Category: 医学史

ペニシリンはクシャミが生んだ大発見

By , 2011年1月22日 10:58 AM

「ペニシリンはクシャミが生んだ大発見 (百島祐貴著、平凡社)」を読み終えました。百島先生は神経放射線を専門としており、私も学生時代、教科書を読んだことがあります。まさか医史学に精通された方とは知りませんでした。

本書は非常に読みやすく書かれていますが、医学の広い分野を扱っており、私が知らなかったことばかり。楽しませて頂きました。備忘録をかねて、特に面白かった部分を抜粋して紹介します。ここに記したのは極一部ですので、興味を持った方は是非本書を買って読んでみてください。

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眼に効く眼の話

By , 2011年1月4日 8:05 AM

「歴史の中の「眼」を診る 眼に効く眼の話(安達惠美子著、小学館)」を読み終えました。

マイナー科(内科や外科以外の科は業界でそう呼ばれることがあります)の本ですと、「人の魂は皮膚にあるのか(小野友道著,主婦の友社)」なんていう本を紹介したことがありましたが、専門分野を離れて読む本はなかなか楽しいものです。

本書は一般人が読んでもわかりやすく書いてあります。特に個人的に興味を持った部分をいくつか紹介します。

・わが国に眼鏡が伝来したのは1549年で、かのフランシスコ・ザビエルが周防の大名の大内義隆に送った老眼鏡と言われている。

・徳川家康の眼鏡の度や寸法を実測して、「日本眼科学会雑誌」を創刊した大西克知氏が報告した。レンズの度は大きい眼鏡が 1.5 D, 小さい眼鏡が 2.0Dの凸レンズであった。両方とも老眼鏡と思われる。

・キュリー夫人は放射線を浴びて白内障になって、4度も手術を受けた。治療はモラックス博士とプチ博士が行ったが、モラックス博士は眼科のクロード・モネの白内障の診断もしている。

・ドン・ペリニョンは盲目の修道僧であった。ローマ時代に忘れられていたコルク栓を復活させたことで、シャンパンの二次発酵を可能にし、天然の発泡酒という銘酒を生み出した。

・ホルス神は古代エジプトの天空神で、頭が鷹、体が人、右眼が太陽、左眼が月を表している。ホルスが眼病で見えなくなったところをトート神に癒され治癒した伝承がある。ホルスは眼の守護神とされている。ホルスの眼の形はアルファベットのRと似ており、薬の処方のときに使われる Recipe (Rp) の語源につながっている。

・メリメ作カルメンの主人公は斜視だった。しかし、ビゼーのオペラでは触れられていない。

・ジェームス・ジョイスは緑内障のような症状で、計11回も手術を受けた。一説によると、かの有名なアルフレッド・フォークトを頼っている。

・クロード・モネは白内障を患っていた。晩年の色遣いに白内障の影響が表れている。フランスの首相クレマンソーの勧めで右眼の手術を受けると、黄色っぽく見えていた風景が青色っぽく見え、片眼ずつの異なった見え方を「バラ園からみた家」に表現した。

・バッハの失明原因について。手術をしているので、白内障の可能性がある。また、糖尿病ではないかと推測されていて、網膜症の可能性もある。更に脳卒中で亡くなったことを考えると、基礎疾患に高血圧があって、高血圧眼底だった可能性もある。

・フロイトは、彼女の愛を得るために研究に励んでいた。そしてコカインにモルヒネ中毒の禁断症状を止める作用があることを発見した。しかし、同年、同じ病院のコラーがコカインの鎮痛作用に注目して白内障手術に用いた。フロイトはコカインの麻酔作用に気付かなかったことに意気消沈し、精神病理学者としての研究を積むことにした。

・第九の歌詞で有名なシラーには「ヴィルヘルム・テル」という代表作がある。その中に「眼の光」の尊さをうたった一節があり、この句がアルブレヒト・フォン・グレーフェの記念碑に刻まれている。

