鯨の話

By , 2010年5月25日 2:42 PM

「鯨の話 (小川鼎三著、中央公論社)」を読み終えました。小川鼎三先生については、先日「医学用語の起り」という著書を紹介しましたね。ちなみに小川鼎三先生の師が布施現之助先生で、布施現之助先生の師は Monakow症候群で名を残した Constantin von Monakowになります。

本書は、小川鼎三先生の「鯨の研究」「シーボルトと日本の鯨」「鯨の後あしについて」「鯨をおそうシャチの話」「金華山の沖にて」「ひと昔とふた昔まえ」「スカンジナヴィア鯨めぐり」「ガンジス河にクジラを追う」という著作を収録したものです。それぞれ昭和 20~30年代に書かれたもので、今とは鯨の分類法がかなり違います。しかし、江戸時代の文献や海外の文献を照らし合わせ、自分で観察を加えながら鯨の研究を続ける姿勢に読んでいて気持ちが高ぶりました。彼が研究していた時代の雰囲気を伝えるために、このエントリーでは当時の分類に基づいて記載します。

以下、本書で興味を持った部分を抜粋します。小川鼎三先生は文章力も素晴らしいので、是非購入して読まれることを勧めます。

・鯨類は大別すると歯鯨と髭鯨に大別される。歯鯨は概して体が小さく、体長10mを超えるものはマッコウクジラとツチクジラくらいである。イルカやシャチは歯鯨に属する。髭鯨は図体が概して大きく、肉や脂も食料として優れる。シロナガスクジラの体重を100トンとして計算すると、およそ30頭の象、180頭の牛に相当する。(鯨の研究)

・わが国で鯨をとりはじめたのは、和田義盛が鎌倉で敗れたとき、一族が逃れて紀州の海岸に住み、熊野灘の鯨を突いてとる仕事を始めたのが最初であるといわれる。その後は網にからませて銛などをもって殺すことが考え出され、江戸時代後期には各地に鯨組というのができて、多数の鯨をとった。そのころ捕獲されたのが「セミクジラ(背美鯨)」であったが、激減し、国際捕鯨条約で捕獲が禁止された。(鯨の研究)

・明治32年頃から少しずつノルウェー式捕鯨がおこなわれはじめた。これは銛を大砲で鯨の体内に打ち込むが、銛の先端は内部の火薬のため爆発して鯨体の内部に大きな傷をおこさせ、銛の大部分は鯨体にくいこんだまま残って、銛網によって捕鯨船に引かれるのである。(鯨の研究)

・鯨は繁殖力が弱く、妊娠期間は10~15ヶ月でしかも一頭しか生まない。昭和24年に書かれた本論文「鯨の研究」でも絶滅が危惧されている。(鯨の研究)

・鯨類の脳は脳溝が非常に発達している。小川鼎三先生がマイルカの脳の研究を始めたとき、色々なイルカを「マイルカ」として持ち込んだ人がいて、どれが本当の「マイルカ」かわからなかった。イルカの分類が曖昧で学名が決定できないため、脳の研究に支障が出てきた。それで頻繁に塩釜港に通いイルカを手に入れ、学名の研究を始めた。これが小川鼎三先生の鯨研究のスタートであった。(鯨の研究)

・昭和7年に小川鼎三先生は「斎藤報恩会時報」にイルカの分類について所見を記した。ここで動物学専攻の人々からかなり注目を受け、フォカエノイデス・ダリ (Phocaenoides dalli (TRUE)) は「オガワイルカ」という学名が与えられた。しかし小川鼎三先生はこのイルカがフォカエノイデス・トルーエイ (Phocaenoides truei ANDREWS) と本当に別種であるか疑問に思っている。(鯨の研究)

・様々なイルカが「マイルカ」と称されてきたが、小川鼎三先生はデルフィヌス・デルフィス (Delphinus delphis LINNE) とすべきであるとした。それまでの我が国の動物書ではデルフィヌス・ロンギロストリス (Delphinus longirostris (CUVIER)) あるいはプロデルフィヌス・ロンギロストリス (Prodelphinus longirostris (GRAY)) を「マイルカ」とするものが多かったが、これは「ハシナガイルカ」と呼ぶべきである。(鯨の研究)

・小川鼎三先生は鯨の骨格を求めて様々な所を訪れた。例えば島津製作所の倉庫の中まで調べた。そこにあったの5体がカマイルカであり、1体だけがプロデルフィヌス属であった。小川鼎三先生は、店の人に「こういう教育用標本にマイルカという名前をやたらつけぬように」頼んできた。(鯨の研究)

・小川鼎三先生は三津の水族館でシャチを生きたままで飼育しているのを聞きつけた。水族館を訪れると明らかにシャチではないので、看板を書きかえるように経営者に忠告した。しかし、日本名を問われ当惑して「トゥルシオップス」という学名のまま答えておいた。後日、小川鼎三先生はトゥルシオップスの和名を「ハンドウイルカ」とする考えを発表した。(鯨の研究)

