Category: 医学/医療

音楽家の手

By , 2009年11月2日 6:40 AM

音楽家の手 臨床ガイド (イアン・ウィンスパー、クリストファー B ウィン・ペリー編著、酒井直隆、根本孝一監訳、協同医書出版社)」という本を買いました。

音楽家と手の痛みなどについて詳しくまとめられています。ほとんどは整形外科疾患なのですが、本書で取り上げられている絞扼性神経障害やジストニアは神経内科医にとって身近な疾患です。この分野に興味を持った方には是非お勧めしたいと思います。

Hypermobility症候群の項では、Paganiniや Listが取り上げられていました。以前、Paganiniの手についての論文を集めたとき、私がPaganiniが Hypermobility症候群であるとする最初の提唱者ではないかと思ったのですが、すでに本書の著者らが触れていましたね。先を越されたのは少し残念でしたが、自分の意見が彼らと同じであることを嬉しく思いました。

ちなみに、訳者の酒井直隆先生は、「ピアニストの手 障害とピアノ奏法」という本も書かれており、本書と一緒に購入しました。

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症例から学ぶ 戦略的 認知症診断

By , 2009年9月26日 7:29 AM

「症例から学ぶ 戦略的 認知症診断 (福井俊哉著、南山堂)」を読み終えました。

普段、Dementia (いわゆる「認知症」) 診療のエキスパートが、どのようなプロセスで診断しているのか、詳細にわかって面白かったです。

例えば問診一つでどのようなことを意識するのか、問診の際の患者の態度がどのように診療に役立つか (家族の方を向いて助けを求める「Head turning sign」や「考え無精」、「going-my-way」など)、Clock drawing testをどのように用いるか、改定長谷川式簡易知能評価スケール (HDS-R) の各項目から何を読み取るか・・・。

我々は、日常的に Dementiaの診療をしていますが、他人の診察風景を見ることが殆どないので、福井先生の診察風景が浮かんでくるような文章は、本当に勉強になりました。

神経内科医、精神科医には必読の本だと思います。

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認知症診療のこれまでとこれから

By , 2009年7月3日 7:51 AM

「認知症診療のこれまでとこれから(長谷川和夫著、永井書店)」を読みました。

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オランダには何故MRSAがいないのか

By , 2009年6月7日 5:21 PM

「オランダには何故 MRSAがいないのか?-差異と同一性を巡る旅- (岩田健太郎・古谷直子著、中外医学社)」を読み終えました。

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脳とことば

By , 2008年3月24日 9:43 PM

「脳とことば (岩田誠著、共立出版)」を読み終えました。

本書は、失語症研究の歴史から始まります。紆余曲折を経て、現在の失語症の分類体系があり、これまでの研究の過程を知っておくことは、非常に有用です。また、自分が同時代の人になったような感覚を覚え、次の興味が引き起こされ、引き込まれます。

失語には、全失語、ウェルニッケ失語、ブローカ失語、超皮質性感覚失語、超皮質性運動失語、皮質下性感覚失語、皮質下性運動失語、伝導失語、失名辞失語など多くのタイプがあることが知られていますが、それぞれの責任病巣がどこにあるのかは、議論の余地があります。一般的な教科書的には、○○の部位で△△の失語が起こると書いてあるのですが、例外も列挙されており、それらを総合すると、結局「どこででも起こりうるんじゃないか?」と感じさせられます。でも、本書を読むと、何故そこで起こるのか、例外があるとすれば、どう扱われるべきものか、詳細に検討されており、知識を整理することが出来ました。本書の優れた点は、「○○という報告がある」ことを列挙するのではなく、一つ一つ検討し、それらを全て説明出来る体系を築いていることです。

一つは著者の優れた洞察力があるでしょうし、さらには形態学者として、臨床医としてなど、様々な方向のアプローチが挙げられるでしょう。著者の業績として特筆すべきは、”漢字” と ”かな” の二重回路仮説です。著者は、さまざまな脳血管障害症例を検討し、漢字とかなは別の回路で認識していることを提唱し、証明しました。これは、失語症研究に新たなる方向性を与えました。

