アスピリンは父親のリウマチの痛みを軽減させるために、Felix Hoffmannが見つけたそうです。父親のために開発したというのは初めて知りました。
In 1894,a German chemist named Felix Hoffman was looking for a way to treat his father’s arthritis pain. Along with a researcher named Arthur Eichengrün, he came across Gerhardt’s experiments, and replicated them, creating acetylsalicylic acid, or aspirin. This was the first drug that was not an exact copy of something found in nature, but synthesized in a laboratory. This synthetic drug was the start of the pharmaceutical industry.
Hoffman gave some of the as-yet unnamed aspirin to his arthritic father, who experienced a reduction in pain. Bayer decided to patent and market aspirin, along with another drug that Hoffman had synthesized, heroin.
一方で、彼がヘロインも合成していたことにびっくり。まぁ、コカ・コーラの起源もコカイン入りの薬用酒だったみたいようですし、麻薬の害が知られるまでは、色々試行錯誤の歴史があったんですね。
19世紀末期のアメリカでは、医者不足から代替医療・殊に自然療法や万能薬が広く庶民に多く受け入れられ、自然療法医や薬剤師は自らの治療法や薬剤の売り込みに躍起になっていた。
その一方で、1867年に人工的な炭酸水の製造法が発明されると、当時は何らかの効能があると思われていた炭酸水を客の注文に応じて調合して飲ませるソーダ・ファウンテンが薬局に併設されるようになった。こうして売り出された炭酸水には、当然薬効を謳うものも多く万能薬同様に売り込み競争が激しかった。
そんな自然療法家の一人に、ジョージア州アトランタを拠点に活動するジョン・S・ペンバートン (John S. Pemberton) がいた。南北戦争で負傷したペンバートンはモルヒネ中毒になっており、中毒を治すものとして当初注目され始めたコカインを使った薬用酒の開発を思いついた。この種の薬用酒には既に類似品が多く出回っていたので、ペンバートンは、ワインにコカインとコーラのエキスを調合したフレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒として1885年から売り出した[1]。
フレンチ・ワイン・コカは「ドープ(dope=麻薬)」と言う渾名で人気を博したが、やがてコカインの中毒が問題となるとともに、禁酒運動の席巻によりフレンチ・ワイン・コカが売れなくなる恐れが出てきた。そこでワインに代えて炭酸水の風味付けのシロップとして売り出すことにして、ペンバートンのビジネスに参加した印刷業者のフランク・M・ロビンソンによってコカ・コーラと名づけられた。このコーラは1886年5月8日に発売されている[2]。
6月19日は理化学研究所 の誕生日。1917年6月19日に理化学研究所 は誕生しました。
先日、理研の研究者から面白い話を聞きました。利根川進センター長が、「日本人は折角良い研究をしているのに情報発信が足りない」と苦言を呈していたというのです。確かに、税金を使って研究する以上、社会にその成果を知らしめるのは当然のことですし、マニアックな領域の研究でも正当に社会から評価されるためには広報に力を入れなければなりません。
そうした流れからか、Youtubeでの「RIKENチャンネル」が非常に充実しているのに最近気付きました。面白かったものを 2つ紹介しておきます。
・放射線の基礎
http://youtu.be/LKP9-AIb4Cw