・鱗をもっている名古屋城のシャチホコは想像の産物である。本当のシャチは歯鯨の一種で、鱗はない。(鯨の研究)

・口蓋の正中線に沿って高まりがあり、これを境にして左右に深い溝があるのがデルフィヌス属の特徴である。プロデルフィヌス属にはこの溝がない。また、デルフィヌス属は胸鰭の根もとのところから前方に進む帯状の黒い部分が下顎の先の方に向かうが、プロデルフィヌス属では口角に達している。(鯨の研究)

・小川鼎三先生は日本近海のコギア(コギアはマッコウの属名)には2種類あるとの考えに達し、一つはコギア・ブレヴィケップス Cogia breciceps (BLAINVILLE)、もう一つはコギア・シムス (OWEN) であった。そして東北大、九大、東京医専の標本が前者であり、東大および永井標本が後者であるとした。これらの業績もあり、黒田長禮氏の「日本産哺乳類目録 (1938年)」には、コギア・シムスの和名として、オガワコマッコウが提唱されている。シムスは「鼻が低い」の意である。(鯨の研究)

・髭鯨には鼻の孔が左右一対あるが、歯鯨では単一の孔である。(鯨の研究)

・イワシクジラの属するバラエノプテラ Balaenoptera属の喉頭について最初に詳しい報告をしたのはオランダのデュボア Eug. Duboisである。彼は喉頭の袋を観察して laryngealer Sack (喉頭嚢) と呼んだ。デュボアは5年後にジャワでピテカントロープスの化石を発見して一躍有名になった。(鯨の研究)

・イワシクジラやコイワシクジラ(ともにバラエノプテラ属)は延髄の疑核が非常に発達している。疑核は迷走神経を出す神経細胞の集まりである。これらの鯨で発達している喉頭嚢の厚い筋肉壁を支配するのは迷走神経の枝の反回神経であり、深い関係があるのかもしれない。一方で、イルカやマッコウのように喉頭嚢が存在しない歯鯨では疑核も大きくない。(鯨の研究)

・コマッコウの顔面神経核は左右の間で大いに異なっており、右側は発達し、左側ははるかに小さい。マッコウ類では左側の鼻腔は簡単な構造で噴気孔に通じ、右側は横断面積がかなり広い。顔面神経の支配と何か関連があるのかもしれない。左の鼻道は主として空気が通るが、右の鼻道は鯨脳油器官と関係しているとされる。(鯨の研究)

・鯨類では嗅覚ははなはだ発達が悪く、ことにイルカ類では嗅神経はまったく存在しない。味蕾が鯨類にあるかも疑わしい。そのうえ視覚もあまり発達していない。(鯨の研究)

・鯨の赤色髄は頚椎・胸椎に多く、ここで主として造血をしているようだ。(鯨の研究)

・ギリシアのアリストテレスの頃には鯨は魚の仲間ではなく哺乳類に入れていた。しかし中世にはふたたび鯨は魚と一緒にされた。17世紀になり、イギリスのジョン・レイやデンマークのトーマス・バルトリンが鯨の解剖をおこない、このころに鯨が哺乳類であることが確定された。少し遅れてドイツのヨハン・アダム・クルムスも鯨類の解剖で功績を残した。このクルムスは「解体新書」の原本の著者として有名である。(鯨の話)

・鯨の胸鰭は人の上肢にあたるので、内部に上腕骨、橈骨、尺骨、手根骨、中手骨、指骨にわかれている。中手骨、指骨は5つの指に分かれている。下肢にあたる部分はまったく欠けていて骨盤の一部が残っているのみである。大腿骨の一部は種類によっては残っている。(鯨の話)

・メルヴィルの小説「白鯨」では、マッコウが地球上最大の動物という誤りが記されている。メルヴィルは4年間もノルウェー式捕鯨船に乗っていたにもかかわらずである。主な理由の一つは、シロナガスやナガスクジラは死ぬと体が海の中に沈むので引き上げることが出来なかった。そのためメルヴィルの時代は死んで浮かぶマッコウがとられていたからではないか。(金華山の沖にて)

・マッコウクジラは学名をマクロケファルス macrocephalusという。これは頭が大きいという意味である。その大頭の中にはメロンと呼ばれる油槽がある。ある時代にはこれは「鯨の精液」と考えられていたので、英語でスペルマセティ spermacetiという。cetusは鯨で、cetiはその所有格である。また、マッコウクジラは英語でスパーム・ホエール sperm whaleと呼ばれる(金華山の沖にて)

