Category: 医学/医療

神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-

By , 2007年9月14日 6:50 AM

「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで-(小長谷正明著、岩波新書)」を読み終えました。

本書では、神経内科で扱うメジャーな病気がほぼ全て、わかりやすく解説されています。読んで頂ければ、私が普段している仕事の内容を理解して貰えると思います。

最初に簡単な神経系の解説があるので、読みやすくなっています。扱う病気は、頭痛、失調、末梢神経障害、脳卒中、脳神経麻痺、パーキンソン病、重症筋無力症、筋萎縮性側索硬化症、筋ジストロフィーなどです。

例にとって、顔面麻痺の項を紹介しましょう。本書のだいたいの雰囲気がわかる筈です。著者が顔面麻痺になったときの話です。ユーモアたっぷりの文章です。

 翌朝、洗面所で口をすすぐと、左口角から水が漏れる。歯医者で局所麻酔をされたあとの顔面神経が一時的にマヒしてこうなったなと思った。次の瞬間、エッと思って鏡を見る。左の唇はだらしなく開きかげんで、左頬にはエクボが弱々しくしかできない。口を開くと右側に引っぱられてゆがんだ口となる。左眼の閉じる力も弱い、顔を洗うと眼の中に水が入ってくる。ジャーンと頭のなかで音がする。顔面神経マヒだ、専門領域の病気になってしまった。ついこのあいだ、この病気についての論文を共同研究で発表したばかりだというのに、まさにブラックユーモアだ。つぎに考えたことは障害部位はどこか、中枢性か、末梢性かということだった。末梢性ならば片方のおでこにしわが寄らないが、脳のなかの神経支配の関係で、中枢性ならば両方に寄る。で、眉をつりあげてみる。なんと両側に寄る。ふたたびジャーンである。脳腫瘍とか、脳血管障害、脱随、肉芽腫などとまがまがしい病名が浮かんでくる。専門分野の病気というのはいやなものだ、知識がありすぎる。

朝食を並べている家人に言う。

「おい、ファチアリスレームングだ」

ドイツ語で顔面神経マヒのことだ。幸か不幸か家人も神経内科医である。さっそく、目を閉じろ、口を閉じろ、舌を出せ、あっちを見ろ、こっちを向けと診察をはじめる。

「あら、いやだ、ほんとうだ」

その診察のしかたは正しい方法ではないというと、うるさい患者ネェと返ってくる。問題のおでこの力はこころもち左側が弱いという。

そういえば、数日前から子供の声がやたら左の耳にひびいていた。これも症状であったのだ。

悶悶としてその日曜日を過ごし、あくる月曜日、もうどんなにつくろうとしても左側の額にしわは寄らない。中枢性の心配はもうしなくてもよい。症状が出そろうのに時間がかかったのだ。末梢性だから経過はいいだろう。ひと月もすれば治るであろうと思いはしたが、外出する気にならない。

「それでも、いちおう大学に行って、念のため検査をしてもらったら」

「いやだ、自分の分野だからよくわかっている。治療法もわかっているし、たいした薬もいらない。大学に行ったらメイヤー教授に筋電図をされる。痛いからいやだ。アホなレジデントがルンバールだ、血管撮影だ、CTだなどといいかねない、だからいやだ」(略)

しばらく休むことにしたが、実験のあとかたづけと、そのあいだに家で整理するデータをとりに、明くる日、大学に出た。自分のオフィスに入ろうとした瞬間、となりの部屋からメイヤー教授があらわれた。

「おや、君の顔はどうしたの?」

廊下でかんたんに診察し、つぎの瞬間、のたまった。

ただちに、筋電図を!


Post to Twitter


生物と無生物のあいだ

By , 2007年8月17日 7:40 AM

「生物と無生物のあいだ(福岡伸一著、講談社現代新書)」を読み終えました。

著者は、プロローグで「生命とは何か」と問いかけます。一つは「自己複製するシステム」であるという答えを提示しますが、著者はノックアウトマウスの研究を通じて、疑問を抱くようになります。ある機能がノックアウトされたはずのマウスが、何らかの代償機構で機能不全なく生きていく、そのことで「プラモデルのようなアナロジー」では説明できない特性があると感じるようになりました。その「ダイナミズム」、ユダヤ人研究者ルドルフ・シェーンハイマーが述べるところの「動的な平衡状態」をキーワードに、生命とは何かと考察していきます。

第1章は、著者が所属したロックフェラー大学から始まります。ここは野口英世も存在した大学です。野口英世は日本では伝記に登場する偉人ですが、実際は違ったようです。著者はロックフェラー大学定期刊行雑誌 (2004年6月発行) を引用して、彼の実際を紹介しています。

 ロックフェラーの創成期である二十世紀初頭の二十三年間を過ごした野口英世は、今日、キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものであった。その後、間違いだったことが判明したものもある。彼はむしろヘビイ・ドランカーおよびプレイボーイとして評判だった。結局、野口の名は、ロックフェラーの歴史のにおいてはメインチャプターというよりは脚注に相当するものでしかない。