医学的な素養が読むのに必要かもしれませんが、高次機能学の勉強をするのに、本書は最も薦めたい本の中の一冊です。

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お産の歴史

By , 2008年1月25日 7:20 AM

「お産の歴史-縄文時代から現代まで(杉立義一、集英社新書)」を読み終えました。

人類が始まったところから、お産はあったのに違いないのですが、我々は縄文時代の遺跡から、昔のお産文化をうかがい知ることが出来ます。土偶などです。縄文時代の遺跡を見ると、胎児から生後一年までの乳幼児の墓が、成人の墓の六倍存在するなどといった事実が本書に記されています。

次に、古事記の記載です。

伊耶那岐命 (イザナキノミコト) がその妻の伊耶那美命 (イザナミノミコト) に尋ねて「お前の身体はどのようにできているか」と言うと、答えて、「私の身体は成り整ってまだ合わないところが一か所あります」と申した。さらに伊耶那岐命が「私の身体は成り整って余ったところが一か所ある。だから、この私の身体の余分なところでお前の身体の足りないところをさし塞いで国を生もうと思う。生むことはどうか」と仰せになると、伊耶那美命は「はい、それでよい」と答えて言った。そして、伊耶那岐命は「それならば、私とお前でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、寝所で交わりをしよう」と仰せになった。こう約束して、すぐに「お前は右からめぐって私と出会え。私は左からめぐってお前と出会おう」と仰せになった。約束しおわって柱をめぐり出会った時に、まず伊耶那美命が「ああ、なんといとしい殿御でしょう」と言い、あとから伊耶那岐命が「ああ、なんといとしい乙女であろう」と言った。それぞれ言いおわったあとで、伊耶那岐命が妻に仰せになって「まず女の方から言ったのは良くなかった」と言った。そうは言いながらも、婚姻の場所でことを始めて、生んだ子は、水蛭子 (ひるこ) だった。この子は葦の船に乗せて流しやった。次に淡島を生んだ。これもまた、子の数には入れない。

そこで二柱の神は相談して「今私たちが生んだ子はよろしくない。やはり天つ神のもとに参上してこのことを申し上げよう」と言って、ただちに一緒に高天原に参上し、天つ神の指示を求めた。そこで、天つ神はふとまにで占い、「女が先に言葉を言ったのでよくないのだ。まだ降って帰り、言いなおしなさい」と仰せになった。こうして、二神は淤能碁呂島 (おのごろしま) へ帰り降って、ふたたびその天の御柱を前のようにめぐった。

そこで、まず伊耶那岐命が「ああ、なんといとしい乙女だろう」と言い、あとから妻の伊耶那美命が「ああ、なんといとしい殿御でしょう」と言った。こう言いおわって結婚され、生んだ子は、淡路之穂之狭別島 (あわじのほのさわけのしま)

古事記には、編纂された頃の思想が反映されていると思うのですが、男性から求婚することが、強く求められています。現代でも、男性からプロポーズすることが多いのは、何か植え付けられた意識があるのか、それとも別に要素があるからでしょうか?

本書では、古事記のその後の記載から、お産を考察しています。

時代が下って、奈良時代には「女医 (にょい)」という官職があり、主として助産婦のような仕事をしていたことがわかります。ただ、今の「女医 (じょい)」とは全く別のものだったようです。

平安時代のお産については、栄花物語での出産シーンを研究したものがあるそうです。

 産科史的にみて重要なことは、妊産婦の産後の死亡が多いことで、この点に関しては、佐藤千春の詳細な研究 (「栄花物語のお産」『日本医事新報』一九八九年八月) がある。それにもとづいて計算すると、四十七人の妊産婦のうち十一人の死亡例 (二三.四%) があり、出産回数でいえば、六十四回の出産に対し十七・二%の母体死亡となる。

