神経学の源流1 ババンスキーとともに-(7)

By , 2008年12月29日 12:23 AM

最終章である第8章は神経症候学的序論です。「故意におこしえない客観的症状について、その法医学における重要性について (1904年)」、「臨床における問診および主観的症状に関する 2, 3 の考察 (1925年)」が収載されています。かの Charcot がヒステリーと器質的疾患の鑑別に四苦八苦していたように、神経学に関わる臨床家達にとって、ヒステリーと器質的疾患の鑑別は悩ましい問題でした。Babinski は過去の知見をまとめ、自分で考え出した診察法と合わせて一つの体系を作りました。今日でもヒステリーと器質的疾患の鑑別は甚だ困難なことがあり、ヒステリーと間違えて器質的疾患を見逃したり、ヒステリーの患者を器質的疾患と誤診して過剰な治療を施してしまったりすることも稀に見かけます。自戒を込めて、Babinski が述べた一つの体系を紹介しておくのは、大切なことなのかもしれません。

まず最初の論文、「故意におこしえない客観的症状について、その法医学における重要性について」です。Babinski は、症状が主観的と客観的の 2種類に分けられると述べます。主観的症状は、「医師が自己の感覚をもって確かめるすべのないもの」であり、「患者だけが知覚しうるもの」です。「痛い」とか「苦しい」などの訴えであって、証明が出来ないものです。一方で、客観的現象は医師自らが知覚できるものです。ただ注意しなければいけないのは、客観的現象と考えられているもののうち、患者が演じられるものがあるということです。麻痺の中にも患者が演じられるものがあります。例えば、橈骨神経麻痺に伴う垂手 (chute de la main) は演じることが出来るのですが、前腕を上腕に対して強く屈曲させると、橈骨神経麻痺の患者では上腕の前部の筋の収縮と腕橈骨筋 (long supinateur = M. brachioradialis) の収縮が不随意にばらばらに解離してしまいますが、これは真似の出来ない症候です。正常人が演じた場合には、二頭筋が強く収縮したときに腕橈骨筋が索として認められるでしょう。このように演じられない症候としては、動眼神経麻痺で散瞳や瞳孔硬直が起こすことや、両眼視の運動を解離させることは正常者には出来ません。例えば、一見右側顔面けいれんのように見えて、ヒステリー性片麻痺だと思われる症例において左眼のBell現象が見られれば、左顔面麻痺であることがわかります。これはBell現象が演じられない症状だからです。その他、ヒステリーと器質的疾患の鑑別に役立つものとして、腱反射、筋緊張の低下、大腿骨盤連合屈曲運動、広頸筋徴候、皮膚反射、足指現象などがあります。

興味深いのは、電気刺激などに関する記載を Babinski がしていることです。神経および筋の電気的被刺激性についての考察で、神経の電気的被刺激性の消失、筋の感応電流収縮の消失、筋のヴォルタ電気被刺激性の増大、収縮の遅滞、正常像の逆転といった過去の知見を取り上げています。電気生理学的検査の黎明期の時代ですね。

てんかん発作はしばしばヒステリーと鑑別が必要なものですが、真似の出来ないヒステリーの徴候として、Babinski は足指現象とチアノーゼを挙げてます。また、尿失禁について、患者を裸にして診察したときに、尿が噴出せず1滴1滴しみ出るように出てくるのならば、客観的現象であるとしています (意図して尿を出そうとすると、勢い良く出てしまうのですが、染み出るような出方は、演じることが出来ないためです)。裸にして排尿する姿を見るなど探求心が旺盛なことにびっくりさせられます。診断のため、そこまで・・・と思わされます。現代の日本で行うと、却って患者に不信感を持たれてしまうかも知れませんが・・・(^^;

二本目の論文は「臨床における問診および主観的症状に関する 2, 3 の考察」です。この論文も主観的症状と客観的症状がテーマとなっていますが、Babinski 自身の経験を数例提示し、どのように鑑別診断を下したかを具体的に述べています。問診のポイントも書いてあります。例えば、知覚障害の診断には、どのような問診の仕方が良いのでしょうか?

 臨床における問診および主観的症状に関する 2, 3 の考察

知覚をしらべる前に、私はさしあたり、患者に対してさわられたり、ちくりとした感じ、あるいはどんな感じでもよいからなにか感じたらすぐ知らせるようにといってきかせる。ついで、目をとじさせ、皮膚のいろいろな場所、あるときは左側、あるときは右側にという具合に、穴熊の毛でつくった筆、針の尖端、熱いものならびに冷たいものをあててみる。ついで上肢と下肢のいろいろな部分について受動運動をやらせてみ、最後にいろいろな形の物体をさわらせてみるのである。すぐ答をえられない場合は、「どういう感じがしますか?」ときくにとどめ、「私のやっていることを感じますか?」とか「一側と他側は感じが同じですか」というような質問は決してしない。なぜならば、あとのようなきき方をすると、それがすでに暗示の出発点になることがあるからである。このようなやり方をするようになってから何年にもなるが、私に診察をうける以前に一度も神経学的検査をうけたことのない人で、一側知覚脱失を呈した例を1例もみたことがない。もちろんこれは特別の発作のようなまごうことなきヒステリー症状を呈した患者を対象にしての話である。

私もついつい「右と左で感じ方は違いますか?」と尋ねることが多く、脳卒中の診療では問題ないと思いますが、ヒステリーの診断学を考える上では、問題があるかもしれません。Babinski が一つ一つの診察法に細心の注意を払っていたことを彷彿とさせる話です。今日では、感覚障害であれば Sensory evoked potential (SEP) や Nerve conduction study (NCS)、運動麻痺であれば 針筋電図 (non-organic patternの所見の有無), 磁気刺激などの優れた検査方法があり、電気生理学的検査に精通した医師が診れば、診断に役立つツールは格段に増えていますが、症候学はその基礎にあるものです。

本書を読み終えて、100年前の学問が色あせず、今でも神経学の中心にあることを感じましたし、ガルサン教授のおっしゃる「それは古典だよ」という意味が、何となくわかる気がしました。

本書は 1968年 12月 10日に発行されていますが、絶版になってしまっているようです。紀伊国屋のサイトでも「入手不可のため注文できません。」となっています。私は何とかネットの古本屋で見つけたのですが、このような良書の復刻を望んでやみません。

※このエントリーを書くにあたって、フランス語表記が上手くできなかったので、実際のスペルは原著を参照ください。


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