ピアノ

By , 2006年9月17日 11:53 AM

郡山時代はピアノが部屋に置けなかったため、貸倉庫に預けていたのですが、やっと今日戻ってきました。少し弾いてみましたが、チューニングが必要なようです。

昨日は学会発表でした。発表終了一分前のベルと、発表終了のブザーを同時に鳴らされるというアクシデントはありましたが、何とか無事に終了しました。

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9.11

By , 2006年9月11日 10:34 PM

ニューヨーク多発テロ。その時、友達と電話していて、受話器の向こう側から「うわ、テレビ見て!」と言われた気がします。

確かに被害者の方には残念なことだと思いますが、チョムスキーの本を読めば、起こっても不思議ではなかった気がします。これまでアメリカはテロリストに莫大な資金を投入して育ててきました。国連がアメリカにニカラグアのテロリストに対する協力をやめるように決議したとき、アメリカは2度拒否権を発動したそうです。

その後、アフガニスタン、イラク戦争へと発展していきましたが、イラク戦争に対するチョムスキー流の皮肉は、「イラクがアメリカ同様に拒否権を持っていたら、国連決議には何一つ違反していなかっただろう(気に入らない決議には、アメリカ並みに拒否権を乱発すれば、決議違反にならないから)」ということです。

自分の日常の罪悪感を浄化するためか、痛みを被ることなく、また現実を知らず平和を感情的に叫ぶ人もいますが、チョムスキーの論理には説得力があります。偶然、最近読んだ本にチョムスキーに対する評論が載っていたので記しておきます。

チョムスキーは、若くして言語学で新しい文法論理を開発したのと並行して、かつてベトナム反戦運動のため研究費の支給を止められてもひるまなかったし、その後も今日まで活発な平和運動を続けてきました。同じ一個の脳の中でこの二つの活動が並行して活発に営まれてきた事実は、彼の言語学と反戦運動は根底で結びついていることを思わせますし、また人間の言語機能と他の知的機能との間に、遺伝的にも深い関係があることを示唆しているようにも思われます。(臨床医が語る脳とコトバのはなし(岩田誠著)

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頭痛

By , 2006年9月9日 7:13 PM

頭痛患者が正確に診断されるまで、いくつかの病院を回らなければならない、正確な診断に年月がかかる現状があります。これは、医師患者ともに知識が不足しているからであり、何故不足するかと言えば、「我慢すればすむ頭痛」「進行しないし死なない疾患」に対する医師の認識が甘いからです。一般の方向けに、簡単に書きます。

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麻酔の歴史

By , 2006年9月9日 6:46 PM

さて、次なる本として「麻酔の歴史(G.B.Rushman著、松木明知監訳、克誠堂)」という本を読み終えました。

当初の麻酔薬というのは、吸入麻酔であったため、酸素や二酸化炭素といった気体の研究が基礎になっています。1600年代中旬から100年間くらいは、大気中にフロジストンという可燃物があり、蓄積すると燃焼や呼吸を抑制するとされていました。そういったなか、Priestley(1733-1804)が赤色酸化水銀を熱して、酸素(彼の言う脱フロジストン空気)を初めて発見したそうです。それをLavoisierが酸素(oxy-gen, oxy=酸, gen=作るもの)と命名しました。で、Priestleyはいろいろ多くのガスを吸入して実験していたそうなのです(危険な男です!)。こうした中、Priestleyは1772年に初めて笑気を作り、「フロジストンのない窒素空気」と呼んでいたそうです。そればかりでなく、彼はアンモニア、二酸化硫黄、亜酸化窒素、二酸化窒素を分離しました。

その後、19歳で気体研究所の所長に任命されたDavyは、自分の歯肉の炎症時に、笑気を吸った後症状が軽くなることを記載しました(ちなみにナトリウム、カリウムを発見したFaradyはDavyの弟子だそうです)。Davyの記述は40年もの間注目されなかったそうですが、Coltonらの笑気吸入実験中に、笑気を吸った助手が偶然怪我をして、その際痛くなかったといった事実がありました。実験仲間の歯科医Wellsが自分の親知らずを抜くのに使うことを希望して、結果は大成功だったのです。その時のColtonの台詞が「抜歯に新時代が来る」だったそうですが、その後Wellsは公開実験に失敗し、講義室を去りました。