びっくりするほどの数字ですね。当時は近親婚も多かったし、色々出産にマイナスとなる習慣もあったのでしょうが、何故縁起を担ぐ行事がそこまで発展したかわかるような気がします。

江戸時代の産婆は酒を飲んで仕事していた人がいたそうで、香月牛山著の『婦人寿草』の「産婆を選ぶ基準」に次のように書いてあると紹介されていて、笑ってしまいました。

産婆の多くはよく酒を飲み、性格も剛胆である。ただし、あまり多くの酒を飲ませるべきではない。気力の助けとなるくらいのわずかな量で充分であり、多いと眠気をさそい、酒臭い息が産婦にかかり、その息を嫌う産婦も多い。

仕事中に酒を飲むのはダメですよね。

江戸時代以前にも、変な風習は多かったのですが、江戸時代には徐々にそれらが正されていきます。近代産科学の創始者加賀玄悦は「産論」を著しました。

 当時上は后妃から下は庶民の妻にいたるまで、産後七日間は産椅という椅子に正坐させて、昼夜看視する人がついて眠らせず、横臥させないという風習があった。

「産論」などを通じて、こうした風習を加賀玄悦は正していくのですが、7日間寝かせないというのは、拷問にも等しいですね。加賀玄悦には、他にも多大な業績があり、例えば回生術といって死胎児を取り出す(胎児の頭蓋を砕いたり、手足を切断したりする)方法を広め、多くの母体を救いました。

玄悦の後を次いだのが、出羽国横堀出身の玄迪です。彼は「正常胎位を図示したわが国初めての妊娠図」を書いたのだそうです。そうこうして、加賀流産科術は日本で広まっていきました。会津にも山内謙瑞という医師が会津若松町で開業した記録が残っているそうです。玄悦の弟子の奥劣斎は、日本で初めて尿道カテーテルを行った医師なのだそうです。

ただ、加賀流は、鈎を用いるので、胎児に傷が付きやすかったそうで、陸奥国白川郡渡瀬出身の蛭田克明は、加賀流に対抗する蛭田流を作ったそうです。

会津若松で開業した山内謙瑞や、白川出身の蛭田克明など、福島県には産科史的に重要な役割を果たした医師の名前が見られる一方で、最近、大野病院事件のように産科医療崩壊の引き金になった事件も起こり、不思議な感覚がしました。

さて、興味深いのは帝王切開についてです。いつくらいからこのような方法が行われているのか興味があります。俗説では、カエサル・シーザーが帝王切開で生まれたというのがありますが、誤りのようです。Wikipediaからの引用です。

帝王切開

日本語訳の「帝王切開」はドイツ語の「Kaiserschnitt」の翻訳が最初と言われ、ドイツ語の「Kaiser=皇帝」、「Schnitt=手術」よりの訳語である。 語源として現在もっとも有力な説は、古代ローマにおいて妊婦を埋葬する際に胎児をとり出す事を定めた Lex Caesareaにあるとされている。

さらに「Kaiserschnitt」の語源であるラテン語の「sectio caesarea」は「切る」と言う意味の単語二つが、重複している。これが各言語に翻訳されるにあたり、「caesarea」を本来の「切る」という意味ではなく、カエサルと勘違いしたのが誤訳の原因であるという説もある。

そのほかの現在は誤っているとされる語源の説として

ガイウス・ユリウス・カエサルがこの方法によって誕生したということから。

中国の皇帝は占星術によって、母子の状態に関係なく誕生日を決められていたため、誕生日を守るために切開で出産していたとされることから。

シェークスピアの戯曲「マクベス」の主人公の帝王が、「女の股から生まれた男には帝王の座は奪われない」との占いを聞き、大いに喜び自分がこの世の帝王だと信じていたが、あまりの圧制に反乱を企てた反乱軍のリーダーとの決闘の際この占いの話をしたところ、「俺は母親の腹を割かれて生まれてきた」と返された上で殺され、その反乱軍のリーダーが新たな帝王になった。という話から。

