ドイツ精神医学の原点を読む

By , 2015年6月10日 6:26 AM

ドイツ精神医学の原典を読む (池村義明著, 医学書院)」を読み終えました。

精神医学と神経学は、医学の中ではかなり近い分野です。歴史的には、両者が統合されていた時代もあるくらいで、現代でもピック病やアルツハイマー病、てんかんなどは神経内科でも精神科でも診療しています。しかし、神経学が一般内科との関係を深めていくにつれて、両者の距離は遠くなっています。

神経内科でも精神科でも診療する疾患を、精神医学ではどう捉えてきたのか、興味があったので本書を読みました。

序章 ドイツ神経学・精神医学の原点を求めて

第1章 ピック病

第2章 アルツハイマー病

第3章 ヤーコプ・クロイツフェルト病

第4章 パラノイア

第5章 単一精神病論への反証

第6章 外因性精神病の成立

第7章 メスメリスムス

第8章 アスペルガー症候群

目次を見るとわかる通り、ピック病、アルツハイマー病、クロイツフェルト・ヤコブ病は普段神経内科で診療する疾患です。また、外因性精神病も、原因検索を依頼されることが多いです。こうした疾患の原著と歴史的背景が本書に詳述されていて勉強になりました。特にアルツハイマー病については、アルツハイマーの伝記を読んだばかりだったので、タイミングが良かったです。クロイツフェルト・ヤコブ病については、ヤコブがここまで詳細に疾患を記載していたことを初めて知りました。

以下備忘録。

・Rombergは Neurologie (神経学) という概念を提唱した最初の人であった。(9ページ)

・Psychiatrieという用語を最初に用いたのは J.C.Reilである。(14ページ)

・Griesingerはベルリン大学の招聘を受け、1865年4月1日から職務についた。その際、Rombergの講座を吸収することを認められた。この時、彼は精神病患者と神経内科の患者を 1つの科で診る精神・神経科 (精神神経科) という統合単科をベルリンに誕生させた。(21ページ)

・Pickは 1872-1874年まで、ヴィーン大学神経精神科部長であった Theodor Meynertの学生助手を務めた。そこには数年年長の Carl Wernickeもいて、2人とも Meynertの薫陶を受けた。(33ページ)

・アルツハイマーが診ていたアルツハイマー病の 2例目ヨハン・F。1907年12月8日の記載に「血中ならびに髄液中のワッセルマン反応陰性。脳脊髄液 1 cc中、細胞 1個」 (※アルツハイマーの時代には髄液検査は普通に行なわれていた) (79ページ)

・Creutzfeldtと Jakobは互いに関係なく、しかも偶然にもほとんど同時に症例に出会い観察をおこなった。両者ともアルツハイマーの弟子であった。ドイツの文献や医学辞典には Jakobが筆頭に来ている。専門誌掲載は Jakobが 1年後になっているが、彼は Creutzfeldtに先んじて専門学会発表しており、論文は前もって書き終えていた。(91ページ)

・一方の脚を針で指すと他方を引っ込める (Allästhesie: 知覚刺激の体側転倒のこと)。(96ページ)

・「患者は呼びかけや手を叩くと応じる。驚き体をピクッと動かす」 (96ページ) →驚愕反応が既に原著に記されている?

・Jakobは組織学的検討を含め、詳細に数例を纏め、81ページの論文にした。そして過去の類似症例を検討し、そこで Creutzfeldの症例に触れた。この疾患を一つの疾病単位と提唱したのは Jakobの業績である。(109ページ)

・外因性症状複合体という構想を引き出し、それを内因性と対置させた Bonhoefferは Wernickeの弟子であった。(196-197ページ)

・リエゾンという言葉が流行っているが、精神医学を医学的医療の中に統合するという思想はすでに 19世紀半ばから W. Griesingerが強く主張していた。(241ページ)

・訳者は Aspergerを読み始める前に、極めて不純な動機から症候群と犯罪との間に生臭い関係を予想していたが、期待はみごとに裏切られ、著作の全編を通じて、児童に対する Aspergerの愛情と擁護を感じたにすぎなかった。つまり、Aspergerはその原著の中では少年の犯罪傾向 (の有無) には一切触れていない (275~276ページ)。

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