・検眼鏡を開発したのは、ドイツの生理学者、物理学者のヘルムホルツである。ヘルムホルツは、以前紹介したヘルツの師。

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木越洋のチェロがうたうコンサート

By , 2010年12月2日 7:23 AM

尊敬する先代の教授ラロー先生 (仮名) と二人でコンサートに行ってきました。奥様の都合が悪くチケットが一枚余ったので私に白羽の矢が立ったのでした。

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蘭学事始ツアー

By , 2010年11月10日 7:13 AM

週間医学界新聞に、江戸蘭学ゆかりの地を巡る「女子医大・蘭学事始ツアー」の記事が載っていました。

女子医大・蘭学事始ツアー

本文中にある蘭学事始の裏話など、面白いですね。「蘭学事始の地」碑の横に「慶應義塾開塾の地」碑が並んでいることにビックリしました。

それにしても、この魅惑的なツアー・コース、デートで歩んだら振られるのだろうなぁ・・・。

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死者の護民官2

By , 2010年9月14日 1:33 AM

さて、いよいよホジキン病の本題に入っていきます。1832年に「内科外科学会誌」がホジキンの論文「吸収腺および脾臓の病理所見について」を出版しました。ホジキン自らが経験した 6例と、パリのルゴールが診療した 1例を加えた計 7例の病理所見を纏めたものです。この疾患は、全身のリンパ節が腫脹する、結核とは別の病態でした。

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死者の護民官1

By , 2010年9月13日 6:30 AM

「死者の護民官 (マイケル・ローズ著、難波紘二訳、西村書店)」を読み終えました。ホジキン病に名を残したトーマス・ホジキンの話です。原著のタイトルは「CURATOR OF THE DEAD」です。長いので、2回に分けます。

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神経症候学の夢を追いつづけて

By , 2010年9月12日 6:37 PM

「神経症候学の夢を追いつづけて (田代邦雄著、悠飛社)」を読み終えました。田代先生と直接会った事はないですが、元北海道大学神経内科教授で、症候学を専門にしておられたようです。

「神経学とは?」とは「神経症候学とは?」といった内容で簡単な説明があった後、著者が興味を持って追いつづけた来たテーマがいくつか紹介されます。

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輸血の歴史

By , 2010年8月14日 8:18 AM

「輸血の歴史 -人類と血液のかかわり- (河瀬正晴著、北欧社)」を読み終えました。本書は年表形式で書かれており、5章に分かれています。重要と思うところを纏めてみました。

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リスター

By , 2010年5月4日 9:33 PM

医学史の分野では名の知れた人物ですが、Joseph Lister (1827-1912) という外科医がいました。彼が世界で最初に無菌手術をおこなったとされています。現在ではその時の効果は疑問視されていますが、偉大な功績であることは間違いありません。

色々ネットでみていると、リステリアという細菌は、リスターを記念して名付けられたそうですね。また、口内洗浄液であるリステリンも、リスターから名付けられたそうです。リステリンの公式サイトでは、開発者がリスターの元を訪れ名付けたというエピソードが紹介されており、興味深いです。

言われてみれば、語感からリステリアやリステリンがリスターから派生したというのに納得できますが、知らないとなかなか気付かないものです。

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医学用語の起り

By , 2010年4月17日 12:04 PM

「医学用語の起り (小川鼎三著、東京書籍)」を読み終えました。我々が普段用いている医学用語には様々な歴史があることをまざまざと知りました。日本での多くの用語は杉田玄白らによる「解体新書」、大槻玄沢による「重訂解体新書」から生まれていますが、用語を作り出す時の事情も面白かったです。著者は非常に博学で、日本古来の医学書などを広く参考に考察しています。日本語にルーズになっている我々がこのような研究をすることは困難だと思うし、このような書籍という形で研究が残されたのは非常に価値があることと思います。また、著者は日本古来の医学書のみならず、海外の解剖学書を広く読んでいることも、この本を読み進めていくうちに良くわかります。読んで面白かった部分を抜粋して要約しておきます。気に入った方は是非購入して読んでみてください (とはいえ、中古本でもなかなか手に入り辛くなっているかもしれませんが)。