・淡水クジラとしては、インドのプラタニスタ Platanista, アマゾンのイニア Inia, 揚子江のリポテス Lipotes, ラプラタ河のポントポリア Pontoporiaがイルカ科に属しない特別のものと考えられる。これらの四属を総称して Platanista属としている。プラタニスタの代表はプラタニスタ・ガンゲティカ Platanista gangetica, すなわち現地でいうスウスウである。一般にクジラ類は7個の頚椎が癒合していて首を動かすことはできないが、淡水クジラは多少なりとも動かせる。(ガンジス河にクジラを追う)

・最後に小川鼎三先生が昭和12年3月に著した「本邦産歯鯨目録」の要旨を紹介しておく。今日とは随分分類が異なっていることに驚くが、当時の記録として重要と思う。*印は日本では小川鼎三先生が初めて見つけたものである。学名は斜体で表示すべきであり、本書もそうなっているが、ここでは通常の字体で表示した。

「鯨の研究」より「本邦産歯鯨目録」の要旨(A) イルカ科 Delphinidaeに属するもの
属a Delphinus LINNE
種1 マイルカ D. delphis LINNNE 本邦の近海にはなはだ多い
種2* ハセイルカ D. capensis GRAY 長崎および鹿児島にて採集あるいは観察。シーボルトの Fauna Japonicaに載る「吻の長いイルカ」はこれである。
附記 マイルカの学名としてしばしば用いられた Delphinus dussumieri BLANFORDはわが国では一頭でも得られたという証拠がない。
属b Prodelphinus GERVAIS
種3* スジイルカ P. caeruleo-albus (MEYEN) わが国の近海にはなはだ多い。そして P. euphrosyne GRAYとおそらく同種である。
種4* マダライルカ P. froenatus (F. CUVIER) 長崎にて採集。
種5* ハシナガイルカ P. longirostris kunitomioi OGAWA 長崎にて採集。
属c Lagenorhynchus GRAY
種6 カマイルカ L. obliquidens GILL 近海にはなはだ多い
属d Tursio WAGLER (Lissodelphis GLOGER)
種7 セミイルカ T. borealis (PEALE) はなはだ多い種類である
種8* シロハラセミイルカ T. peronii (LACEPEDE) 前者とよく似た種類で、皮膚の白色部が広いのみ。別種であるか疑わしい。亜種か。
属e* Trusiops GERVAIS
種9* ハンドウイルカ T. truncatus (MONTAGU) 近海にかなり多い。
種10* T. gilli DALL 塩釜にて一頭を採集。ただし前者と別種であるか少しく疑問がある。
属f* Steno GRAY
種11* シワハイルカ S. rostratus (DESMAREST) 静岡にて得た二頭のほかに、昭和18年太地にて二頭分の骨を採集。
属g* Pseudorca REINHARDT
種12* P. crassidens (OWEN) わが国にかなり多い。古来「大食喰」あるいは「沖ゴンドウ」というのはおそらくこの種類である。
種13 シャチ Orcinus orca (LINNE) サカマタともいう。
属i Grampus GRAY
種14 G. griseus (CUVIER) 塩釜のみでもわりに短い期間内に10頭を採集した。
属j Globicephalus LESSON
種15 マゴンドウ G. melas (TRAILL) ナイサゴトウと同じ。
種16 タッパナガ G. scammonii COPE シホゴトウと同じ。ただしこの学名のものに当たるか少しく疑問を残す。
属k Phocaena CUVIER
種17 ネズミイルカ P. communis (LESSON) 北海の海にはまれでない
属l Neomeris GRAY
種18 スナメリ N. phocaenoides (CUVIER) ナメノウオともいう。三陸以南の海にかなり多い。
属m Phocaenoides ANDREWS
種19 リクゼンイルカ P. truei ANDREWS 北海の海にははなはだ多い。能登よりも送られた。
種20* P. dallii (TRUE) 前者と種を別にすべきものかやや疑いがある。亜種か。
属n Delphinapterus LACEPEDE
種21 シロイルカ D. lencas (PALLAS) 樺太の幌内川などでときとして見られた、いわゆる白鯨である。(科B) アカボウクジラ科 Ziphiidaeに属するもの
属o* Mesoplodon GERVAIS
種22* オオギハクジラ M. densirostris (BLAINVILLE) 九州の外浦にて捕獲、種名の決定にはいまだ少しく疑問がある。この属名は疑いない。
属p Ziphius CUVIER
種23 アカボウクジラ Z. cavirostris CUVIER 塩釜および太地にて各一頭を採集。
属q Berardius DUVERNOY
種24 ツチクジラ B. bairdii STEJNEGER 房州白浜の附近に多く見られる。(科C) マッコウクジラ科 Physeteridaeのもの
属r Cogia GRAY・・・つぎの項でくわしく述べる
種25 コマッコウ C. breviceps (BLAINVILLE)
種26* オガワコマッコウ C. simus (OWEN)
属s Physeter LINNE
種27 マッコウクジラ P. catodon LINNE


(参考)
東京海洋大学-鯨ギャラリー-
Wikipedia -クジラ-


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