームスがこのソナタを書いた。

このソナタは、おそらくシューマンの発案によって生まれたようで、ヨーアヒムのモットー (frei aber einsam [自由に、しかし孤独に]) のF. A. E. の音進行をおりこんだ主題を四つの楽章においている。その和声にモットーが秘められている。ヨーアヒムは、早速このソナタをブラームスと演奏し、即座に各楽章の作曲者を当てたのだった。その第一楽章アレグロはディートリヒの作、ヘ長調の第二楽章「間奏曲」はシューマンの手になるもので、ハ短調のスケルツォはブラームスの作曲、第四楽章はシューマンの書いたものとなっている。

ヨーアヒムはこのソナタの手稿楽譜を所有していたが、これを印刷しようとはしなかった。現在この楽譜は、ベルリンの国立図書館に保管されていて、それはマグデブルクのハインリヒスホーフェン社から1935年にはじめて出版された。ただし、ブラームスのスケルツォ楽章だけは、ブラームスの晩年の親友でウィーンの学友協会の司書をしていた音楽学者のオイゼヴィウス・マンディチェウスキ (1857-1927) がベルリンの図書館で複写をし、1906年にウィーンのブラームス協会から出版した。

その一方で、シューマンは、自分の書いた第二楽章に未練があったらしく、しかもソナタ全曲を自分の手でということで、10月29日から11月1日にかけて作曲した。これは、シューマンのヴァイオリン・ソナタの第三番となる。ヨーアヒムは、「書き加えられた二つの楽章は、集中的でエネルギッシュな点で、以前の二つの楽章とみごとに調和している。これはまさに別のひとつのソナタである」とのべた。しかしこの新しいソナタは、ほとんど演奏される機会に恵まれなかった。しかも楽譜が出版されたのは、シューマンが亡くなってから100年たった1956年のことである (ショット社)。

この曲は、第三楽章が最も有名かもしれません。ハイフェッツが好んで演奏していますね。情熱的で、ジプシー風の要素もあり、極めてブラームスらしいと思います。

このソナタ全曲が演奏されたCDを私は 2枚持っています。一つは「Felica Terpitz (Vn) / Barbara Witter (Pf)」で、情熱的な演奏です。ロマン派らしく演奏され、不満はありません。もう一つは、「Isabelle van Keulen (Vn) / Ronald Brautigam (Pf)」です。抑制的に始まる一方で、後半になるに従いどんどん盛り上がり、曲の構成を考えた演奏となっています。理知的な演奏だと思います。Isabelle van Keulenは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を原典版で演奏したり、知的好奇心が豊富な方で、好感が持てます。

さて、好きな言葉の頭文字を作曲に活かすというのは、古くはバッハが自分の名前の頭文字である「B」「A」「C」「H」をフーガのテーマに使ったりもしていますが、ブラームスも後に用いる手法となります。前述の門馬氏の本から引用しましょう。

ブラームスはまた、ヨーアヒムが自分の作品のモットーとして、ヘ-イ-ホという三つの音の進行を、曲の冒頭や重要な主題で好んで使っていることを知る。これはドイツ語の frei aber einsam (自由に、しかし孤独に) の三語のイニシャルの F-A-Eを音名化したことによるもの。ヨーアヒムの個人的な心情-孤独を愛していたとか、孤独に憧れていたとか-とは別問題として、このモットーはl、いかにもヴァイオリニストが考えつきそうなものであるといえよう。なぜなら A (イ) と E (ホ) はヴァイオリンの四本の弦のうちの開放弦の音でもあるから。

ブラームスはゲッティンゲンを去ってから、ライン川沿岸の徒歩旅行にひとりで出発した。ヨーアヒムは、別れ際にシューマンを訪問するように強く勧めた。ブラームスは旅の途中で、ヨーアヒムの「自由に、しかし孤独に」を何回も想いだしたに違いない。その一方で沿岸の壮大な美観に思わず歓声をあげ、ヨーアヒムのモットーを少しだけ変化させたヘ-イ-ヘというモットーをさわやかな朝に思いついたという。

これは、ブラームスのモットーと呼ばれているもので、ドイツ語の frei aber frohの各語のイニシャルによる音名である。そしてこのドイツ語は「自由に、しかし楽しく」の意味で、まさにブラームスのその頃の心境を端的に伝えているといえよう。この進行は、長三度を基礎とし、明るく、そのイ-ヘの短六度の上行によって喜びや憧れをもたらす。もちろんブラームスのこのモットーにしても、ヨーアヒムのものにしても、移調してあらわれることもあれば、長三度を短三度にして使われることもある。

ブラームスが自分のモットーをはじめて具体的に使用したのは1854年夏にデュッセルドルフで作曲したニ長調の≪バラード≫作品10の2の冒頭である。これは当然ながら、Fではなくて Fisの音を使っており、短三度で始まる。また、1883年夏の第三交響曲の最初は、曲がヘ長調であるにもかかわらず、F-As-Fとなっており、やはり短三度ではじまる。

なんてオシャレな作曲の技法なんでしょうと思ってしまいます。こうした予備知識を元に、曲を聴き直してみると、また違って聞こえて楽しいと思います。

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