・瞳孔は英語で「pupil」である。「pupil」はラテン語の「pupilla」に起源がある。「Pupilla」は「Pupa」の縮小詞で女の孤児、「Pupillus」が「Pupus」の縮小詞で男の孤児を意味するらしい。この語は小さな人影が瞳孔に映ることが関係しているようだ。しかし、それ以前にギリシャ語のコーレ (χ’opη) が既に女の子供と同時に「ひとみ」を意味していたらしい (※ここからは私の推測だが、よく「isocoria」などという表現をするが、「coria」はコーレに由来するのだろうか?) (瞳孔)

・「医」は「醫」の略字である。「酉」の部分は元々「巫」(巫は舞をもって神おろしをなす象形文字で、从は舞うときの両袖の形、工はその舞に規矩があることを示すらしい) であった。「酉」は「酒」の意であり、医師が呪術から酒を用いて病人を治すものに変わったことを示すと推測される。しかし、「医者が酒を多く愛するから」とする説もある。「醫」の字の「医」の部分は「弓矢を蔵する器」という意らしく外科用語を意味すると思われる。「殳」の部分は兵庫の上から人を遠ざける用具であり、病気を払いのける道具として解釈され得る。(醫という字の分析)

・「膣」という字は、元々「肉が生じる」という意味であった。大槻玄沢はそれとは違った意味でこの語を用いようと思い、「シツ」と読むと定義した。しかし、この漢字には元々「チツ、チチ」という読みはあっても「シツ」という読みはなく、「チツ」として定着したという。(膣)

・解剖学者ヴェサリウスは著したファブリカで、第2頚椎をアトラス (athlas) と名付けたようだ。しかし、17世紀半ばのオランダのヴァン・ホルネらにより、第1頚椎をアトラスと呼ぶことになったらしい。Axisは元々第1頚椎の意で名付けられた。しかし、後に第2頚椎に用いられるようになった。 (捧宇内のこと)

・元気という用語は後藤良山 (1659-1733) に始まったのではないかとされている。彼の口術を門人が筆記したという「病因考」に「元気」という語が登場する。水腫の治療に温浴を推賞して、「元気を固むるやうにすべし」とあり、現在と用いられ方は違う。現在のような用いられ方の古い例は近松門左衛門の「淀鯉出生滝徳」の「三条の元喜と申す医者で、めっきり元気が見えました」に見られる。どうやらこの頃から慣用的に用いられ始めたようである。一方で、「病気」という語は中国の「史記」の倉公伝に「其の色を望むに病気あり」、日本の「保元物語」に「左府御病気の由聞こえしかば」などとあり、よほど古いらしい。(元気と病気)

・梅毒はヨーロッパからまず広東に伝わった。それから沖縄を経て瞬く間に日本に伝わったようだ。日本で唐瘡、琉球瘡と呼ばれたのは伝来の方向を示しているらしい。梅毒は当時楊梅瘡と呼ばれたが、梅瘡と略す人たちもいたらしい。楊梅はヤマモモの意味である。江戸中期に香川修徳は、楊梅と梅は甚だ異なるので、「楊梅瘡」を「梅瘡」と呼ぶのは不適切であると「一本堂行余医言」の黴瘡の項に著した。その後、明治26年に東京大学に初めて講座制が布かれたとき、皮膚病黴毒学 (ばいどくがく) という講座が出来た。黴毒と同音であったので、一般に梅毒という語が定着したようだ。しかしこの言葉の紆余曲折を考えると果たして正しい用語なのかどうか・・・。 (楊梅瘡と黴毒、梅毒) (※梅毒の歴史も参考にしてください)

・口腔の「腔」の字は正しくは「コウ」と発音すべきだが、「孔」や「口」と区別できないので、間違いが起こりやすい。そのため、医者は必ず「クウ」と読むべきであると昭和初期の用語委員会で決まった。 (口の奥、のどの二構造・・・口蓋垂と喉頭蓋)

・橈骨は「トウコツ」と発音するが、大槻玄沢が初めてこの骨名を「重訂解体新書」で用いたときは、「ジョウコツ」と読ませるつもりだった。しかし「撓」という似た字を「トウ」と読むため、みんな「トウコツ」と呼ぶようになったようだ。杉田玄白の「解体新書」では、尺骨を「撓臂骨 (ドウヒコツ)」、橈骨を「直臂骨 (チョクヒコツ)」と名付けた。 (鎖骨と橈骨)