二酸化炭素は、Helmontが発見しましたが、彼はKhos(カオスを意味するギリシャ語)からガスという用語を作りました。笑気を始めとするガスは、吸入遊びとして流行していたそうですが、Hickmanは二酸化炭素を用いて麻酔しようと試み、やがてもっと有用な気体として笑気やエーテルが用いられるようになっていったと言います。

John Snow(1813-58年)という医師は、麻酔深度を5期に分け、Ⅳ期が外科麻酔期、Ⅴ期が呼吸が麻痺する時期としました。そして既知の濃度のエーテルを使用することとしました。彼はクロロフォルムを良く使い、4000例以上に投与し、死亡例は1例のみだったそうです。往年のSnowはコレラが水系感染した際、水道会社のポンプのハンドルを外してコレラを終焉させたこともあったそうです。

エーテルを広めたのはMorton(1819-68年)という歯科医でした。彼は前記のWellsの笑気の実験の失敗の目撃者だったそうです。彼の墓には「彼以来科学は痛みを支配した」とあります。Mortonの発見を受けて、1846年にListon教授が下肢切断術の公開手術に用いていますが、この時の見学者が防腐法で有名なLister(1827-1912年)でした。

こうした麻酔薬の進歩には、歯科がかなり関与していました。こうした麻酔の進歩とListerの開発した防腐法を始めとする消毒法が相まって、外科学が進歩していくのですが、麻酔学における大きな実験の際、防腐法の開発者Listerが居合わせたというのは、偶然とは思えません。

特筆すべきは、1800年代の麻酔薬に関する発見の多くは、20歳代の人間によってなされていることです。もう私の20歳代は帰ってきませんが・・・。

こうして読んでいると、医学の歴史が試行錯誤の繰り返しであったことがよくわかります。例えば、犬に対する輸血実験は1666年が初めてらしいのですが、人に対しては、Jean Baptiste Denis(1625-1704年)が羊の血を使用したそうです。最初の患者は輸血後経過良好でしたが、二人目と三人目は死亡したため断念されたと1668年の報告にあります。羊の血を輸血するというのは、倫理的にどうかとも思いますが、当時には当時の事情もあったのでしょう。

人から人への輸血は1818年に成功して以降たびたび行われていたそうですが、Karl LandsteinerがABO型を発見したのが1900年、DecastelloがAB型を発見したのが1902年であったそうですから、かなり危険性はあったのではないかと思います。1930年代のソ連では死体血を用いて輸血していたそうです。抗凝固薬であるヘパリンが発見されたのは1916年です。

産科麻酔では宗教との戦いがあり、キリスト教側が聖書「創世記」から「汝は苦難のうちに子供を産み・・・」と述べたことに、医学側は同じく「創世記」から「そして主なる神はアダムを深く眠らせ、眠ったときにそのあばら骨の一つを取って」
を根拠に、神も麻酔を使ったではないかと反論したそうです。

また、手動式血圧計はvon Recklinghausenが開発したものであること、フロイトはコカインがモルヒネ中毒の治療薬であると信じていたこと、多くの研究者が実験で自分にコカインを使い中毒になっていったことなど、あまり知られていない出来事も書いてあって勉強になりました。

などなど、専門的で読みにくいかもしれませが、お薦めの本として挙げておきます。こうした紹介だけでなく、いつか自分も内容のある本が書けるようになりたいと思いますし、そのためにはもっと知性を高めないといけないと考えています。

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精神医学の歴史(2)

By , 2006年9月7日 8:48 PM

前回紹介した「精神医学の歴史」という本を読み終えました。

ドイツの優性思想だとか、その時代背景だとか、それが過去や現在の医学の考え方とどのように結びついたかにも触れていて面白かったです。

紀元前18世紀から既にハシュシュが存在し、BC1550年頃にはエジプトでケシopiumが鎮痛剤として用いられていたことから、かなり昔から精神に作用を及ぼす薬を使っていたことがわかります。ちなみに最古の意識変容薬は、アルコールか、もしくはシャーマンが用いた毒キノコと言われています。

