津山洋学

By , 2013年4月2日 8:16 AM

2013年3月24日、岡山県津山市にある津山洋学資料館に行ってきました。これまで実家に帰省した際に何度か訪れたのですが、正月だったり、リニューアル中だったりして、中を見ることができなかったので、やっと念願がかないました。

津山洋学資料館

展示品が結構充実していて、それを解説する動画も上映されていました。さらに、館内の図書館には洋学の資料が豊富にあるので、時間があれば読書も楽しめます。入館料は 300円でした。受付に津山洋学についての本がたくさん売っており、「素晴らしき津山洋学の足跡 2004」「きらめく洋学の星々」「津山洋学資料館常設展示図録 資料が語る津山の洋学」の 3冊を買って帰りました。津山洋学は日本の洋学に多大な貢献をしていますが、その中で特に有名なのはこれらの方々です。

宇田川玄随

津山藩江戸屋敷の漢方医の息子。元々は洋学嫌いだったが、桂川甫周らと交わるうちに蘭学に転じた。日本で最初の西洋内科学書である「(西説) 内科撰要」を翻訳、自費出版。ちなみに半分まで出版した所で死去し、残りは宇田川家を継いだ安岡玄真、すなわち宇田川玄真が完成した。

宇田川玄真 (安岡玄真)

宇田川玄随および桂川甫周門下。杉田玄白とも交わる。杉田玄白の娘と結婚する流れであったが、女遊びを始め、杉田家を追い出された。稲村三伯が日本で最初となる蘭日辞書「ハルマ和解」を編纂するのを手伝う。また「医範提綱」を著し、「腺」や「膵」という字を作る。その他、解体新書に「厚腸」「薄腸」とされていたのを「大腸」「小腸」に改めた。教育者として宇田川榕菴や、坪井信道、箕作阮甫、緒方洪庵らを育てた。江沢養樹の長男榕を養子に貰い受ける (のちの宇田川榕菴)。

宇田川榕菴 (江沢榕)

植物学を修め、「植物啓原」や「菩多尼訶経」を刊行。「葯」「柱頭」「花柱」といった語を作った。またラヴォアジェの学説を紹介したイギリス人の著書の蘭語版を「舎密開宗」として出版。「酸素」「窒素」「炭素」「水素」「酸化」「還元」などの語を作った。「細胞」という日本語も宇田川榕菴による。コーヒーについての書を残したり、音楽理論の研究をしたりもしている。

箕作阮甫

24歳で藩主の侍医となり、翌年藩主の供をして江戸に出て、宇田川玄真に学び、江戸で開業するも大火ですべてを失った。余談だが、彼には更に喘息の持病があったとのこと。58歳で蕃書調所の教授となった。蕃書調所はその後洋書調所・開成所、開成学校・大学南校と名を変えて、最終的に東京大学となる。そのため、彼は日本人初の大学教授とされる。著書ないしは訳書として「外科必読」「医療正始 (伊東玄朴の名で出版)」といった医学書、「泰西名医彙講」という医学専門雑誌、科学技術書である「水蒸気船説略」、「海上砲術書」、世界地理書である「海国図志」など多数。蕃薯和解御用として、宇田川興斎と共に、ペリーが持ってきたアメリカの国書を翻訳する他、外交問題に尽くす。天然痘が流行していたため、請願して神田お玉ヶ池の種痘所が出来るきっかけを作った (請願者の筆頭が箕作阮甫)。娘の「せき」は呉黄石の元に嫁ぎ、その末子である呉秀三は我が国の精神医学の創始者となった。

これ以外にも多くの優秀な学者達を輩出しています。「素晴らしき津山洋学の足跡」に系譜が載っていますので、下に示します。興味を持った方は是非津山に博物館を訪ねてみてください。ちなみに、2 kmくらい離れたところに B’z稲葉さんの実家があり、B’zグッズがたくさんあるそうです。

美作洋学者系譜・学統図

美作洋学者系譜・学統図

箕作家系譜

箕作家系譜

Post to Twitter


Leave a Reply

Panorama Theme by Themocracy