第2章は、ウイルスの発見から始まります。タバコの葉に起こるタバコモザイク病という病気があります。1890年代にロシアのディミトリ・イワノフスキーが、陶板を通した病葉の抽出液が病気を引き起こすことに気付きました。単細胞生物の10分の1以下のサイズのフィルターをすり抜けた抽出液が病原性を失わないことに、彼はびっくりしました。それからしばらくして、オランダのマルティンス・ベイエンリンクが同様の事象を再検討して、「微小な感染粒子の存在」 (つまりウイルス) を初めて提言しましたが、今日ではウイルスの最初の発見者はイワノフスキーになっているそうです。

次いで、ウイルスは生物かの議論がなされます。私は生物とは言えないと長年思っていて、分子生物に詳しい友人に聞いたところ、「生物だよ」と言われました。その時は、「はーん、そうなのか」と納得しましたが、著者はこのことに問題を論じます。

ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。ウイルスが細胞に取りついてそのシステムを乗っ取り、自らを増やす様相は、さながら寄生虫とまったくかわるところがない。しかしウイルス粒子単体を眺めれば、それは無機的で、硬質の機械的オブジェにすぎず、そこには生命の律動はない。

ウイルスを生物とするか無生物とするかは長らく論争の的であった。いまだに決着していないといってもよい。それはとりもなおさず生命とは何かを定義する論争であるからだ。本稿の目的もまたそこにある。生物と無生物のあいだには一体どのような界面があるのだろうか。私はそれを今一度、定義しなおしてみたい。

結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生物とは自己複製するシステムである、との定義は不十分であると考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。生命の律動?そう私は先に書いた。このような言葉が喚起するイメージを、ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義づける方法はありえるのか。それを私は探ってみたいのである。

その答えを探るために、DNAに関する話題が提供されます。世界で一番最初に DNAに気付いていたのは、オズワルド・エイブリーであると言われています。1877年生まれで、1913年にロックフェラー医学研究所に勤務し始めたそうです。エイブリーが DNAの存在に気付くきっかけになったのは、肺炎双球菌の研究であったそうです。肺炎球菌には、病原性の強い S型と病原性のない R型があります。イギリスのグリフィスは、「死んでいるS型菌と生きている R型菌を混ぜて動物に注射すると肺炎が起こり、動物の体内からは、生きている S型菌が発見された」ことを見いだしていました。エイブリーはこの「形質転換物質」を追究しました。そして、研究の結果、「残った候補は、S型菌体に含まれていた酸性の物質、核酸、すなわち DNA」でした。残念ながら、そこでエイブリーはそこで定年退職してしまうのですが、ロックフェラー大学には、今でもエイブリーがノーベル賞に値する研究者であると信じてやまない人々がいるそうです。この形質転換という現象は、抗生剤に対する耐性菌という問題で、我々を悩ませています。

そしてDNAの謎を解く競争が始まります。シャルガフは、「動物、植物、微生物、どのような起源の DNAであっても、あるいはどのような DNAの一部分であっても、その構成を分析してみると、四つの文字のうち、Aと T、Cと Gの含有量は等しい」ことに気付きました。この謎を解いたのが、ワトソンとクリックだったのです。彼らはDNAの二重螺旋モデルを提唱し、瞬く間にそれは世界に受け入れられました。

しかし、世紀の発見には裏がありました。ワトソン、クリックが他者の成果を盗み見した疑惑です。ロンドン大学キングズカレッジでロザリンド・フランクリンという女性が、DNAの X線解析をしていました。しかし、彼女の上司のウィルキンズが、ワトソンに彼女の研究データを見せていたというのです。著者は、むしろクリックの方に疑惑があったように記しています。

フランクリンが英国医学研究機構に提出した報告書の写しはまずペルーツに行き、そこからクリックの手に渡った。クリックはフランクリンのデータを見ることができたのである。じっくりと、誰にもじゃまされることなく。

この報告書はワトソンとクリックにとってありえないほど貴重な意味をもつ文書だった。そこには生データではなく、フランクリン自身による測定数値や解釈も書き込まれていた。つまり彼らは交戦国の暗号解読表を手にしたのも同然だったのである。そこには DNA結晶の単位格子についての解析データが明記されていた。これを見れば、DNAラセンの直径や一巻きの大きさ、そしてその間にいくつの塩基が階段状に配置されているかが解読できたはずである。その上で報告書にはさりげない、しかし最も大きい意味をもつ記述があった。

「DNAの結晶構造は C2空間群である」

この一文は、そのままクリックのプリペアード・マインドにストンとはまった。あたかもジグゾーパズルの最後のピースのように。C2空間群とは、二つの構成単位が互いに逆方向をとって点対称的に配置されたときに成立する。(中略)

おそらく、ワトソンとクリックはこの報告書を前にして、初めて自分たちのモデルの正しさを確信できたのだ。すぐに彼らは論文を『ネイチャー』誌に送った。

しかし、である。ピア・レビューの途上にある、未発表のデータを含む報告書が、本人のまったくあずかり知らないうちに、ひそかにライバル研究者の手に入り、それが鍵となって世紀の大発見につながったのであれば、これは端的にいって重大な研究上のルール違反である。