また、アラブ世界からコーヒーをヨーロッパに持ち帰ったラウヴォルフが、インド蛇木から採った薬をヨーロッパに紹介しましたが、その主成分が降圧剤として使用されたレセルピンで、副作用である抑うつ状態の研究の過程で脳内アミン類の減少が報告され、現在の鬱病の原因としてのモノアミン仮説が唱えられるようになったそうです。他に、製薬会社社長が覚醒剤中毒になった友人を治療するために開発したのが統合失調症治療薬のハロペリドールだったとか、躁病治療薬のリチウムが19世紀にはリウマチの治療薬であったとか、嫌酒薬ジスルフィラムがもともと回虫駆除薬であったとか、話題に事欠きません。

梅毒患者の慢性脳髄膜炎による精神症状について、脳から初めてスピロヘータ・パリーダを分離したのが野口英世ですが、当時治療としては患者の血液中にマラリア患者の血液を注入し、高熱を出させて治療することが行われていたことを知って、ぞっとしました。

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精神医学の歴史(1)

By , 2006年9月4日 11:17 PM

今、読んでいる本が「精神医学の歴史(小俣和一郎著、レグルス文庫)」です。まだ四分の一くらいしか読んでいないので、全てを把握した訳ではありませんが、これが実に面白い本です。

出だしは、人類の歴史から始まります。それから言語の起源に触れます。なぜかというと、言語なくして精神病を診断することは非常に困難であるし、言語の中に昔の精神病に関する表現が残っているからです。一方で、文字のない言葉も存在し、インディオ文化、アイヌ語、ポリネシア語などが該当することを初めて知りました。神経内科では痴呆(dementia)を扱いますが、「dementia」はラテン語の「de=逸脱」「mens=心」から派生しており、他に「amentia」という単語があるそうです。

次に、宗教との関わりに進みます。ここでヒポクラテスの誓いに関する面白い記述があります。当時はヒポクラテスらの自然療法主義よりも、宗教的な治療であるアスクレピオス信仰の方が人気が圧倒的に高く、両者は対立していた可能性があります。攻撃を避けるため、ヒポクラテスがアスクレピオス信仰に対して帰順の意を示したのが、「誓い」であると考えられるのです。従って、「誓い」は「医神アポロン、(中略)その他すべての神々の前で、私は誓います。」と始まります。その事実を示されると、文章の受け止め方が少し変わってきます。

また古代ギリシャには、精神の在処を横隔膜(Phrenos)に求める考え方があり、これが転じて「統合失調症(schizo-phrenia)」という語が出来たそうです。

これからも通勤時間に読み進めていくつもりですが、筆者はとても論理的で説得力があります。言語を中心とした文化論や芸術にも造詣が深く、本書は名著と思います。

医学史についても触れながら話が展開していきますが、昔読んだ「医学の歴史(梶田昭著、講談社学術文庫)」の復習にもなり、楽しめました。

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偉人たちの死亡診断書

By , 2006年9月3日 2:05 PM

「偉人たちの死亡診断書(中原英臣、佐川峻著)」を読みましたが、内容に乏しい本です。診断の根拠に乏しく、医師が読むととうてい納得できません。根拠となる部分の引用もありません。

例えば、「信玄の病気については、当時、労咳と呼ばれていた肺結核といわれたり、あるいは隔病と呼ばれていた胃ガンともいわれている。『甲陽軍艦』の記述からみると、信玄の死因は胃ガンであったと思われる。」において、「甲陽軍艦」のどの部分の記述かは不明です。

他にも「その死因については、いろいろな説があるが、砒素による毒殺という説が有力のようだから、ナポレオンは砒素中毒で死んだということになる。」「もし、ナポレオンが本当に砒素で殺害されたとするなら、急性中毒ではなく慢性中毒だったはずだから」など、首をかしげるような論理の飛躍があります。

病気についてのあたりさわりのない解説が大部分を占めていますが、一般人向けだからでしょうか。でも、「○○だったとすれば○○だったことは確実だ」という部分においても、必ずしもそうではなかったり、抗生剤があれば肺炎で死ななくてすむとか、高血圧が容易に降圧剤でコントロール出来るとか、高血圧がコントロールされれば脳出血で死ぬことはなかったはずだとか、臨床医なら可能性としてしか示せないことも、かなり断定的に書いていて、嫌になります。