・脳の中の「点と線」~神経回路とシナプスの謎に迫る研究最前線~
http://youtu.be/oodw5Dok1JA
興味のある方は、Youtubeの画面右側の関連動画で色々見られるので、そちらもどうぞ。
2011年 3月 11日の震災で、三陸鉄道 は大きな被害を受けました。
2011.4.14 21:33
東日本大震災で沿線が壊滅的被害を受けた岩手県のローカル線「三陸鉄道」が、震災から1カ月あまりたった今も奮闘を続けている。「今こそ地域の足となる」。停電、通信断絶、駅消滅と数々の苦難を経験しながら、社員93人の力を合わせて地震発生後5日という早さで運転を一部再開。全面復旧に向け「諦めるわけにはいかない」と力を込める。被災地に希望を運ぶ列車を動かしたのは、四半世紀あまり前の開業時から運行を支え続けた鉄道マンたちの熱い思いだった。(市岡豊大)
「終わりなのか」
三陸鉄道は、国鉄民営化に伴って廃線予定だった路線を引き継ぎ、全国初の第三セクター方式の鉄道として昭和59年4月に開業。宮古-久慈間の北リアス線(71キロ)と、盛-釜石間の南リアス線(36キロ)に分かれている。
「こんなことは後にも先にもない。悪夢のような1カ月だった」。開業当時から三陸鉄道に携わる元県職員の望月正彦社長(59)が振り返る。
3月11日、宮古市内を大津波が襲った。宮古駅の本社は被害を免れたが、停電して通信は断絶。停車中の1両を動かして車内を対策本部とし、まもなく乗客と社員全員の無事を確認した。
本部内では社員約10人が“車中泊”しながら、24時間態勢で情報収集した。しかし、状況が明らかになるにつれて絶望感が漂った。「三陸鉄道はもう終わりなのか」。ある社員はつぶやいた。
2日後の13日、開業時からの社員で旅客サービス部長の冨手淳さん(50)は、望月社長と沿線の被害確認に出た。駅舎が付近の陸橋とともに丸ごと消えた島越駅(田野畑村)を見て絶句した。「あるべきものがない。ぞっとした」。線路上や駅構内にがれきが散乱し、復旧の厳しさを痛感した。
重い足取りの帰り道。2人は線路上を歩く被災者らを見て思い直した。「道は線路しかない。生活の足となるのがローカル線の使命だ」。開業当時の熱い思いがよみがえってきた。
再開へ人海戦術
南リアス線の釜石駅長で、開業時から在籍する菊池弘充さん(46)は苦悩していた。車庫がある盛駅の被害が大きく、同線の復旧のめどが立たないからだ。
「動かせるとこから動かそう」。菊池さんは早期再開の可能性がある北リアス線に向かった。作動しない信号機の代わりに、駅での到着・発車時の安全を手旗信号で確認する「人海戦術」に、南リアス線の社員も協力し、総出で当たることにした。「絶対に動かしてやる」という菊池さんの思いは、ほかの社員と一致していた。
北リアス線の復旧可能な区間の線路点検や砕石の補充を進めたが、最大の難題はがれきの撤去。望月社長は3月15日、山本正徳・宮古市長に飛び込みで直訴した。「あと1週間で(宮古駅から)走らせる。がれき撤去を自衛隊に要請してほしい」。山本市長は「あと1週間」という言葉に驚き、望月社長の顔を見たが、「分かりました」と応諾した。
地元とともに
思いを同じくする人は、駅の外にもいた。開業と同じ年に宮古駅前で魚料理店を始めた佐々木博さん(63)は、対策本部へ毎日弁当を届けた。「ともに歩んだ26年。三陸鉄道は街になくてはならない」とエールを送る。
地元の後押しもあり、3月16日の北リアス線・陸中野田-久慈間を皮切りに、宮古-田老間、田老-小本間の運転再開にこぎ着けた。現在は、宮古-小本間で1日4往復、陸中野田-久慈間で6往復を運行。制限速度も段階的に引き上げている。ただ、南リアス線は運転再開の見通しが立っていない。
全線復旧には数十億円規模が必要で、国の支援が前提となるが、先行きは不透明だ。それでも、望月社長は「何度も廃線の2文字が頭をよぎった。存続のためにも早期復旧が必要。諦めるわけにいかない」と話している。
復旧には膨大な資金がかかるそうです。
そこで、三陸鉄道のグッズを買って支援する動きがあります 。
先日、注文していた三鉄オリジナルラベルワインが届きました 。製造はいわてエーデルワイン です。おいしく頂きたいと思います。
興味のある方、ご注文はこちら から。
