物理学者の心

By , 2010年6月14日 11:30 AM

「物理学者の心 (寺田寅彦著、学生社出版)」を読み終えました。以前紹介した科学随筆文庫の第1巻にあたります。

寺田寅彦は東京帝国大学実験物理学科を首席で卒業し、Natureに論文を載せている立派な科学者です。一方で、文学者であり、夏目漱石と親交厚く、「我が輩は猫である」の水島寒月のモデルであるとされています。

本書の最初の随筆は、「花物語」。昼顔、月見草、栗の花、凌霄花 (のうぜんかずら)、芭蕉の花、野薔薇、常山の花、竜胆花の 8つの花をテーマにそれぞれ思い出話を書いていますが、淡い遠き日の美しい、あるいは切ない記憶が読む人を引き込みます。

次の随筆は、「病院の夜明けの物音」。明け方に病院で聞こえる物音を臨場感たっぷりに描写しました。あるいは、寺田寅彦は胃潰瘍に悩まされていたので、実体験だったのかもしれません。随筆の最後まで延々と音の描写が続くのですが、最後の数行に著者の心情が描かれます。ここまで情景しか描いてなかったので、却って深みがあります。その最後の数行を引用します。

 自分の病気と蒸気ストーブは何の関係もないが、しかし自分の病気もなんだか同じような順序で前兆、破裂、静穏とこの三つの相を週期的に繰り返している気がする。少くも、これでもう二度は繰り返した。一番いやなのはこの「前兆」の長い不安な間隔である。「破裂」の時は絶頂で、最も恐ろしい時であると同時にまた、適当な言葉がないからしいて言えば、それは最も美しい絶頂である。不安の圧迫がとれて貴重な静穏に移る瞬間である。あらゆる暗黒の影が天地を離れて万象が一度に美しい光に照されると共に、長く望んで得られなかった静穏の天国がくるのである。たとえこの静穏がもしや「死」の静穏であっても、あるいはむしろそうであったらこの世の美しさは数倍も、もっともっと美しいものではあるまいか。

「蓄音機」という随筆は、当時流行した蓄音機にまつわるものです。「グラモフォーン」という語も登場します。グラモフォーンは今では CDのレーベルとして有名ですが、昔は蓄音機を作っていたんですね。著者は中学生時代に初めて見た蓄音機に大きな衝撃を受けました。しかし、その後汽船の中で流される閉円盤レコードの音に悩まされて以後、あまりレコードに良い印象を持っていなかったようですが、妻を亡くしてから淋しさの中に聞いた御伽劇のレコードに涙し、蓄音機を購入します。その後、生と録音の違いなどについて思索が巡らされます。なかなか含蓄のあるエッセイでした。

「茶碗の湯」は茶碗に入った一杯の湯についてだけで書き上げた随筆です。よくここまで話を膨らませるものだと感心しました。

「相対性原理側面観」は著者の専門領域の一つ。この難しい理論が理解出来ないという声が大きいので、彼は「理解する」のがどういうことかという議論を提唱します。「ニュートン力学」は相対性理論の出現によって初めて理解が可能になったのであって、ニュートンですら理解していなかったというパラドックスに逢着します。つまりアインシュタイン自身相対性理論を徹底的には理解できていないとも言えるのです。そうしたことを踏まえて、この理論をどう味わえば良いか述べていきます。

この随筆にいくつも示唆に富む言葉があったので紹介しておきます。

・「完全」でないことをもって学説の創設者を責めるのは、完全でないことをもって人間に生れたことを人間に責めるに等しい。
・少くとも我々素人がベートーヴェンの曲を味うと類した程度に、相対性原理を味うことは誰にも不可能ではなく、またそういう程度に味うことがそれほど悪いことでもないと思う。
・私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどり行く旅人として見た時にプトレミーもコペルニクスもガリレーもニュートンも今のアインシュタインも結局はただ同じ旅人の異なる時の姿として目に映る。
・自然の森羅万象がただ四個の座標の幾何学に詮じつめられるということはあまりに堪え難き淋しさであると嘆じる詩人があるかもしれない。しかしこれは明らかに誤解である。相対性理論がどこまで徹底しても、やっぱり花は笑い、鳥は唱うことを止めない。

本書には、その他にも面白い随筆が一杯です。研究者には「科学者とあたま」という随筆を紹介したいです。「頭が良い」ことで陥りがちな失敗について触れられています。

寺田寅彦の随筆は青空文庫にもたくさん掲載されています。著者権が切れており、無料で読むことが可能です。

青空文庫-寺田寅彦-


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