本書で、帝王切開の歴史に触れていますので紹介しておきましょう。

 生きている産婦に対する世界ではじめての帝王切開は、ザクセン地方の外科医トラウトマンが一六一〇年四月二十一日におこなったのが最初といわれる。このとき、母親は二十五日間生きた。つぎの二世紀におこなわれた帝王切開は、直接の大量出血と感染によりすべて一週間以内に死亡した。そのためフランスでは一七九七年、反帝王切開協会が組織されるにいたったほど、当時の帝王切開術は危険を伴うものだった。アメリカ合衆国では、一七九四年にはじめて成功、以降、一八七八年まで八十例の帝王切開がおこなわれたが、ここでも母の死亡率は五三%と高かった。

わが国における伝承としては、一六四一 (寛永一八) 年、肥後 (現・熊本県) 人吉藩で、藩主相良頼喬の誕生の際に、生母周光院殿 (十九歳) に帝王切開をおこなった。母は死亡したが、胎児は救われた。ただし明確な証拠はない。

文献上、日本で最初に帝王切開が紹介されたのは、一七六二 (宝暦十二) 年に、長崎でオランダ外科を教えていた吉雄耕牛の講義を、門人の合田求吾が書き残した『紅毛医談』である。(略)

そうした状況のなかで、実際にこの手術をおこなった医師があらわれた。伊古田純道 (一八〇二~八六年) と岡部均平 (一八一五~九五年) の二人の医師で、一八五二 (嘉永五) 年四月二十五日 (陽暦六月十二日)、武州秩父郡我野村正丸 (現・埼玉県飯能市)、本橋常七の妻み登の出産の際に、帝王切開の手術をおこなった。(略)

純道は右側に立って、左下腹部を縦に切開し、ついで子宮を約一〇センチ切開して、胎児および付属物と汚物をすっかり取り除いて (子宮の切開創はそのままにして)、腹壁を縫合して無事手術を終えた。その間半刻 (一時間) ばかりであった。(略)

その後、み登は九十二歳の天寿をまっとうした。

日本は、欧米に遅れて成功していますが、長崎から学問が入って来たことが、大きな役割を果たしています。学問に関しては、情報の伝達が非常に大切であることが痛感されます。それにしても、初めて帝王切開受けた女性はどんな思いだったでしょう。それを受けないと死ぬという状況でしたし、ものを考えられる状況にはなかったかもしれませんが。

最後に、「産経」というのは、中国最古の産科専門書といいます。産経新聞とは関係がないようです。

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潜水服は蝶の夢を見る

By , 2008年1月14日 5:37 PM

久しぶりに本を読んで泣きました。

本のタイトルは「潜水服は蝶の夢を見る (ジャン=ドミニック・ボービー著、河野万里子訳、講談社)」です。

著者は、フランスのファッション誌「ELLE」の編集長です。彼は、「Rocked in syndrome」に罹患し、左眼と首をわずかに動かせる程度の「寝たきり」になってしまいました。「Rocked in syndrome」は脳幹部 (中脳・橋・延髄の総称) の障害で起こり、日本語では「閉じこめ症候群」と呼ばれます。脳からの運動の命令は、通常脳幹部を通って四肢に伝わるのですが、脳幹部が障害されることによって、伝わらなくなってしまうのです。従って、彼は知的機能はクリアに保たれつつも、四肢を動かすことが全くできなくなってしまいました。ただし、頭頸部への運動神経の一部がスペアされ、左眼と首をわずかに動かすことができました。

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神経内科病棟

By , 2008年1月4日 4:00 PM

「神経内科病棟(小長谷正明著、ゆみる出版)」を読み終えました。

小長谷先生の本は、これまでに「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」や「神経内科-頭痛からパーキンソン病まで- 」を紹介したことがあります。文章が上手ですし、内容がしっかりしていて読みやすいです。