更に致命的な間違いを発見しました。「今では、脚気の原因がビタミンB2の欠乏であることくらい、小学生でも知っている。そのため、脚気は医学的には『ビタミンB2欠乏症』と呼ばれている。」という記述ですが、脚気はビタミンB1の欠乏で起こります。

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旅行前夜

By , 2006年8月28日 12:28 AM

いよいよドイツに向かいます。

8月24日は郡山の病院で最後の外来を行いました。研修医時代の指導医が理想としていた、「患者さんが『今日来て良かったな』と思えるような外来」を目指してきましたが、2年間やってみて、なかなか難しいものでした。「医者が目を見て話してくれない」、という苦情が多いことを学生時代授業で習っていたので、出来るだけ、相手と目を合わせるようにというのは意識していましたが・・・。最後の外来に対する患者の反応で最も多かったのが、「せっかく何でも話せるようになったのに、もう変わってしまうの?」というもので、半数以上の人がそう答えていました。残念ですが、システムの問題であり、一介の医師にはどうしようもありません。

8月25日は診療を終えて、猪苗代湖を見に行ってから、19時に郡山を出発しました。夜通し高速を走ったのですが、北陸道から名神に入ろうとして、米原手前で力尽き1時間仮眠をとりました。後はそのまま名神→中国自動車道と抜けて、朝6時に実家に着きました。実家では、2時間くらい寝てから友人と米子に馬券を買いに行きました。その夜は親と飲んで、それから友人と2時半まで麻雀。27日朝は7時前に起きて、免許の更新を行ってから東京に戻りました。

ハードスケジュールでしたが、普段なかなか会えない人たちと会えて懐かしかったです。

最近で一番驚いたこと。ボスから「君のホームページ見ているよ」と言われたこと。エロ本が親に見つかったときのような衝撃でした。

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搬入

By , 2006年8月23日 11:09 PM

今日の午後から、荷物の搬入を行いました。1時間半くらいで終了しましたが、その後段ボールから中のものを出すのに一苦労です。筋肉痛になってしまい、また埃が多いためクシャミが止まりません。

そんなこんなでしたが、今夜は久々の東京の夜。祝杯をと思いましたが、明日午前中外来なので始発で帰ります。そのため、もう寝ます。

明日は郡山最後の夜です。温泉のある旅館に泊まる予定です。

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搬出

By , 2006年8月23日 6:26 AM

一昨日、研究室から教科書、論文を自宅に持って帰りました。段ボール10箱程もあり、同僚の先生に手伝って貰いましたが・・・。その先生は、我が家からシャンデリア、カセットコンロを戦利品として持って帰ったようです。

昨日午後に荷物を「鳩のマークの引越センター」が取りに来て、全て搬出しました。段ボール50箱分の荷物と家具。作業は2時間弱で終了しました。手際よく、対応も良く、スムーズに終えることが出来ました。

引っ越しの後、病院に戻って研修医達に脳梗塞の講義をして、その後友人宅で食事をごちそうになりました。本格的なカレーをはじめとした料理、焼酎「魔王」や貴腐ワインを頂き、堪能しました。ラブラブな夫婦を見ていて、羨ましく思いました。二人の馴れ初めを聞こうとしたのですが、友人の機嫌が悪くなりかかってやめました。今度は是非二人を東京で接待したいと思います。

家に戻ってからは、空っぽの部屋に一人。エアコンを運び出してしまったので、暑いかと思いきや、布団がないため、逆に寒くて目が覚めました。4時半に目が覚めてから一睡も出来ず。ゴロゴロ転がっていって、気がつくと押入の中にいました。例のエアコンは、1月に故障したことがあり、私を凍えさせた曰く付きのエアコンですが、「シャンデリアの君」に差し上げることになりました。東京のマンションはエアコン備え付けですが、福島は自分で購入し、処分しないといけないのですね。

今日の午後、東京で荷物を受け取ります。今日を最後に、この部屋を引き払います。

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