新しい研修医制度では、研修医は皮膚科、麻酔科、外科など、我々過去の内科医が持たない知識を広く持つ一方、内科を半年しかまわりません。内科の中では2科しかまわらないこととなります(例えば膠原病と循環器科だけとか)。そのため、研修を終えた時点では、以前の研修過程を終えた内科医と比べて、内科一般の知識は不足していると思います(その後の経験で、その差はなくなっていきますが・・・)。
問題があることだと思い、勝手に研修医を集めて一般的な講義を始めたのですが、研修医からは評判が良いので、続けていこうかと思っています。糖尿病とか、頭痛とか、感染症の治療など内科一般としての知識をテーマに講義していますが、今後分野を拡大していかないとと思っています。
話は変わりますが、前の病院で働いていたとき、後輩から「何故論文を書こうという気になるのですか?」と、論文を書くモチベーションについて質問され、「俺が死んでも残るから」と答え、理解を得られなかったのですが、先日紹介した羽生さんの本を読み終えて、CVA(コーポレート・バリュー・アソシエイツ)という企業の創始者が、同じように考えているという記述を見つけました。何か自分の考えを代弁してもらっているかのようでした。下記は今北純一氏というビジネスマンが、その創始者と話したときのエピソードです。今北氏は「エア・リキード」という世界最大手の工業用・医療用ガスのグループに入り、エア・リキード・パシフィックの代表取締となった人物ですが、その会社を辞め、CVAに就職したそうです。
『あなたのモチベーションは何なのですか?』と聞いたら、「レガシィー(遺産)」という答えが返ってきたのです。財産としてのレガシィーかと思ったら、違うのです。『自分がこの世に生を受けて何を残せるか、という思いが自分のモチベーションになっている』と。つまり、人間は必ず死ぬ訳ですが、死んだ後にその人がいなくても機能する何かを残すことが彼の言うレガシィーであり、モチベーションだったのです。
医局の抄読会で、新しい抗凝固薬についての総説を読みました(J. I. Weitz, S. M. Bates. New anticoagulanjts, Journal of Thrombosis and Haemostasis, 3: 1843-1853, 2005)。
題材とした抗凝固薬ですが、ximelagatranを私の大学で治験していたとは知りませんでした。今後は、fondaparinuxとかidraparinuxといった薬剤、そしてximelagatranの代替薬となりうるdabigatranに注意を払っていかないといけません。一押しはdabigatran!教授から、私が脳梗塞になったら使ってね・・・と。
先週の症例検討会は、Mollaret髄膜炎だったのですが、教授のコメントによると、Mollaret教授は内科兼神経内科教授。そのせいで、Guillainの弟子のGarsanが神経内科教授になれなかったということで、Guillain学派にとって、Mollaretはウケが悪い様です。本からは知り得ない知識でした。
「定跡からビジョンへ(羽生善治、今北純一著、文藝春秋)」という本を読みました。
で、羽生さんの本は将棋のことを知らなくても読めるようになってますけど、共感できる言葉がたくさん。
「(釣った鯛を)じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、必ず腐ります。どうしてか?時の経過が状況を変えてしまうからです。だから、今は最善だけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なのです。」
「日本ほどノーベル賞の受賞者を芸能人扱いするところはないですね。受賞者をあちこちのテレビ番組に引っ張り出すわりには、話題はほとんど本人にまつわる生活習慣やエピソードが中心で、受賞対象になった研究テーマについては誰も関心を示さない。最近のテレビを観ていると、エコノミストや評論家と称する人たちがしょっちゅう登場しては、目先の景気のなりゆきの当てっこをしていますね。大学の先生がバラエティ番組に出演したり・・・経済学者が、野球のメジャーリーグやサッカーのワールドカップのコメントをしたりするわけです。」
「日本が抱えている問題はそこに集約されます。『世間から笑われる』『世間様に申し訳ない』『そんなことをすると世間を狭くする』とか。つまるところ、行動を律するもとが世間の目というか、他人の目で、自分の目ではないのです。」
「『所属はしているけれど帰属はしていない』というのは至言です」
「これからは、個人が豊かになり、その集合体としての組織が豊かになるようにしないと、いつまでたっても閉塞状況から抜け出せません」
「私はプロになって二十年近くになり、いろいろと経験をしているし、訓練をしてきましたが、そうでありながら、『どんなに訓練を積んでも、ミスを避けられない』ということを実感として感じています」
