死に方 目下研究中。
今日「死に方 目下研究中。-医学者と文学者の彼岸探し対談-(田辺保/岩田誠、恒星出版)」という本を読み終えました。死生観についての本です。この本を読んでから、死に直面している患者への接し方も少し変わるような気がします。
「死」を意識すると、その分「生」を意識することにもなると思います。中でも面白かったのは、健康が幻想であるということです。障害と病気は同一ではなく、障害があっても健康ということもある。「健康というものは身体的な状態を表現する言葉ではなく自分の心の状態を表現するのによりふさわしい言葉であることを知った」とあります。また、安楽死、尊厳死に関しても目の覚めるような記述がありました。医師向けに書かれた本ではなく、文学者との対談という形式からもわかるとおり、誰にでも楽しめる内容となっています。皆様、是非一読されることを勧めます。死は誰にでも平等に訪れるものですから。
最近の若者
最近、産科医・小児科医の不足に伴って、「産科、小児科は激務だから、最近の若者は敬遠する」との分析を良く耳にします。若者気質というのが問題とされているようです。
私が産科、小児科に行かないのは、診療内容に対する興味が希薄であること、子供嫌いなことが関係しています。そういう医師が、産科、小児科に進むべきではないでしょう。私は「脳と音楽(岩田誠著)」という本を読み、脳に興味が湧き、その脳が傷害された神経疾患を勉強したいと思うようになりました。決して、産科、小児科に行かない医師のモチベーションが低い訳ではありません。そして、決して産科、小児科でないから暇という訳でもないのです。
「産科・小児科が不足しているから医師は産科・小児科に進むべきだ」と考える人は、「少子化が進んでいるから子供をたくさん作るべきだ」と言われて子供をたくさん作るか考えて欲しいと思います。個々の人間にはそれぞれの現実、状況があり、その中で自分が妥当と考える選択をしているのです。医師が安心して産科、小児科に進めるように環境を整えることが大切なのではないでしょうか?若者気質というのがどこまで影響しているかわかりませんが、産科、小児科不足の答えではないと思います。
私が地方の病院の関係者と話をしていて良く聞くのは、「何科でもいいからとにかく医師が欲しい!」という痛切な声です。医師不足は産科、小児科に限らないようです。なぜこのような状況になってしまったかについては諸説ありますが、ネット上での議論も盛んであり、今後マスコミも取り上げるようになっていくでしょう。少なくとも、ここ数年で医療のあり方はぐんと変動すると思われます。
司法との関係について元外務大臣の町村氏が興味深いことをHPで書いていました。
(参考)
・消える産婦人科
引っ越し準備
昨日と今日、それぞれ違う業者が引っ越しの見積もりに来ました。雰囲気的に、昨日の下見した業者に決めかけていたのですが、一応相見積もりということなので、今日はくろねこヤマトの引越センターでした。
「ピンポーン」とチャイムが鳴ると、そこには若い女性が・・・。見積もりが若い女性の方とは知らず、部屋は散らかしっぱなし、床には下着が散乱してました。思わず赤面してしまい、敷きっぱなしの布団のそばを通るときは、つい意識してしまいました。表情には出さないようにしていた筈なのに、「当日は、女性スタッフが全て荷造り致します」と言われ、頭の中では、黒猫の格好をした女性店員がグルグル・・・。
8月下旬にドイツに行こうかと思い、ボン音楽祭と、ホルシュタイン音楽祭のチケットはネットで予約しました。後は飛行機のチケットだけですが、ヒースロー空港でテロ未遂があり、何とも微妙な情勢です。明日、H.I.S.に行こうかと思っています。
今週は、病棟が荒れていて、楽器に触ったのは水曜日の30分くらいのみですが、明日の本番はなんとかなると良いなと思います。
神経内科懇話会