結局、フランクリンはワトソン、クリック、ウィルキンズが「ノーベル賞を受賞したことも知らず、そして自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたことさえも生涯気づかないまま、この年 (ワトソンらがノーベル賞を受賞した年) の四年前の一九五八年四月、ガンに侵されて三七歳でこの世を去」りました。X線を無防備に受けすぎたためとも言われています。

第9章で、前述のシェーンハイマーが登場します。シェーンハイマーは、トレーサーを使った実験技術を開発しました。このシェーンハイマーの実験から生まれた「身体構成成分の動的な状態 (The dynamic state of body constituents)」という概念を、著者はシェーンハイマーの言葉を使って紹介しています。

 生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質とともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。

そして、「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」をキーワードに議論を展開します。そして、生命の新しい定義を提唱するのです。

 生命とは動的平衡(dynamic equilibrium)にある流れである。

以後、動的平衡が、タンパク質の動態、細胞膜のダイナミズムなどを例に紹介されます。

パラーディーは、放射性同位元素でラベリングしたアミノ酸を用いて、細胞内での動きを観察しました。これは、小胞体輸送を始めとした細胞内ネットワークに大きく貢献しました。パラーディーの流れを汲む著者らは、膵細胞を用いた GP2蛋白の動態を研究し、球形の膜形成に大きな役割を果たしていることを突き止めました。しかし、129系マウスを用いた、GP2ノックアウトマウスによる実験で、GP2欠損マウスに何の障害がないことも見いだしたのです。一連の実験で、生命における「時間」の重要性を痛感させられるシーンがあります、

この研究から、著者らは「生命とはなにか」という問いに、次のような考察を与えています。

機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。

生物には時間がある。その内部には常に不可逆な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。

今、私の目の前にいる GP2ノックアウトマウスは、飼育ケージの中で何事もなく一心に餌を食べている。しかしここに出現している正常さは、遺伝子欠損が何も影響をももたらさなかったものとしてあるのでない。つまり GP2は無用の長物ではない。おそらく GP2には細胞膜に対する重要な役割が課せられている。ここに今、見えていることは、生命という動的平衡が GP2の欠落を、ある時点以降、見事に埋め合わせた結果なのだ。正常さは、欠落に対するさまざまな応答と適応の連鎖、つまりアクションの帰趨によって作り出された別の平衡としてここにあるのだ。

私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡がもつ、やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ。

結局、私たちが明らかにできたことは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。

著者は本当に文章が上手で、引き込まれました。生物学的な手法に、基本的な説明があり、こういった本を読んだことのない方でも読みやすい本だと思います。

ここで紹介した以外にも、面白いネタが多数収録されています。

例えば、PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 装置という遺伝子複製機器の開発秘話として、キャリー・マリスがデート中に思いついたということ。

(正常) プリオンのノックアウトマウスに異常はないが、頭から1/3の分子を欠損した不完全プリオン蛋白をノックインしたマウスが、狂鼠病ともいうべき病態を発症すること。

シュレーディンガー方程式で有名なシュレーディンガーによる、「なぜ原子はそんなに小さいのか」、ひいては原子に対してなぜ我々はこのように大きいのかという話。

読みやすく、後に残る物の多い本でした。

Post to Twitter


私の脳科学講義

By , 2007年8月14日 8:25 PM

「私の脳科学講義 (利根川進著、岩波新書)」を読み終えました。著者は、免疫、特に抗体に関する研究でノーベル生理学医学賞を受賞しました。

私が医学生時代、薬理学の教授が講義で、「利根川先生は、免疫の研究をしていた頃は良い仕事してたけど、脳の方にいってからおかしくなってしまった。」と述べていて、「どうおかしくなっていたのか」それ以来ずっと疑問に思っていました。本書を読んで、おかしくなったなどということはなく、本当に凄い人だなと思いました。

本書では、最初に利根川氏の分子生物学との出会いが紹介されます。そして、彼の師について紹介されています。彼のアメリカでの師はノーベル賞学者レナート・ダルベッコですが、ダルベッコの弟子達は、4人 (ハワード・テミン、デビッド・ボルティモア、利根川進、ポール・ハーグ) ノーベル賞を受賞しています。また、ダルベッコの兄弟子がジェームズ・ワトソンでノーベル賞学者です。ワトソンとダルベッコの師サルバドール・ルリアもノーベル賞を受賞しています。天才というのは、集うものなのですね。