今朝当直が終わって、家に着いてから、昼まで将棋の番組を見て、それから葉加瀬太郎と古澤巌がバッハのドッペルをジャズ風にアレンジしたCD(Time has come, HUCD-10021)を聴いていました。そうしたら、宅配便業者がベルを鳴らし、ドアを開けると大きな荷物を抱えて立っていました。
待ちに待ったベッド。今まで床で寝てたし、当直の日はベッドがあるからむしろ心待ちでしたが、やっと我が家にもベッドが入ります。寝心地確認したい女性は是非連絡くださーい(爆)。
今日の失敗談ですが、ベッドのシーツを買いに行って、掛け布団のカバーも勧められて購入(シーツとおそろいの方がかっこいいし)。セットで枕カバーも勧められて買って帰ったのですが、シーツにカバーを掛けていて、枕を持っていないことに気付きました。
うちの大学病院には、教授の回診日には人がどこからともなく湧いて出て来ますが、金曜日には、病棟は研修医と極少数の指導医を除くと私一人です。そのため、救急対応は全て私がします。急患の度に外来棟に呼ばれ、他科からの依頼に他科病棟に呼ばれます。同時に、点滴が入らないと研修医からの電話が入ったりします。外来棟と病棟が非常に離れていて、道路を渡らなければならず、移動に時間がかかるのが痛いところです。
少し前には、VIP、脳梗塞新規発症、髄膜炎疑いの他科依頼2人を同時に診察する必要に迫られました。VIPの診察時は、当初、海外の要人の家族で日本語が話せないと聞いていましたが、偶然私の下で働いていた研修医の父が通訳として付いてきていて、非常に助かりました。誤診してたら国際問題に発展していたかも・・・。
といったことで、昨日も私一人しか病棟にいなかったため、普段の業務に加えて、以前紹介したエルサルバドル人医師にマンツーマンで、相手する必要がありました。しかも英語。なかなか伝わらず、文法的に支離滅裂な英語を話しましたが、最終的には気に入ってもらえて、メールアドレスを聞かれました。お互いにコミュニケーションを取ろうとする努力があれば、伝わるものです。日本の女性の方がよっぽど伝わらない・・・?
今日は教授の誕生日。医局でみんなでケーキを食べました。教授の回診をみていると、考え方の根本から次元が違うことを痛感させられます。例えば、「てんかんは皮質から神経線維を伝って不随意運動が起こるけれど、多発性硬化症などの白質病変があると、異常な興奮が伝わらなくなって、てんかんは改善するのでしょうか?皆さんでそういった報告を知っている人はいますか?てんかんの研究家達が言うように、皮質には横走線維があるのでしょうか?」「パーキンソン病の人に、右手で手回内回外試験、左手で指タップをした後、手を逆にしてやってもらうと、右手で手回内回外試験をしながら右手で指タップをする。これは一種の保続ではないでしょうか?」常に疑問を提示され、如何に自分たちがわかっていないことをわかったつもりでいるか痛感させられます。論文や教科書では得られない知識が多く、勉強になります。しかし、教授回診の際は20人以上の医師が周りをとりかこみ、教授の側に近寄ることも非常に困難な状況です。
エルサルバドルから当科に勉強しにきている内科医がいます。いくつかの症例を英語で説明してあげていますが、なかなか難しいものです。一方、自分で英語で説明したことが、通じた瞬間はとてもうれしく感じます。同僚に、アメリカの大学を出て、日本の医学部を卒業した医師がいるので、普段は彼が付き添って教えています。通訳もしてくれます。
エルサルバドルでは、MRIの検査が困難で、髄液検査の際も、日本のように頭部CTを撮影せず、眼底チェックのみで済ませるなど、国による医療の違いを教えてもらいました。
最近結核がブームです。私のグループの患者は、数名が結核と判明しました。神経内科に入院するくらいですから、主訴はそれぞれ外眼筋麻痺や発熱のみであり、呼吸器症状が全くなかったため、当初は結核とは思ってもいませんでした。
結核の診断は意外と難しいのです。典型的な肺病変があれば簡単なのですが、肺病変がはっきりしないことが多々あります。結核菌が全身に散らばった粟粒結核と呼ばれる病態は極めて重篤ですが、肺病変がはっきりしないと診断確定が甚だ困難です。
結核と診断するためには結核菌を証明しなければいけません。喀痰、胃液、尿、便、髄液などを採取し、顕微鏡で見て、菌が証明できれば簡単ですが、多くの場合できません。菌の培養の方が感度は高いのですが、結果が出るのに1ヶ月くらいかかります。PCR法は、論文で読むより感度が低い印象です。
そんな中、画期的な検査法が開発されました。それはQuantiFERONという検査で、結核菌特異蛋白に対するインターフェロンγの一種を見ています。感度、特異度ともにかなり高いものがあります。迅速な診断が可能です。昨年キットが開発され、今年から保険適応になり、私の患者たちもこの恩恵を受けることができました。まだ知っている医師が少ない検査なので、啓蒙活動をしなければいけないと思っています。
「外科の夜明け(J・トールワルド著)」という本を読み終えました。麻酔や消毒法、心臓手術をテーマにした医学史の本ですが、架空の主人公を登場させ、医学史上の人物と会話させることによって、感情移入しやすくなっています。