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医学の古典を読む

By , 2007年10月20日 9:38 AM

「医学の古典を読む(諏訪邦夫著、中外医学社)」を読み終えました。

麻酔科の教授が、関連分野の古典的論文を紹介した本です。「肺と血液ガス」「循環」「脳・神経・筋肉」「薬物と薬理学」「統計学」といった内容が扱われています。

第 1部「肺と血液ガス」の第2話は「血液酸素解離曲線とボーア効果」です。血液酸素解離曲線の右方移動、左方移動を見つけたのがクリスチャン・ボーアですが、原子模型を 26歳で作り上げたニールス・ボーアの父であることを初めて知りました。それを報告した論文の共著者は他に 2名おり、一人は「Henderson-Hasselbalchの式」で有名なハッセルバルフ、もう一人は「クローの円柱モデル」や COを用いる肺拡散法を考案したクローだということです。

第 1部第 7話は「PCO2電極なしに PCO2を決める」ですが、ここでアストラップの論文を紹介しています。時々病院で先輩医師に「先生アストラップは?」と言われることがあります。意味不明で問い返すと、血液ガス分析のことなのだとか。何故そういう表現をするかがこれを読んでわかりました。アストラップ法の原理は、採取した血液を 3つに分け、そのうち 2つを既存の濃度の CO2ガスで平衡させ、pH-CO2直線を書きます。残ったサンプルの pHを測定すると、CO2濃度が計算出来るのだとか。アストラップが 1960年に開発し、10年くらい使われたそうですが、現在では CO2を直接測定出来る電極が開発され、用いられなくなりました。慣用的に表現が残っているのですね。

第 2部「循環」第 10話は「細動脈の力の平衡-臨界閉鎖圧の概念」です。この論文を書いたのは Burtonですが、彼は他に Handbook of Physiologyの巻頭に「生理学者にとって目的論は情婦みたいなもので、もたずにはいられないくせ、人前には出したがらない。(Teleology is like mistress. One cannot live without, but would be ashamed to be seen in the public.)」と書かれているそうです。含蓄のある言葉だと感じました。

第 2部の第 11話「スワン・ガンスカテーテルはなぜ 1970年か」では、スワン・ガンスカテーテルの開発秘話が紹介されていました。臨床では、よく「ガンツ入れる?」という会話をしますが、英語では「put a Swan in」などと表現します。スワンは心臓病学者で、ガンスはそれに協力したエンジニアなので、アメリカ人はスワンの方を呼ぶらしいのです。日本人が「ガンツ」というのはその方が呼びやすいからでしょうが、実際には「ガンス」「ガンズ」と発音するのが正しいことが、根拠を持って本書に記されていました。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 18話「クラーレは脳に作用しない」では、論文著者が被験者となり、体を張った実験であることが記されていました。クラーレは神経筋接合部に作用する筋弛緩薬ですが、意識を消失させる作用があるかを調べた実験です。意識下で筋弛緩をかけているので、非常に苦しかった筈です。実験開始後 34分で最大の麻痺となり気管挿管されています。その後投与をやめましたが、57分の時点では、「分泌多量に苦しむ (周囲は気づかない)」と記され、非常に辛い実験であったのではないかなと思います。実験中に「I felt I would give anything to be able to take one deep breath.」と述べています。実験中、被験者の意識は保たれたままでした。

第 3部「脳・神経・筋肉」の第 19話は「エーテルは飲んでも酔える」という笑える話です。これには裏話があって、北アイルランドでは、当時アルコール飲料密造が厳しかったことと、宗教的理由 (聖書がアルコール飲料を禁じている) ことがあり、エーテルが代用品として考えられたのだそうです。エーテルは、昔用いられた吸入麻酔薬です。論文では飲み方なども書いてあり、「エーテルを飲むときには鼻をつまんで飲む。水をなるべく飲まないのが”通”!」とされています。急性作用の項が面白いので、引用します。