・バセドウ病を見つけたバセドウは発疹チフスの患者を死後剖検し、自分も感染して 1854年4月に 54歳で死亡した。一方で、橋本病を発見した橋本策も腸チフス患者を診察し、自分も感染し 1934年1月9日に 52歳で死亡した。 (バセドウ氏病)

・狭心症 Angina pectorisについて。ラテン語の anginaは動詞の angere (狭める、圧縮する、締め付ける、苦しめる) と連関する名詞で、語源的にはギリシャ語の agkhoneと関係があるという。 (狭心症 (その一))

・ギリシャ語で軟骨はコンドロス (chondros) であり、コンドロイチンなどが派生した。コンドロスの元々の意味は、日本の粥のようなもので、西洋ではオートミールや、その材料であるひきわり麦などを指したらしい。ラテン語では cartilagoすなわち果肉の意であり、いずれにしても柔らかいものを指す。 (軟骨)

・解剖という語は非常に古い。中国最古の医典である「黄帝王内経」の霊枢の経水篇に「其の死する解剖して之を視るべし」とある。 (解剖の学と生象の学)

・Prostataというギリシャ語起源の名称は、紀元前から用いられたが、対象物は一定せず、今日の定義に合うものはデンマークのバルトリンが最初に記載した。尚、バルトリンは父子孫三代に渡って解剖学者であったらしい。「解体新書」では Prostataはキリイル (腺) とのみ述べられ、大槻玄沢により摂護腺と呼ばれるようになり、以後ずっと摂護腺とされた。しかし、昭和になり「漢字が難しい」「意味が不明瞭である」との批判で前位腺と暫定的に改められ、昭和24年4月の「解剖学用語 (丸善発行)」で「前立腺」と改められた。 (摂護腺から前立腺へ)

・イギリスのガイ病院はトーマス・ガイ (Thomas Guy) が私費を投じて設立した。ほぼ同時代にブライト病の Richard Bright(1789-1858)、アジソン病の Thomas Addison (1793-1860)、ホジキン病の Thomas Hodgkin (1798-1866) が活躍し、この三人は「The great men of Guy’s」と呼ばれたらしい。 (ガイ病院を訪ねて)

・「解体新書」の原本「ターヘル・アナトミア」には松果体は記載されているが、下垂体は載っていない。デカルト (1596-1650) が脳の精神作用に松果体の存在と働きを重視したことが関係している? (下垂体と松果体)

・第三脳室、第四脳室という語はあるが、第一、第二というのがあるのか気になる。Paul Terra著の “Vademecum anatomicum” (解剖学名集, 1913年) によると、右側脳室が第一、左側脳室が第二とある。しかし、放射線医学では伝統的に左を先にとるため、左側脳室を第一脳室、右側脳室を第二脳室と呼ぶのである。このようにややこしいので、現在では第一、第二という呼び方は付けず、単に右側脳室、左側脳室と呼ぶ。第五脳室は左右の透明中隔の間、第六脳室は Verga腔だが、厳密には脳室ではない。

・長崎の通詞本木良永 (蘭皐) がオランダ語の天文学を訳して、1744年に「天地二球用法」を書き、日本に初めて地動説を紹介した。その本木良永は木村蒹葭堂の「一角纂考」の成立に尽力した。一角とはナルワルという鯨の一種の一本だけのびた長い牙で、江戸時代には貴重な薬とされたようだ。日本最古の図入り百科事典として有名な寺島良安著の「和漢三才図会」にも一角 (ウンカフル) についての記載がみられる。また、一角の牙だけを見た人々が想像を膨らませ、神話と結びついて一角獣が生まれたという。 (一角の話 (その二))

・東大医学部の初代解剖学教授の田口和美は「解剖攬要」を著した。明治二十年に留学した際、渡航、滞在費の全てをこの印税でまかなったらしい。

※ギリシャ語やラテン語の表記で、記載の仕方がわからなかった文字については、近いアルファベットで表記してあります。可能であれば原著で確認ください。

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