リスターという医師が、手術室でのスプレーによる殺菌法を始め、これが無菌手術を試みた最初とされていましたが、実際には、空気中には菌は少なく、30分に15cm四方の傷口に落下する菌は70個程度で、ほとんどが無害な菌だったため、だんだん無意味であるとされるようになりました。
無菌手術の研究が進むにつれて、器具や手の消毒に注意が払われるようになりました。リスターは手を石炭酸に浸すことを提唱しましたが、これは違った理由で効果があるのが後々わかりました。外科医が石炭酸のにおいを消すために手を石けんと水で洗ったことが奏功したというのです。
ミクリッツという外科医は、殺菌したニットの手袋を用いましたが、すぐに濡れて取り替えないといけないという難点がありました。そこにハルステッドという医師がすばらしい発明をしました。ハルステッドは、お気に入りの看護婦の手が荒れることを気にしていました。そのため手を保護するためのゴム手袋を送りました。手袋は滅菌されており、昇汞水で手を洗う必要はありませんでした。彼女は後にハルステッドの妻になりましたが、彼女が去ったあと、あとには手袋が残ったそうです。
ハルステッドは、コカイン中毒を乗り越えて教授になった人物ですが、ヘルニアの術式に名を残しています。
手術用手袋一つにこんなロマンがあったなどとは知りませんでした。
さて、テレビではジェネリック医薬品(後発品)のCMが盛んに行われています。高騰する医療費を抑制するためには、薬価を下げるという面で非常に効果的と思われます。
ジェネリック医薬品というのは、ある薬剤が認可されて数年経った後、同じ成分の薬剤を真似して作ることで、開発費をかからなくして、安く売ろうとする薬剤のことです。
しかし、メリット(安価である)を強調する一方、デメリットはほとんど知られていません。デメリットとしては、まず先発品と全く同一ではないということが挙げられます。つまり、薬剤としての成分は先発品と同じなのですが、添加剤などが異なるため、体内での薬物動態が異なる可能性があるのです。アメリカでは、体内での薬物動態(PK/PD)を調べることなく後発品を販売することが出来ます。従って、効果が同じという保証はありません。
次に、品質管理についてです。先発品を開発する大手の製薬会社よりも、新興のジェネリック医薬品会社は品質管理が甘い可能性があります。私の勤務する大学病院では、点滴で用いる薬剤に不良品があり、採用中止となりました。
最後に、名前が紛らわしいという問題があります。私が担当していた患者は、A医院から○○という薬を処方され、B病院から△△という後発品を処方されていました。調べてみたら同じ薬でした。名前が違うため、本人が気づかなかったのです。結果としては倍量投与です。私も外来をしていて、後発品の名前はほとんどわからないので、いちいち薬の名前を調べるのが大変で、仕事のスピードが大幅ダウンです。
こうした問題点について、厚生労働省はしばらく様子を見て、副作用とかの報告が増えるようだったら対応するというスタンスのようです。
これらの情報を知った上で、ジェネリック医薬品を用いるかどうか検討して頂きたいと思います。
「検査を築いた人々(酒井シヅ、深瀬泰旦著)」という本を読み終えました。100人の科学者の伝記を見開き2ページずつで紹介する本です。
例えばヒポクラテス一人を取ってみても、「『ヒポクラテスの誓い』として広く知られ、医師が一人前になったときに読む誓詞は、ヒポクラテス自身の著作ではないというのが通説である」との記述があり、それは初めて知りました。
また、医師が自身を実験とした報告は多数ありますが、中でもトインビーという耳科病理学を確立した医師は、耳硬化症(ベートーヴェンが罹患していたとする説がある)を初めて記載した医師でもある一方、悲惨な死に方をしました。本から引用しますと「耳鳴りが、ヴァルサルヴァ式の通気と、クロロホルムの吸入によって治癒すると信じて、トインビーはこれを自分自身に試みたところ、1866年7月7日、診察室で死体となって発見された。」とありました。
プルキンエ細胞やプルキンエ線維で有名なプルキンエはゲーテと親交があり、ゲーテの著作のチェコ語への翻訳も行っていたそうです。
医学には人命のついた用語がたくさんありますが、由来となった人物を知ると、また新たな発見があります
それから、脳腫瘍診断のための脳動脈撮影法を発明したモーニスは、1949年に前頭葉切除によるロボトミーによってノーベル賞を受賞したそうですが、作曲家でもあり、ポルトガル外務大臣でもあり、ベルサイユ条約にはポルトガル代表として調印しました。医師のみならず、広く活躍した人で、憧れるものがあります。
この本で紹介されているのは、ヒポクラテス、ガレノス、レーウェンフック、プルキンエ、デシェンヌ、ウォラー、グレーフェ、メンデレーエフ、エルプ、クインケ、コッホ、ゴルジ、レントゲン、ウェルニッケ、ガフキー、カハール、グラム、バビンスキー、ランドシュタイナー、ベルガー、パパニコロウ、ダンディなどです。