利根川先生は、アメリカに渡った後、分子生物学の手法を用いて、スイスのバーゼルで免疫の研究をすることとなりました。当時、何故一〇万個 (実際には三万個) の遺伝子で一〇〇億種類の抗体を産生できるのかは免疫学上最大のジレンマになっており、「GOD (Generation of Diversity) のミステリー」と呼ばれていました。研究中に彼の任期は終わってしまうのですが、彼は「この研究はひじょうに重要だと思ったのです。しかも、いま得られたデータはひじょうに有望である、これを中断させる所長の決断はまちがっていると勝手に考えて、人事部からの手紙は無視して研究をつづけていました」という態度をとり、最終的には雇用を延長させ、ノーベル賞を受賞するきっかけとなった研究を完成させました。GODのジレンマの答えは、抗原の可変領域の変異、DNA組み替えにあったのです。さらに彼は抗原と反応性の高い抗体が選択的に増殖することで、効果的な免疫応答をしていることを発見しました。

免疫の分野で成功を収めた彼が次に研究の対象としたのは脳でした。彼は脳に分子生物学的手法を持ち込み、研究を始めました。そ研究が本書で紹介されています。

一つは、海馬に関する研究です。Cre-loxPというDNAの部位特異的組み替えシステムです。この手法でマウスの海馬の CA1野及び CA3野の NMDA受容体をノックアウトしました。とても綺麗な実験なので、是非本書を読んでみて頂きたいのですが、部位特異的に受容体をノックアウトしたのが、この実験の醍醐味です。シャーファー線維のテタヌス刺激で、シナプス伝達の増強 (長期増強;LTP) を調べています。更に、多電極解析法という電気生理学的検証を織り込みました。

この実験により、海馬 CA1野の NMDA受容体ノックアウトマウスでは、シナプス伝達の増強、すなわち長期増強 (LTP) が起こらなくなり、更に空間記憶が得られないことがわかりました。海馬 CA3野の NMDA受容体ノックアウトマウスでは、目印物質を減らした後、場所ニューロンの活性化に欠陥があり、パターンコンプリケーションに障害があることがわかりました。

利根川先生は、この実験について、次のように述べています。

記憶というのは、ある出来事があって、そこからいろいろな情報が脳に入ります。ほかのことをしているときは、その出来事のことはとくに思い浮かべていません。たとえば、ある人にはじめて会って、興味深い会話をしたとします。そして一ヶ月後に、その人がたまたま道を歩いているのを、遠くから見たとします。すると、一ヶ月前の会話の記憶の内容がつぎつぎに思い出されます。そのきっかけになったのは、その人が歩いている横顔をちょっと見たというような、ほんの少しの情報です。これを、記憶の再生におけるパターンコンプリケーション (pattern complication) といいます。記憶の再生においては、ほんの一部の情報を使って、以前に蓄えた全情報のパターンを再生するということです。

考えてみると、一連の情報を記憶として脳に入れたときのその全部の情報にまた遭遇して、記憶の再生が行われるというのではありません。パターンコンプリケーションというプロセスが、再生に密接に関与しているわけです。それで、パターンコンプリケーションをするときに、さっき言った CA3野の自己連想型ネットワークにおける、神経のシナプスの可塑性が重要な役割を果たしているというのがマー (注:デイビッド・マー (MITの神経学者)) の仮説だったわけです。

しかし、この仮説はあくまでアイディアで、ほんとうにそうかどうか、実験で確かめる手だてがなく、三〇年間わからずにきたわけです。

わたしたちは、この CA3野においてのみ、NMDA受容体の遺伝子をノックアウトする方法を開発することによって、この重要な問題を検討しました。それでわかったことは、このマウスは記憶を獲得することに関しては、何の支障もないということです。しかも、記憶したときに使った情報全部を与えてやれば、思い出すこともできます。ふつうのマウスは、ほんの一部を与えても、その情報にもとづいて、全記憶を思い出すことができる。つまり、パターンコンプリケーションができるわけです。ところが CA3野で NMDA受容体の遺伝子をノックアウトするとそれができないのです。

これは、記憶の再生に直接関与している遺伝子が、しかも海馬のどこの細胞でその遺伝子が記憶の再生に関係しているかということを含めて、はじめて突きとめられたケースです。さらに同じ遺伝子が、CA1野では記憶の獲得に関係していて、CA3野では記憶の獲得ではなく、再生においてのみ関係している、ということを証明したことになります。

彼が最初に行った、カルモジュリンキナーゼⅡ遺伝子ノックアウトによる長期増強の阻害は「Science」誌に掲載されましたし、一連の研究も有名雑誌に載っていると思いますので、取り寄せれば読むことが出来そうです。是非、論文の方も読んでみたいと、興味を持ちました。

Post to Twitter


ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足

By , 2007年6月25日 9:33 PM

「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 (小長谷正明著、中公新書)」を読み終えました。

一般人でも十分読めるように、かみ砕いて書かれています。それでいて、医師から見ても考証がしっかりしています。

本書には、「神経内科からみた20世紀」という副題がついています。著者は私と同じ神経内科医です。

目次

まえがき
震える総統 ヒトラー
言葉を失ったボリシェヴィキ レーニンとスターリン
主席の摺り足 毛沢東
大統領たちの戦死 ウィルソンとフランクリン・ルーズベルト
芸術家、大リーガー、兵士 モーリス・ラヴェル、ルーゲーリック、横井庄一
二〇世紀のファウスト博士 ハーラーフォルデン
映像の中のリーダーたち
あとがき
参考文献

