夏休み後半

By , 2011年8月15日 7:56 AM

8月 12日
13時 15分に上野駅に集合した橋本七段 (ハッシー) 一行 9名 (全員♂) は 13時 34分発の新幹線に乗車。ビールで乾杯するやいなや、日本酒、ワインが次々と空いていきました (^^; あっという間に仙台到着。

仙台駅で乗換のために路線図を見ると、まだまだ列車代行バスに頼っている地域が多いことに気付きました。我々は仙石線に乗車し、震災の爪痕が未だ残る塩竈を通過し、目的の松島温泉駅に向かいました。仙石線はこの時点で仙台から松島温泉までしか通っておらず、ここから先は列車代行バスになるとのことでした。

松島温泉駅で下車した我々は、駅すぐ近くの大松荘にチェックインしました。シャワー組、将棋組に分かれて時間を潰した後、早速宴会が始まりました。

宴会の料理は絶品。刺身やウニなど海の幸の数々。蟹はズワイガニとタラバガニ両方あり、さらに牛タン・・・。日本酒は浦霞。老朽化が著しいのは少し気になりますが、なかなかここまで料理が充実した旅館はありません。料理を出してくれた女将さんに聞くと、「(震災の際には) 一階が浸水したけれど、もっとひどい所も多いから何も言えない」とのことでした。

いつしかカラオケが始まり、みんな順に歌いました。ハッシーの歌う姿は貴重でした。カラオケ大会の雰囲気は口では伝えられないので、動画を紹介しておきます (爆) (コレを誰が歌ったかは秘密w)

二次会は部屋飲み。魔王、赤霧島など、皆で持ち寄った 10数本の酒が集い、将棋を指しながら盛り上がりました。ハッシーが教えてくれたのはトランプ将棋。1-9までのカードと、ジョーカーを使います。カードを引いたら一手指しますが、カードの数字の筋の駒しか動かせないのがルールです。ジョーカーは相手の駒を好きに動かすことが出来ます。また、王手をされたときは、好きに駒を動かせます。なかなか勝負がつかないのが難点ですが、盛り上がりました。その他、ハッシーを交えたペア将棋・・・。盛り上がった宴会は、午前 2時くらいにみんな力尽き、お開きになりました。

8月 13日
8時くらいに起床して温泉に入り、朝食をとりました。幸い二日酔にもならず、快適な朝でした。9時半くらいにチェックアウト。被災地で頑張る旅館をこれからも最大限支援したい思いを強くしました。

旅館を出ると、松島温泉駅から列車代行バスに乗って、海沿いの集落「野蒜」に向かいました。お盆のためか、バスには菊の花束を持った女性も乗っていました。

野蒜は海沿いの集落で、がれきは撤去されていたものの、まともに建っている家はほとんどなく、震災直後と変わりない光景でした。野蒜駅は、建物とホームだけはかろうじて残っていましたが、建物の中二階まで水が達した後が残り、駅の時計は震災の時間を指して止まっていました。近くの郵便局の黒板には「悔しい」と書かれ、無念さが伝わってきました。震災直後に被災地にボランティアに行ったときは気が張っていましたが、少し時間をおいてからこうした光景を見ると、余計やるせなさが込みあげてきました。

近くに津波で大きな広場と化した所があり、並べられた三つの椅子の傍に花とジュースが添えてあったので、ハッシーの号令で黙祷を捧げました。ハッシーの「黙祷」という声が、音のない世界に響きました。

11時くらいになり、列車代行バスで松島海岸駅に戻って、仙石線に乗り仙台に向かいました。そして国分町のホテル・スマイルにチェックインして、近くで昼食をとりました。

13時過ぎに朝日新聞仙台支社に着き、将棋のイベントが始まりました。ハッシーが指導対局をしている間、我々は東北の将棋研究会の方と交流戦をしました。私の対局は、私が先手で角換わり腰掛け銀となり、同型になる直前に変化されました。相手が左銀を2二銀~3三銀~4四銀と繰り出し、5五でぶつけるという初めての形。相手の手を咎めにいったら、あっという間につぶされました。対局後に聞くと、現役の宮城県代表 (!) で、以前は強豪集う蒲田将棋道場の常連だったそうです。カテルワケナイ・・・。

時間が空いたので、飯塚七段に二枚落ちで一局教わりました。勝ちのある局面で秒読みに押されて負け。周りを見渡して、指導対局はどれも下手に勝ちがある局面を作っていることに気付きました。相手に楽しみを与えながら指導するプロの技術を知りました。

将棋のイベントが終わってから、仙台組・東京組が合わさり、飲み会が始まりました。途中で席を移動し、私の左が森下九段、その左が橋本七段、右が島九段という豪華な配置。私は森下九段とずっと語っていました。

二次会は 20人くらいで近くのクラブに移動しておこなわれました。会の最初は森下九段が左前に座っており、森下九段の「将棋は初段~三段が一番楽しい、それより強くなると辛いんです。人生は辛い、仕事は辛い、これで将棋が辛くなったらどうしたらいいんですか?このままがいいんです」という名言を聞くことができました。右を見ると、飯塚七段がファンの方の色紙に詰め将棋を書いていました。横から見ていてなかなか解けないので聞いたら「昔持ち駒書き忘れたことがあって、どうやっても詰まないことがあったのだけど、今回は大丈夫だな」とか「羽生さんはこれをまばたき二回で解いたよ」とおっしゃっていました。酔ってからは席を移動し、私は片隅でハッシー、飯塚七段とずっと語っていました。

二次会が終わって、東京組でラーメンを食べに行き、いよいよこの旅行の裏の目的です。「国分町で豪遊して仙台に金を落とす」ために、飲み屋を探しました。VIP roomを借り切り、シャンパンを入れ、どんちゃん騒ぎをするために、街を彷徨い、案内所 5件くらいまわりましたが、どこも満席。お盆でスタッフが足りなかったのか、帰省して繰り出してきた客が多かったのか・・・。我々は不完全燃焼のままホテルに戻ることを余儀なくされたのでした。

8月 14日
前日健康的な夜を過ごした我々は、新幹線でビールを飲み始め、昼過ぎに上野で解散となりました。

今回の旅行を振り返って、国分町の夜の最後は残念でしたが、被災地の旅館に金を落とす、仙台の将棋ファンと交流するという最大の目的は果たせたと思います。また機会があれば、このような旅行をしたいものです。

Post to Twitter


Leave a Reply

Panorama Theme by Themocracy