昨日、東京の経団連ホールで「神経内科懇話会」という勉強会に参加して来ました。病棟業務を終えてから参加したので、全部参加というわけにはいきませんでしたが、第2部、第3部は参加することが出来ました。
第2部はt-PAという薬剤で、以前この日記でも紹介したことのある薬剤です。脳の血管に詰まった血栓を溶かしてしまおうという薬剤です。出血性梗塞のリスクがあるので、制約の多い薬剤ですが、出血性梗塞を減らすのには「早期に投与する」ことが極めて重要です(発症3時間以内のみ投与が許されています)。そのため、「Heart attack」に対抗して「Brain attack」という言葉も提唱されるようになりました。脳梗塞を発症したら、一刻も早く病院受診することが必要です。しかし、一般人に脳梗塞の症状を聞いたところ、正答できた人がほとんどいなかったというのは問題です。脳卒中協会は今後CM等通じて訴えかけていくようです。ただし、この薬剤が発売されてから、投与された患者数は現在までに2000人程度。使える施設も一握りです。非常に人手がかかる治療のため、適応がある症例であっても、出来る施設が限られるのです。今後はもう少し体制が整っていくものと期待しています(とはいえ、医師にとっての負担が非常に大きい治療です)。
第3部は、ALSに対してモルヒネを使用することで患者の苦痛を和らげることが出来ないかという話でした。ALSでは、人工呼吸器を選択しない患者が70%ということもあり、苦痛を如何に取り除くかは、大切な問題ですが、遅れているのが現状です。
アメリカでの胃カメラ
やっと、昨日の福島ローカル新聞に梅雨明けの記事が載りました。私は岡山出身のため、梅雨明けはいつも7月上旬くらいの感覚があります。東北地方の梅雨明けは、他の地域より遅いとはいえ、今年は平年より10日遅れとのことです。8月に入ってからの梅雨明けは記憶にありません。
先日の消化器の勉強会で、川崎医大の教授が講演に来ました。消炎鎮痛剤による胃潰瘍がテーマの講演会でした。その際、「私はメイヨークリニック(世界最高レベルの病院の一つ)にいましたが、受診しようとして受付に行くと、クレジットカードを提示するように言われ、なければ『お大事にどうぞ』で受診拒否。入院の場合は、入院時に100万円チャージさせられるが、1週間でなくなる。胃カメラは金銭的に余裕がなければ受けられず、また緊急性があっても運良く出来る医者がいないといけない。」と仰天の話を聞きました。このような事情で、日米の治療の直接比較は困難です。日本は胃の疾患 (胃癌、胃潰瘍など) が多いので、医師の経験が豊富で、日本での胃疾患の治療は世界最高レベルと思います。
(参考)
「アメリカの医療費」について
軽井沢合宿
7月29日は、運動障害研究会で発表した後、部活のOB合宿のため、新幹線で軽井沢へ。軽井沢駅から先は、御代田駅まで電車の予定でしたが、電車が1時間なかったため、タクシーで「コテージ ニュー吉田」へ向かいました。タクシーの運転手が御代田出身とのことで、いろいろと案内してくれました。今や裏通りと化した中山道を走ってくれたことも、良い思い出になりました。
コテージに着くとすぐにバーベキュー。ベロンベロンに酔っぱらって、ヴァイオリンの師の前で、メタメタの演奏をしました。早朝ヴァイオリンの先生は帰りましたが、残った部活の先輩・後輩、N響第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリンの方達と合奏を楽しみました。最終的に、チェリストがいた方がもっと盛り上がることが明らかになり、来年は元N響チェリストが参加することが決定しました。これも、先輩がN響のヴァイオリニストの方と結婚したこと、大学の部活に芸大生が以前よく遊びに来ていたことなどから広がった話です。
演奏家の方々といろいろ話してみて、非常に大変な仕事だと思いましたし、皆さんとても真摯に音楽と向き合っていることを実感しました。N響のヴァイオリニストの方に、「この演奏家はすごい」という人がいるかと聞いたところ、F.P.ツィンマーマンの名前が挙げられました。その他にも、N響の方が共演しながら涙が出るくらい感動した歌手の話を教えて頂きました。