最初はヒトラーについて。彼がパーキンソン病であったことが、様々な証拠から示されます。ヒトラーのパーキンソン病のスコアなども紹介されます。

毛沢東は、筋萎縮性側索硬化症であったそうです。「新たな医療機動班を各都市に作って、中国中から同じ病気の患者を集めて治療し、もっとも効果あるものを主席に応用してみたらどうか」という意見すらあったようです。結局、西洋医学の情報を集めますが、如何なる治療も効果はありませんでした。現代でも難病です。

ハーラーフォルデンは、ハーラーフォルデン・スパッツ病に名前を残していますが、ナチスが虐殺した死体を研究していたそうです。

ナチスの虐殺 (T4計画) は優生学、「生きるに値しない命」という考えを元にしています。一方で、このような考え方はナチスだけでなく、フォスター・ケネディ症候群やレノックス・ガストー症候群に名を残したフォスター・ケネディーやレノックスやガストーにも見られ、彼らが 1942年に発達障害児の安楽死を提唱していたことを知りました。

著者は、あとがきで「医学の進歩や病態の追究を急ぐ余り、倫理観を見失ってはいけない、そう思って、ハーラーフォルデンの事例を検証した」と述べています。

我々も残酷な人体実験で得られた情報を何気なく使っています。例えば、ナチスが実験した「一酸化炭素中毒の脳に及ぼす影響」「氷水中で何分生きられるか」などです。本書で知ったこれらの情報を思い出す度に、虐殺された方々のことを考えそうです。

本書はわかりやすく読むことが出来、それでいて残るものの多い本です。是非お薦めします。

Post to Twitter


黄熱の歴史

By , 2007年6月23日 6:23 PM

「黄熱の歴史 (フランソワ・ドラポルト著, 池田和彦訳, みすず書房)」を読み終えました。

黄熱の原因を誰がつきとめたかは、議論が紛糾するところです。米国のリードの功績を称える声が多い一方で、蚊が媒介するとすることをキューバのフィンレーが約 20年前に提唱していました。

米国人に功績を与えるか、キューバ人に功績を与えるかには、政治的な意図が見え隠れします。また、純粋な功績争いも関与し、真の歴史は閉ざされたままです。それを本書は読み解いていきます。読み始めたときは、上質のミステリーを読んでいるかのようなワクワク感がしました。

熱帯医学の感染症分野には、マンソンという人物が大きな役割を果たしています。マンソンがフィラリアにおいて蚊が媒介することを発見しました。

まず、フィラリア研究の歴史を軽く紹介します。

1872年、ルイスはヴッヘラーが乳び尿症の患者尿に見いだした微小な住血虫が、患者の血液にも存在していることを示しました。このわずか後、ヨゼフ・バンクロフトは、リンパ管嚢腫にその仔虫の親を発見し、コッボルドに伝えました。コッボルドは1877年にこの成果を発見し、バンクロフト糸状虫と命名しました。こうして、血液と尿に存在する微小な住血虫がリンパ管に住む成虫の子孫だと理解されるに至りました。マンソンは、バンクロフト糸状虫に関して、論理的に媒介とする生物の存在を必要としました。フィラリアの流行する地域に一致して存在する生物を追い求めた結果、イエカ (Culex mosquito) にたどり着きました。マンソンは、イエカによる媒介を説きました。1879年、マンソンは、コッボルドにグリセリン保管された蚊と陰嚢をコッボルドに郵送します。患者血液を吸った蚊はフィラリアに満ちており、生活環を示す強い証拠でした。

著者は、フィンレーはマンソンの説を取り入れたに違いないと推測しています。マンソンは中国で研究しており、一見関係がないように思えます。しかし、コッボルドやフェイラーが「ランセット」誌上でマンソンの法則に言及しており、フィンレーが「ランセット」を同学者らに紹介していることから、その問題は解決します。フィンレーは自分のオリジナリティを主張するために、マンソンの説を取り入れたことを隠しているのではないかと、著者は推測しています。

黄熱の研究は、難航していました。カビや細菌などが原因と考えられ、諸説紛糾しましたが、決着はつきませでした。

こうした中、転機が訪れます。1900年、アメリカの委員会はフィンレーと会合を持ち、フィンレーから渡されたイエカの卵 (同定の結果、学名 Culex fasciatus Fabricus) を持ち帰ります。しかし、委員長のリードは、陸軍基地で流行した腸チフスの報告書をまとめるため、ワシントンに呼び戻されてしまったのです。この間に卵が孵化しました。

そして、部下のラゼアーが実験を始めました。その結果、その蚊の接種を受けた研究者や兵士達が次々と黄熱を発症しました。ラゼアーも、黄熱を発症し、死亡しました。リードはハバナに戻り、すぐに「蚊が黄熱の寄生体の中間宿主の役割を果たしている」とする論文を書き上げました。

