人民は弱し 官吏は強し

By , 2013年3月18日 8:59 AM

人民は弱し 官吏は強し (星新一著、新潮文庫)」を読み終えました。

ショートショートでお馴染みの星新一が、父親星一について綴った著書です。星一がドイツの科学界に大きな寄付をした話は以前ブログで紹介しました。

星一は、製薬業で素晴らしい業績を残しましたが、まっとうに商売をやりすぎて、国と癒着した業者に潰されました。国を挙げての陰湿な会社いじめは、読んでいて背筋が寒くなります。大正時代には、明治政府が出来た時のような清々しい風はもう吹いていなかったのでしょう。また、今日の日本と違ってまだ民主主義として未成熟だったことがここまでえげつないイジメを生んだとも言えます。

 当時のような世の中で、権力を持った人間に賄賂を渡して癒着することを潔しとしなかったのが原因と言えばそれまでですが、彼の方が筋が通っているのは確かです。

 彼の息子の書いたこの本が、彼の無念をいくぶんかでも晴らしてくれるものだと信じます。大正時代にこんな話があったことを知って欲しいので、多くの方に本書を読んで貰いたいです。

最後に、本書で心に残ったエピソードをいくつか紹介しておきます。

太平洋を越え、やっとサンフランシスコの港にたどりついた時のことである。不慣れと興奮による心のすきにつけこまれ、知り合った在留邦人にだまされ、百ドルほどの所持金すべてを巻きあげられてしまったことがあった。星はその事件を回想し、あれもひとつの壁だったなと思った。悲観的な性格の者なら、領事に泣きついて船賃を借り、そこから引きかえしたかもしれない。しかし、すぐに職をさがし、いかにひどい仕事でもより好みせずに働くと決心することで、なんとか生き抜き、苦境を脱した。

やがて東部に行き、コロンビア大学に入学しようとした時もそうだった。どう働いても、授業料として必要な年百五十ドルがかせぎ出せない。その際は、講義を聞くのは半分だけにするから授業料を半分にまけてくれ、との案を持ち込んで交渉し、学校側を承知させた。卒業までに普通の二倍の年月を要してもいいとの覚悟で、なんとか壁を乗り越えた。あれはわれながら名案だったな。星は思い出し、楽しげに笑った。

これに類した体験は何回もあったが、いずれもなにかしら案を発見し、努力をおしまないことで道を切り開いてきた。これだけつみ重ねてくると、社会の原理のひとつと思えるのだった。絶対的な行きづまりの状態など存在しない、当事者がそう考えるだけなのだ、と。

その当時、野口 (※野口英世) は渡米十六年、老いた母にも会いたかったし、故郷に錦を飾りたかった。しかし、名声は高くても、彼は金銭に恬淡な性格のため、少しも金の用意がなかった。野口は星に<カネオクレ、ハハニアイタシ>と電報を打ち、星はそれに応じて送金をしたのだった。

「いや、あの金はきみのために出したのではない。きみの母上のためにしたことだよ。また、きみのあの時の帰国によって、日本人も学問への尊敬ということを感じはじめたようだし、努力さえすれば世界的な業績をあげうる国民だとの自信を持てた。金のことは気にせず、研究に精を出すべきだな」

「しかし、あの時のお礼をしたい気分だ」

「そんなことを言ったって、きみは依然として金銭に淡白だし、ニューヨークの盛り場の秘密の場所を案内する知識もないだろう。もっとも、ぼくは酒を飲まないから禁酒法の目をかすめてみても楽しくない」

「その通りだな。しかし、どうも気がすまない。ぼくにできるようなことで、なにか役に立ちそうなことがあったら、言ってくれ」

野口は困ったような表情で言った。星はしばらく考えてから言った。

「そうだな。できるものなら・・・・・・」

「なんだ遠慮なく言ってみてくれ」

「ちょっとでいいのだが、エジソンに面会できないものだろうか。あれだけ多くの発見をなしとげた人物に、拝顔しておきたいと思っていたのだ」

「なるほど、それならなんとかなるかもしれない。知りあいの学者を通じて連絡をとって、つごうを聞いてみるよ」

さいわい連絡がとれ、星は野口とともに約1時間、エジソンに会うことができた。この発明王は七十七歳になっていたが、白髪と、夢想家の目と、実際家の口もとを持つ、元気にあふれた人物だった。彼の口からは、早い口調で言葉が流れ出した。

エジソンは現在もなお、蓄音機や電池の改良に専心していることを語り、さらに今までとはまったくことなる分野へ挑戦しようとしている夢を展開した。フォードの依頼により、ゴムの問題を手がけているという。ゴムはアメリカ国内で産出せず、その供給の不安定を解決するため、同じ性質を持つ、ゴムにかわる物質を発見してみせるつもりだとしゃべった。そしてこうつけくわえた。

「利益よりも、まず公共のことを考えなければ物事はうまく運ばない。私は人類のために新しい富、新しい道具、新しい産業を創造しようとして働いているのだ」

話し好きな偉大な老人に、きげんよくまくしたてられては、星も野口もあまり口をはさめなかった。エジソンは別れぎわに、大きな自分の写真にサインをして二人に手渡してくれた。それには、名前のほかに<成功しない人があるとすれば、それは努力と思考をおこたるからである>と書かれてあった。

自分が倒れたら、半分は社員たちに、半分は債権者たちに提供するよう、書類も作成してあった。その保険の掛金を払戻してもらったのである。こうなると、死ぬこともできない。死はさらに大きな迷惑を他人に及ぼすことになる。

もはや、あくまで問題の解決に努力し、事業を復活させる以外に、なすべきことは残されていない。星は決意をさらにかためなければならなかった。

星は数名の社員を連れて保険会社に出かけ、その金を受取った。現金をいくつかにわけ、何台かの自動車に分乗し、会社へと持ち帰った。銀行が利用できないとなると、このようにして運ばなければならないのだった。また、星がまとまった金を手にしたとの情報がもれると、途中で、無茶な差し押さえをされないとも限らない。そんな場合、分乗していればつかまるのは一台ですむ。さいわい無事に帰りつくことができた。

情報が他にもれないですんだわけだが、同行した社員の口から社内に伝わった。とっておきの生命保険金を、払戻して支払われた給料であると。

これからの給料がどうなるのかわからないにもかかわらず、社員たちは星のために、自発的に金を出しあってくれた。千五百名の社員従業員たちが、少しずつの金を持ちよった。だが、星にさしだしたのではない。彼らは原稿を書き、その金とともに新聞社へ持っていった。広告を掲載し、社会に訴えようというのである。そして、それは紙面にのった。こんな文面だった。

<官憲はなぜ星社長を虐待するのでしょう。親切第一を主義とし、進んで社会奉仕をし、国家貢献をなさんと一生懸命に努力している社長の活動を、なにがために妨害するのでしょう。いったい、我々をどうしようというのでしょうか。社会を毒するのならいざ知らず、我々は政府から一銭の補助金も、一銭の低利資金ももらわずに・・・>(略)

かなりの長文ではあったが、どの行にも願いの叫びがこもっていた。読んだ者は、血がしたたるのを文面から感じたかもしれない。なかには、時事新報社の神吉広告部長のように「このような広告から料金は取れない」と、独断で無料掲載してくれた新聞社もあった。

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