軽井沢の後は、東京に寄って不動産屋へ行き、東京での住処を練馬の新築物件に決定しました。9階の部屋ですが、新宿まで遮るもののない夜景が非常に綺麗です。一ヶ月後の誕生日は、東京かドイツどちらかで迎えることになりそうです。
ビルロート
近代外科学の父と言われるビルロート(1829-1894)の伝記「ビルロートの生涯 (武智秀夫著、考古堂)」を読み終えました。医学生にとってはなじみ深い名前ですが、その人生については知らないことだらけ。本の中では当時の有名な医学者が多数登場しました。
ビルロートの親友にはゲオルク・マイスナーがいます。マイスナー神経叢で有名です。また、グレーフェ徴候で有名な眼科医グレーフェのもとも一時期熱心に訪れました。病理学者メッケルや生理学者ミュラーとも仕事をしていました。
ウィルヒョウとはベルリン大学病理解剖学教授選挙を戦い敗れています。その後、眼科兼外科でチューリッヒ大学教授になりました。数年後、眼科はホルネル(ホルネル徴候で有名)に譲って外科に専念することになったようです。医学教育にも力を注ぎ、「学生は放っておくと講義に出ない」などと、思わず苦笑いするようなことも言っています。
ビルロートはランゲンベックのもとで外科を勉強しましたが、ランゲンベックは森鴎外の「隊務日記」でも「爛剣魄骨」として登場します。
ビルロートの学士論文は「両側の迷走神経を頸部で切断した後の肺の変化の性質と原因」というものです。「血管の発生について」という論文で教授資格を得ています。
彼の先駆的な仕事として、「手術結果を追跡調査し統計をとること」をはじめ、患者の体温を記録すること(温度板)などがあります。何より、一番の仕事は、初めて胃ガン患者の胃切除手術を成功させたことです。その胃切除の方法をビルロートⅠ法と名付けたのは、コッヘルという甲状腺外科医で、彼の名前を冠したコッヘルという有名な手術器具があります。ビルロートはその後ビルロートⅡ法という術式を編み出しました。ビルロートⅠ法、Ⅱ法とも今日でも日常的に行われていますが、日進月歩の医学の中で、100年以上術式が残っているのは、きわめて異例といえます。ビルロートは他にも喉頭癌の手術を成功させ、人工喉頭の元となるアイデアで声を復元しようとしています。
歴史的には、胃ガン患者に最初に胃切除を行ったのは、ジュール・ペアンだそうです。手術器具でペアンというものがありますが、最も良く使われる器具の一つです。
ブラームスが弦楽四重奏曲第1,2番をビルロートに捧げ、さらにはビルロートと部下のミクリッツがピアノ連弾で弾けるように、交響曲の第1,2番をピアノ連弾様に編曲したという逸話も紹介されていました。ビルロートはピアノ、ヴァイオリン、ビオラを演奏し、ピアノの一オクターブより二つ指が届いたそうです。
ビルロートはウィーンで旧フランク邸に住んでいたことがありますが、フランクは音楽愛好家の医師で、ベートーヴェンの難聴を診察しています。ビルロートがブラームスに宛てた手紙の中で、「いつも興味あることだと思うんだが、フランクとベートーヴェンはこの家で交際していた。そして100年後の今日、同じ屋根の下で君と僕が交わっている。ベートーヴェンはこの庭の小道を散歩したことだろう。」と記されています。ビルロートの家では、ハンスリックやヨアヒムなどが呼ばれ、ブラームスの新作の演奏が行われていたとのことでした。
音楽と医学が交わるところに存在した医師で、医学史の上でも重要な人物。興味がある方は読んでみてください。「ビルロートの生涯(武智秀夫著、考古堂刊)(ISBN 4-87499-998-0)」で、アマゾンなどで買えます。
本の中で、ビルロートが好んだ言葉は「Nonquam re-tororsum(決して振り返るな、いつも前へ)」だったと紹介されていました。先駆的な業績を挙げた人に相応しい言葉です。