こうして、フィンレーの言うようにイエカが媒介することが濃厚になったため、感染実験が行われました。すなわち、患者の血を吸わせた蚊をボランティアの人間に再度刺させるのです。ボランティアの 7例のうち、6例に発症しました。これにより、蚊が媒介することが証明されました。また、死亡した黄熱患者の黒い吐瀉物、血便、尿で汚したものを並べた部屋で 3名が 20日間過ごすことにより、誰も感染しなかったため、蚊以外の経路は考えにくいとされました。また、黄熱の患者血液を、他人の静脈に注射したところ、4例中 3例に発症を認めました。こうして黄熱の原因が完全に証明されたのです。

こうして見ると、フィンレーは大きな貢献をしていますが、彼の説も紆余曲折を経ています。最終的にはイエカの卵を米国に渡すという貢献があったにしても。

本書には、フィンレーがロスの研究を参考にしていた可能性があるとして、マラリアの話にも言及しています。

1880年、ラベランはマラリアの原因となる住血虫を発見しました。ゴルジは分裂増殖サイクル像を作り上げました。グラッシ、ビグナミ、ダニレウスキ、パイファー、コッホらによる議論がありました。マラリアで見られる運動性の繊維をつけた物質の本態は何か、マラリアの伝搬様式はどのようなものか、といった問題で再びマンソンの説が貢献します。1897年、ロスは隔離した幼虫から育てたハマダラカを用いて実験をしました。二匹の蚊には患者血液を吸わせてあり、蚊の胃壁にマラリア (スポロシスト) が存在することの証明でした。蚊を経時的に解剖し、マラリアの状態を観察し、8日目に蚊の体内の細胞が弾けて中から糸状の物体が出てくるのを観察しました。そして、蚊の毒唾腺にこの蠕虫様生物を発見しました。

これらの研究は、家畜のテキサス熱の病原体ピロソーマ・ビゲミヌム (Pirosoma bigerinum) の伝播に関するスミスとキルボーンの研究、トリパノソーマ・ナガナ (Trypanosoma nagana) の伝播に関するブルースの研究にも影響を与えています。

普段触れない分野について、とても参考になったのですが、一つだけ苦言を呈しておきたいと思います。本書のカバーは、黄熱を意味するのか、黄色です。しかし、著者の顔写真にも黄色い印刷がかかっていて、まるで「黄疸患者」に見えることです。せめて、顔写真のところくらいは、普通の印刷にしたあげて欲しかったと思います。

著者は誰に功績が会ったのか、マンソンの手紙を引用することで応えています。

「しかしながら、貴兄 (フィンレー) は後者 (リード) に示唆と現物とを供給されたわけですから、貴兄の側にあっても重要な役割を果たされたわけです。一軒の家を建てるために煉瓦を運ぶひとはたくさんおります。わたくしには、なぜ、偶み石を運ぶひとだけがすべての栄誉に浴することになるのか了解できないでおります。」

(参考)
黄熱の歴史 (Top pageは名古屋検疫所)
感染症と公衆衛生 関連年表
蟲ギャラリー

Post to Twitter


ジェイムズ・パーキンソンの人と業績

By , 2007年6月5日 5:23 AM

ジェイムズ・パーキンソンの人と業績 (豊倉康夫編著、診断と治療社)」を読み終えました。

本書では、「An Essay on shaking palsy」と題する、パーキンソンの原著が紹介されています。この論文を読んだシャルコーは、「振戦麻痺 (shaking palsy)」を「パーキンソン病」と呼ぶことを提唱しました。

その他、パーキンソンの人生などが本書で紹介されています。

Continue reading 'ジェイムズ・パーキンソンの人と業績'»

Post to Twitter


タンパク質の一生

By , 2007年5月19日 10:30 AM

タンパク質の一生 集中マスター 細胞における成熟・輸送・品質管理 (遠藤斗志也、森和俊、田口英樹編集、羊土社)」を読み終えました。

本書は、ここ数年間の Nature, Sciense, Cellといった有名雑誌を元に書かれており、最新の知識に触れることが出来ます。タンパク質が誕生して、成熟し、分解されるまでの生涯を主に扱っています。内容が高度なので、簡単な入門書を読んでからの方が理解しやすいかもしれません。

Anfinsenのドグマとして知られている「アミノ酸配列さえ決まればタンパク質の立体構造が決定する」→「タンパク質の立体構造形成(フォールディング)は他からのエネルギーを必要としない」という原則が、ここ数年で揺らいできていることが示されています。

それは、「変性していることが普通の機能性タンパク質」という項で、「原核生物のゲノムにコードされているタンパク質の30%はNUP (Natively unfolded protein)」であることとして一つは記載されています。プロテアーゼ消化を受けやすいためにタンパク質量をコントロールしやすいメリットがあるそうです。

更に、アミロイドやプリオンといった非常に安定した凝集蛋白や、molten globule (二次構造とコンパクトさは天然構造に近く、三次構造は崩れた中間的状態) といった発見も、Anfinsenのドグマを揺らがせる存在であるようです。