作用は基本的にアルコールに類似するが、作用がずっと速い。
1) 興奮, 2) 混迷 (confusion), 3) 運動障害, 4)  意識障害

たいていの人は 1) の興奮レベル特に “高揚 (exhilaration)” のレベルで満足する。

表現は “叫ぶ, 歌う, 踊る” など。自覚的には”体が軽くなった感じ, 高く跳べそうな感じ, 空を飛べる感じ”といった異常認識も伴う。

副作用としては、作用時は唾液の分泌と嘔吐。さめてからは”調子が悪い, 脱力感, 虚脱感, うつ状態”など。上腹部痛も出現する。つまり、エーテルでも二日酔いする。

なお、レストランなどでアルコールを一杯おごる習慣と同様に、「エーテルを一杯おごる」習慣もあり、エーテルを飲む人達自身は「酒より楽しく、気持ちがよい」と述べているが、周囲の人達の評価は、「酒と比較すると “口喧嘩が多くなる  quarrelsome”」と描写している。またアルコールとエーテルをチャンポンすると、暴れたり他人に危害を加える頻度が高くなるとも。

実際にエーテルを飲むだとか、興奮するだとかいう話を読むと、昔遊んだ Final Fantasyというゲームで、エーテルというアイテムがあったことを思い出しました。

第 4話「薬物と薬理学」の第23話「ホタルの光で吸入麻酔を分析する」という論文は、日本人の上田一作氏が国立がんセンターで行った研究とのことです。論文のポイントは「吸入麻酔薬は、ATPによるルシフェリン発光を量依存的、可逆的に阻害する」というもので、吸入麻酔薬の作用機序の研究などに貢献したようです。確かに、反応が光でわかるのであれば、観察しやすいと思います。

第 4話第 24話「吸入麻酔薬の力価の表現」に興味深いトレビアが載っています。

 高地や飛行機の中でアルコールがよく効いて酔いやすいことはよく知られていますが、こちらはアルコールの代謝が酸素分圧に影響を受けるのが大きな要素であることが判明しています。

第 4部第 28話「モルフィン麻酔の創始」では、医療ミスが医学の進歩に大きく貢献した話が記されていました。転んでもただでは起きないとはこのことです。モルフィン (モルヒネ) は現在フェンタニルに取って代わられましたが、モルフィン麻酔開発段階で、その安全性を示しました。

モルフィン麻酔開発の途次に、”Give ten” という有名な逸話があります。1A 10 mgのモルフィンを 10 ml (100mg) 注射器に準備して、論文の第一著者ローウェンシュティン氏が研修医に “Give ten” と命じました。「10 mg 注射しろ」というつもりだったのですが、研修医は 10 mlつまり 100 mgを一度に注射しました。意外にも状態が良好だったのが、モルフィン麻酔の研究を進める要素になったというお話です。

第4話の第29話「大気汚染が妊娠異常を招く?」は痛ましい話です。昔は麻酔をした余剰ガスは手術室内に流れていました (今でもそういう病院はあるようです)。その結果、流産の率が手術室の看護婦と麻酔女医で高く、また流産が発生した場合の週齢が 2週間ほど低いことがこの論文で示されました。医療現場での危機意識も低く、「患者が吸っているエーテルの濃度を推測するのに、回路のガスを麻酔科医が吸ってみて『濃い』とか『うすい』とか議論していたくらいなのです」という記載が本書にあります。

医療従事者の健康被害の話は他にも類挙にいとまがありません。針刺し事故による感染症への罹患、昼夜を問わない勤務体系による睡眠障害などはある程度知られた話ですが、放射線被害も実は多いのではないかと思っています。例えば、心臓カテーテル検査などでは、医師がレントゲン照射野に手を置くため、手に放射線による皮膚障害や神経障害が多発し、痛みに悩む人が多くいます。それを防ぐために放射線被曝量を測定するバッジを付け、被曝量が一定量を超えるとその業務に関われないように管理します。しかし、そうすると医師不足で代わりにカテーテルをやる人がいなくなるので、バッジを外してカテーテルをしたりするのです (意味がない!)。また CT被爆による癌の危険性なども言われますが、患者が暴れるときは医療従事者が抑えて撮りますので、(いくら防護服を着ているといっても) 連日 CTによる被爆を受けることも起こります。過労死も問題となっていますし、それに準じる話も聞きます。ある若い心臓外科医は週 3-4日の当直をコンスタントにこなしていて、ストレスのため手術中に自分が致死性不整脈を起こしてしまい、目が覚めると CCUで、自分が手術中であった患者と隣のベッドで寝ていたそうです。医者の不養生では済まされない話のように思います。