5月 30日はベニーグッドマン の誕生日。有名なジャズクラリネット奏者です。Youtubeでグッドマンが日本の演奏家達とモーツァルトのクラリネット五重奏曲 (通称:クラ五) を演奏する動画を発見しました。
・Benny Goodman In Japan 1957
ベニー・グッドマンは色々クラシックも録音していますが、私は彼がブダペスト弦楽四重奏団と録音したクラ五の CDを持っていて、これまで愛聴していました (The Budapest string quartet: Mozart string quartet No.17/Mozart Clarinet Quintet/ Dovorak String Quartet, Budapest recordings, LAB140, 1996年)。グッドマンは音楽の流れに対する感覚が鋭くて、クラシックを演奏してもやはり超一流だと思います。
上記の動画のテロップを見ると渡邉暁雄 が共演しているようです。渡邉暁雄は地元近くの津山市に年一回第九を指揮しに来ており、私も高校生の頃彼の指揮で第九を演奏しています。何か懐かしさを感じました。
きっかけは郡山の医師「しゃんでりあの君」のツイートでした。
家族を大阪に避難させるまであと10日。その間に当直三回、日直一回もある。最後の、家族四人揃ってる時間が仕事に喰われる
5月 29日、ボランティアで「しゃんでりあの君」の分の日当直をしてきます。当直料は被災された「しゃんでりあの君」に還元します。
奇遇なことに、27日に橋本会でハッシーと飲んだ時に、ハッシーも同じ日に被災地に行くと聞きました。岩手で家を流された方からのお願いがあったそうです。お互い頑張ります♪
折角なので、28日夜は郡山で福島県立医大の先生と飲む予定です。私自身、7週連続土曜日or日曜日当直 (うち 5件が東北地方) ですが、飲み会やら将棋やらで適度に息抜きがあるので何とかやっていけそうです。
最後に、29日に親友の馬券オヤジ氏と日本ダービー を一緒に見る約束をしていましたが、飛行機をキャンセルさせることになってしまいました。馬券オヤジ氏は事情を聞いて快く納得してくれましたが、御迷惑をおかけしました m(_ _)m
落ち着いたら馬券オヤジ氏を連れ、しゃでりあの君と信州旅行でもして、乗馬を教わりたいです。
5月20~22日、秋田県角館市で行われた第4回上肢の機能回復セミナー に行ってきました。参加者は見た感じ 30人くらいでしたが、Duke大学 Goldstein教授や、岡山大学神経内科阿部康二教授、鹿児島大学リハビリ科川平和美教授、東海大学篠原幸人名誉教授、和歌山県立医科大学板倉徹学長など錚々たるメンバーの講演を聴くことができました。特に Goldseinは日本の学会では呼べないくらいの人物で、彼が角館まで来るということは、主催者の人脈はもの凄いですね。
個人的には、国立精神神経センターの坂本崇先生のボツリヌスの話 (①音楽家を含めたジストニアに対するジストニアの有効性、②Botoxは拡散しやすく対側まで広がることがあるので、拡散しにくいボツリヌス製剤を開発中である。基礎実験データも含めて説明、③高価な薬なので世界中で類似品が販売されているが、中にはいかがわしい商品も多い、④2010年12月、四肢に対する Botoxが保険適応となったが、下肢は認可された量では効果が十分に得られないことがある)、篠原幸人名誉教授の CSPS2の話 (男性ではシロスタゾールの脳卒中予防効果が高い上に出血性イベントも少ないが、女性ではアスピリンの脳卒中予防効果が優れるかもしれない)、板倉徹学長の定位脳手術の話 (Stereotactic thalamotomy=振戦、GPiDBS= tremor, rigidity, akinesia, dyskinesia, Cell transport=akinesiaに対する効果) が面白かったです。
5月21日は足を伸ばして当直に出掛け、22日の昼頃帰宅しました。帰り道、はりやこいしかわ先生と盛岡のぴょんぴょん舎で焼肉とビール、まっこりを満喫し、盛岡からは話題の新幹線「はやぶさ」に乗ってワインを満喫しました (金銭的事情によりグランシートは回避)。家に帰る頃にはベロベロでした (^^;
非常に楽しい会でしたので、来年も楽しみにしています。関係者の方、お疲れ様でした。