こういした分野は、日進月歩で、我々が10年少し前にならった知識は既に古いものとなってしまっています。

神経内科に直接関係あることも紹介されていました。こうした研究は、一般にあまり世の中で評価されていませんが、病気の本質に関わる大切なものです。現在、多くの変性疾患は、治療の選択肢が乏しいものですが、こうした研究は、根本的な治療につながる可能性があります。

①アミロイドーシス
アミロイド病として、アルツハイマー病、ハンチントン舞踏病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、透析アミロイドーシスなどが知られています。

しかし、病気に関与しないタンパク質でもアミロイド様線維を形成することから、アミロイド線維自体が悪ではなく、多量体 (オリゴマー) レベルが犯人ではないかという意見が広がっているそうです。

また、サイトゾルのシャペロニン (タンパク質のfoldingを助けたり、品質管理に関わる。多くは熱ストレスで誘導されるHeat shock protein。) の一つCCT/TriCがポリグルタミン (polyQ) タンパク質の凝集を防ぐことが知られ、オリゴマー形成の阻止が神経細胞死を防ぐと報告されています。

②ユビキチン化
ユビキチン-プロテアソーム系 (UPS) の異常は、神経変性疾患ではTopicsとなっています。本書では、UPSの制御についてのシャペロンの役割が記されています。その前景となる知識は、一般的に知っておいて良いと思うので、引用させて頂きます。

 本来、不要なタンパク質は、E1-E2-E3 (-E4) というユビキチン化酵素群によるカスケード反応を介してポリユビキチン化され、それが目印となって分解酵素複合体のプロテアソームに受け渡され、細胞内から消去される。

しかし神経変性疾患では、ユビキチン化された不溶性タンパク質凝集体、すなわちパーキンソン病におけるレビー小体、アルツハイマー病における神経原線維変化、ポリグルタミン病(ハンチントン病、マシャド・ジョセフ病など)やALS (筋萎縮性側索硬化症) における細胞内封入体などが認められる。またそれらの責任分子として、UPSのE3酵素であるParkinやE4酵素であるUFD2a, CHIPや脱ユビキチン酵素であるUCH-L1などが同定されている。

これらの知見から、UPSが正常に機能すれば、異常タンパク質は細胞内から除去され、神経変性には至らないことが予想されている。

③膜タンパク質の加水分解
膜タンパク質の分解には水が必要ですが、膜タンパク質は脂質に富み、疎水性の性格を持ちます。そこで加水分解するためには、膜タンパク質を膜外の水溶性環境に引き出すことですが、膜内部で分解する機構 (RIP; regulated intramembrane proteolysis) もあるそうです。そのRIPは、アルツハイマー病の原因タンパク質と目されるアミロイドβペプチドの生成などにも関与しているそうです。

Post to Twitter


MRI「超」講義

By , 2007年5月19日 7:53 AM

「MRI「超」講義 第2版(Allen D Elster, Jonathan H. Burdette著, 荒木力監訳, メディカル・サイエンス・インターナショナル)を読みました。

MRIについての専門的な本で、特に前半の数式は高校数学レベルでは理解不能でした。しかし、興味ある項目を読むだけで、すごく勉強になります。また、学術的なもの以外にも、いくつもの面白い記述がありました。

Q14.06 ペースメーカーを装着した患者にMRIを施行してはならない, というのは正しいのでしょうか.

いや・・・ほとんどめったに・・・ただただ気が進まずに行うことがある。我々の施設ではおよそ5年ごとに、ペースメーカー装着患者の差し迫った臨床上の問題で他の画像検査では十分でないために、MRIが必要とされる状況が生じる。このようなまれな状況では、我々は以下のプロとコールで安全に検査を施行してきた。①検査が医学的に必要なことを主治医が述べている声明書を取得する。(略)④うまくいくように祈る。

心臓ペースメーカーに MRI検査は禁忌とされており、国家試験でも禁忌肢 (選択すると国家試験に落ちる) として出題されていますが、利益とリスクの比較をして検討すべきということのようです。やらないに越したことはないのですが・・・。

最後の記述は欧米的な発想ですね。

本書には、北米ならではの質問も載っていて、驚きました。地域差というのはあるものですね。それにしても良く調べたものです。

Q14.20 市中病院では銃弾を撃ち込まれているという人が少なくありませんでしたが、銃弾の金属は撮像に問題ないのでしょうか。

北米で、狩猟や土曜の夜の余興に用いられている大小の弾丸の大部分は、強磁性体でないので撮像しても問題ない。しかしながら軍の銃弾は、警察や麻薬ディーラーの弾丸と同様、高度の強磁性体であるために、MR検査の際に患者の危険性が問題となる。BB弾や散弾銃の弾丸のなかにも同じ種類のものがある。
(略)さまざまな強磁性体の弾丸で実際の磁場による偏向力をin vitroで計測したところ、最大で(中国の軍事用弾丸)4.4×10^4dyneより大きな数値を計測した。