第 5部「統計学」の第 30話「t-検定と “Student”」は、Student検定についてです。Studentはペンネームで、それが論文で用いることが許されたのが興味深いところです。Studentの本名は William S Gossetというそうです。Gossetはビールのギネス社で働いていたそうです。統計学には全く知識がないのですが、面白い逸話だなと思いました。

本書は麻酔科に関わる論文が主体ですが、他の科で働く医師にとっても興味深い本でした。

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(新) 細胞を読む

By , 2007年9月29日 11:04 PM

「(新) 細胞を読む (山科正平著、講談社BLUE BACKS)」を読み終えました。

電子顕微鏡写真を主として紹介した本です。最初に、大まかな体のつくり、電子顕微鏡の原理などを説明し、一般的な細胞モデルを解説した後、個々の細胞を見ていきます。

ブルーバックスで小型サイズなので持ち運びに便利ですし、本の半分は写真などで構成され、見開き 2ページで一つの項目を解説してあるので、非常に読みやすくなっています。

本書の帯に、福岡伸一氏が「これは至高の芸術作品である」と賛辞を寄せています。私も全くの同感です。マクロでの人体の美しさというのは、多くの絵画や彫刻で美しく描かれてきたことからもわかるように、普遍的な概念だと思います。これは、マクロの視点だけではなく、ミクロの世界でも言えることではないかと感じました。それほど、電子顕微鏡でみる世界は魅力的です。

著者の文章は非常に読みやすく、文中至る所に著者の豊富な経験やユーモアを感じます。最後に引用するのは、その例です。

(67) よだれを生み出す半月

粘液は粘性が高いばかりか、水を吸って膨潤するという性質がある。そのため、電顕でも光顕でも、分泌顆粒の内容が非常に明るく、膨れあがって見えるのが特徴だ。前に見た杯細胞はそうした顕著な特徴を示していた。しかし、唾液には粘液だけではなく、消化酵素、免疫グロブリン、抗菌作用を持つ物質なども含まれ、こうした成分は粘液に比してサラサラしていることから漿液と総称されている。前に見た耳下腺は漿液を産生する外分泌腺で、その細胞では分泌顆粒が明瞭な限界膜に包まれ、内容も濃く染まっている。

唾液腺の細胞では、粘液と漿液の産生が明瞭に分業されている。その上、一つの腺房に両者の細胞が混在していることも珍しくはない。ヒトの顎下腺や舌下腺では、こうした混合像がよく目にされる。一つの腺房に両者が混在すると、明るい粘液細胞に、濃染する漿液細胞が半月状にへばりつくという、特徴的な像を呈してくる。発見したイタリア人科学者名を付けてジアヌッチの半月として有名で、古来、教科書に記載されてきた。

ところがこの半月、標本を作製する際に粘液細胞が大量の水を吸って膨潤した結果、漿液細胞が押し出されてやむなく半月状をなすにいたった人工産物で、自然の状態では半月は存在しないことが判明してきた。人工産物ともなれば、お月さんの有り難さもかなり落ちてくる。

ジアヌッチは優秀な医師だったが、不倫をした妻に砒素を飲まされて非業の死を遂げたらしい。そのため、著者が、半月は人工産物だと国際学会で発表したとき、あるイタリア人に「ジアヌッチは二度殺された。二度目に殺したのはあなただ」といわれて、返答に窮したことがある。

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