黄熱の歴史

By , 2007年6月23日 6:23 PM

「黄熱の歴史 (フランソワ・ドラポルト著, 池田和彦訳, みすず書房)」を読み終えました。

黄熱の原因を誰がつきとめたかは、議論が紛糾するところです。米国のリードの功績を称える声が多い一方で、蚊が媒介するとすることをキューバのフィンレーが約 20年前に提唱していました。

米国人に功績を与えるか、キューバ人に功績を与えるかには、政治的な意図が見え隠れします。また、純粋な功績争いも関与し、真の歴史は閉ざされたままです。それを本書は読み解いていきます。読み始めたときは、上質のミステリーを読んでいるかのようなワクワク感がしました。

熱帯医学の感染症分野には、マンソンという人物が大きな役割を果たしています。マンソンがフィラリアにおいて蚊が媒介することを発見しました。

まず、フィラリア研究の歴史を軽く紹介します。

1872年、ルイスはヴッヘラーが乳び尿症の患者尿に見いだした微小な住血虫が、患者の血液にも存在していることを示しました。このわずか後、ヨゼフ・バンクロフトは、リンパ管嚢腫にその仔虫の親を発見し、コッボルドに伝えました。コッボルドは1877年にこの成果を発見し、バンクロフト糸状虫と命名しました。こうして、血液と尿に存在する微小な住血虫がリンパ管に住む成虫の子孫だと理解されるに至りました。マンソンは、バンクロフト糸状虫に関して、論理的に媒介とする生物の存在を必要としました。フィラリアの流行する地域に一致して存在する生物を追い求めた結果、イエカ (Culex mosquito) にたどり着きました。マンソンは、イエカによる媒介を説きました。1879年、マンソンは、コッボルドにグリセリン保管された蚊と陰嚢をコッボルドに郵送します。患者血液を吸った蚊はフィラリアに満ちており、生活環を示す強い証拠でした。

著者は、フィンレーはマンソンの説を取り入れたに違いないと推測しています。マンソンは中国で研究しており、一見関係がないように思えます。しかし、コッボルドやフェイラーが「ランセット」誌上でマンソンの法則に言及しており、フィンレーが「ランセット」を同学者らに紹介していることから、その問題は解決します。フィンレーは自分のオリジナリティを主張するために、マンソンの説を取り入れたことを隠しているのではないかと、著者は推測しています。

黄熱の研究は、難航していました。カビや細菌などが原因と考えられ、諸説紛糾しましたが、決着はつきませでした。

こうした中、転機が訪れます。1900年、アメリカの委員会はフィンレーと会合を持ち、フィンレーから渡されたイエカの卵 (同定の結果、学名 Culex fasciatus Fabricus) を持ち帰ります。しかし、委員長のリードは、陸軍基地で流行した腸チフスの報告書をまとめるため、ワシントンに呼び戻されてしまったのです。この間に卵が孵化しました。

そして、部下のラゼアーが実験を始めました。その結果、その蚊の接種を受けた研究者や兵士達が次々と黄熱を発症しました。ラゼアーも、黄熱を発症し、死亡しました。リードはハバナに戻り、すぐに「蚊が黄熱の寄生体の中間宿主の役割を果たしている」とする論文を書き上げました。

こうして、フィンレーの言うようにイエカが媒介することが濃厚になったため、感染実験が行われました。すなわち、患者の血を吸わせた蚊をボランティアの人間に再度刺させるのです。ボランティアの 7例のうち、6例に発症しました。これにより、蚊が媒介することが証明されました。また、死亡した黄熱患者の黒い吐瀉物、血便、尿で汚したものを並べた部屋で 3名が 20日間過ごすことにより、誰も感染しなかったため、蚊以外の経路は考えにくいとされました。また、黄熱の患者血液を、他人の静脈に注射したところ、4例中 3例に発症を認めました。こうして黄熱の原因が完全に証明されたのです。

こうして見ると、フィンレーは大きな貢献をしていますが、彼の説も紆余曲折を経ています。最終的にはイエカの卵を米国に渡すという貢献があったにしても。

本書には、フィンレーがロスの研究を参考にしていた可能性があるとして、マラリアの話にも言及しています。

1880年、ラベランはマラリアの原因となる住血虫を発見しました。ゴルジは分裂増殖サイクル像を作り上げました。グラッシ、ビグナミ、ダニレウスキ、パイファー、コッホらによる議論がありました。マラリアで見られる運動性の繊維をつけた物質の本態は何か、マラリアの伝搬様式はどのようなものか、といった問題で再びマンソンの説が貢献します。1897年、ロスは隔離した幼虫から育てたハマダラカを用いて実験をしました。二匹の蚊には患者血液を吸わせてあり、蚊の胃壁にマラリア (スポロシスト) が存在することの証明でした。蚊を経時的に解剖し、マラリアの状態を観察し、8日目に蚊の体内の細胞が弾けて中から糸状の物体が出てくるのを観察しました。そして、蚊の毒唾腺にこの蠕虫様生物を発見しました。

これらの研究は、家畜のテキサス熱の病原体ピロソーマ・ビゲミヌム (Pirosoma bigerinum) の伝播に関するスミスとキルボーンの研究、トリパノソーマ・ナガナ (Trypanosoma nagana) の伝播に関するブルースの研究にも影響を与えています。

普段触れない分野について、とても参考になったのですが、一つだけ苦言を呈しておきたいと思います。本書のカバーは、黄熱を意味するのか、黄色です。しかし、著者の顔写真にも黄色い印刷がかかっていて、まるで「黄疸患者」に見えることです。せめて、顔写真のところくらいは、普通の印刷にしたあげて欲しかったと思います。

著者は誰に功績が会ったのか、マンソンの手紙を引用することで応えています。

「しかしながら、貴兄 (フィンレー) は後者 (リード) に示唆と現物とを供給されたわけですから、貴兄の側にあっても重要な役割を果たされたわけです。一軒の家を建てるために煉瓦を運ぶひとはたくさんおります。わたくしには、なぜ、偶み石を運ぶひとだけがすべての栄誉に浴することになるのか了解できないでおります。」

(参考)
黄熱の歴史 (Top pageは名古屋検疫所)
感染症と公衆衛生 関連年表
蟲ギャラリー

Visits: 102 | Today: 0 | Total: 174428

Post to Twitter


Leave a Reply

Panorama Theme by Themocracy