Post to Twitter


医師はなぜ治せないのか

By , 2007年4月8日 3:21 PM

「医師はなぜ治せないのか(Bernard Lown著, 小泉直子訳, 築地書館)」を読み終えました。

Lown医師は、心室性期外収縮の分類であるLown分類で有名です。心室性不整脈に対するリドカイン投与、除細動(電気ショック)を始めたのも彼の仕事です。ハーバード大学の教授であり、ノーベル平和賞も受賞しています。心不全の重症度分類を作ったLevine教授の弟子でもあります。

彼は、「病気を治すことはできないが、少なくとも、この点とこの点は軽減できる」という捉え方を述べています。また、エドワード・トルドー医師の「何人かは治せる。たくさんの人を楽に出来る。すべての人に慰めを与えられる。」という言葉を紹介しています。これは以前読んだ「死に方 目下研究中(岩田誠著、恒星出版)」での「私はメディシンというのは、病気をなくすためとか、治すためにあるのではないと思います。病気の状態にある人に対して、何かやれることを探して、その手助けをするという程度のことしかたぶんできてこなかったと思うのです。(中略)治した、治したと思っているのは、ある意味錯覚で、要するにある戦場での勝利であるというだけです。死との全面戦争では絶対に負けているんです。メディシンが死との戦争で勝った試しはないのです。不老不死なんてありえないんですから。」という思想に通じるところがあると思います。

彼のした先進的な研究がなければ、現在の心臓病の治療はここまで進んでいないと思いますが、彼からは医師としての姿勢についても学ぶことが多いように思います。

その一方で、彼は人体実験まがいのことも多くしているのですが、「当時は、患者にやってもよいことを判断する認可委員会などなかったし、インフォームド・コンセントも必要なかった。ただ、部長の許可を得ればよかった。また、だめだと言われることもなかった。それどころか研究熱心だとして株が上がるくらいだった。」と釈明しています。

また、当時をふり返って、「よく、昔はよかったと懐かしんで、『古きよき時代』と言ったりする。しかし、五〇年前の病院医療をふり返ると、今はずいぶん改善された。今の病院のほうが、はるかに安全だ。患者は情報を知らされる。医薬品も注意深く処方されるし、手術室も大幅に改善された。最大の進歩は、どのような処置を受けるか、患者が自分の意見をかなり言えるようになったことだ。今にして思えば、五〇年前に病院で行われていた数々の身体障害にはぞっとするばかりだ。」と述べています。

本書の最終章は、「医師にどう接するか よい医療を受けるには」となっており、医師以外が読んでも面白い本です。

驚いたのは、心臓超音波検査。日本では診療報酬7500円(患者は3割負担)ですが、「一回の検査で請求される八〇〇ドルのうち五〇〇ドルが純利益になる」と紹介されていました。

「ある特定の症状を示す一〇〇〇人の患者がどうなるかについてなら、医師は非常に正確に予想できるかもしれないが、分母が小さくなればなるほど、正確に予想するのは指数関数的にむずかしくなる。サンプル数が単一のとき、すなわち一人の患者の結果を予言しなければならないときには、正確さはゼロになる。統計を個人の患者に当てはめるのはむずかしい。」には同感です。

Post to Twitter


世界で一番売れている薬

By , 2007年4月4日 12:08 AM

「世界で一番売れている薬 (山内喜美子著、小学館)」を読み終えました。

埼玉県でしている外来の患者から頂いた本です。

本書は、全体の構成が非常に練られていて、また扱ったテーマ (高脂血症治療薬であるスタチン) も興味深いもので、あっという間に読んでしまいました。

特に、スタチンの開発者が、日本人の遠藤章氏だということは、本書で初めて知りました。また、開発までの秘話も知りませんでした。それに、最初のスタチンが、ペニシリンの名のついたカビ (Penicillium citrinum) から精製されたのは興味深いですね。

しかし、科学的知識に疎い、文学部出身のジャーナリストのせいか、聞いてきたことを並べて、最後に「である」と付け加えただけの味気ない文章が多かったように思います。

また、「狭窄が進んで血液が流れなくなった状態が『心筋梗塞』である。」という表現がされていますが、実際には、虚血により心筋壊死に陥った状態を心筋梗塞と呼び、血液が流れなくなっただけでは心筋梗塞とは呼びません  (狭心症は心筋虚血により症状を呈するものですが、心筋が壊死にまでは陥らないため、血流が確保されれば元に戻ります)。細かいようですが、病気を定義する上で、大事な話です。

本書では、スタチンの安全性が繰り返し述べられますが、最近はdark side effectとして、自己免疫疾患に及ぼす影響などがトピックスになってきています (Campbell WW. Statin myopathy: The iceberg or its tip? Muscle Nerve 34: 387-390, 2006)。この辺りにも少し触れておけば、もっと良い本になったのではないでしょうか。ただ、デメリットを補ってあまりあるメリットがあり、良い薬剤であることに間違いはありません。

本書を読んでから、スタチン関係の文献を色々と集めてみました。PubMedでも、「statin」「ML-236B」「Akira Endo」などのキーワードで検索することが出来ます。

本書は、一般人向けに書かれた本です。コレステロールが気になる方は、一度読んでみては如何でしょうか?

Post to Twitter


Panorama Theme by Themocracy