もう8月にもなろうかというのに、いつまでも雨が降り続いています。今年は、春に雪が降り止むのも遅ければ、梅雨入りも遅く、梅雨が明けるのも遅いように感じます。
7月22日は、「Fighting Vascular Events in Tokyo」という抗血小板薬についてのフォーラムに参加。その後、私の下で勉強した研修医と上野で待ち合わせ。私が店長と仲良くなっている隠れ家的な居酒屋があり、そこの個室で七輪で魚を焼きながら、焼酎を飲みました。その医師は、研修を終え、現在国立の大学病院勤務で医師3年目ですが、「朝7時半出勤、帰宅は午前1~2時、土日休日なし」と、私が研修医だったときのようなハードな生活をしていました。体重も10kgくらいやせたそうですが、仕事自体はやりがいがあるとのことで安心しました。「普段食事をとっているのか?」と聞いたところ、「昨日は朝はカロリーメイトで、昼と夕方はパン(院内に売っているパンで、自販機内から落ちてくる様から『自殺パン』とよばれているとか)」と言っていたので、とりあえず腹一杯食べさせました。
その後、研修医と別れ、東京プリンスホテルのパークタワーで一泊したのですが、とても綺麗でサービスが行き届いたホテルでした。起床後、バーンスタインの「答えのない質問」というDVDの第2話を見てから、ヴァイオリンのレッスンへ。
ヴァイオリンのレッスンでは、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番(バッハ)からFugaを見て頂きました。直された内容は、①Dominant→Tonicとなるときに、Tonicの方が強くなってしまっている、②前の音を押さえている指との関係で、次の音を押さえないから、音がバラバラになってしまう、③低音の声部がクリアに聞こえない・・・など、前回無伴奏パルティータ第1番のレッスンを受けたときと同じような課題でした。進歩がないというか・・・。結局3時間くらい先生の家で演奏したり話し込んだりしていました。うち1時間くらいは芸術論についての議論で、非常に勉強になりました。「音楽家が何を考えて演奏活動をしているか」ということまでは、なかなか知り得ないことです。代わりに私も「医師が何を考えて医療を行っているか」などお伝えしました。
レッスン後家を探しに不動産屋に寄りました。楽器可だとなかなか難しいものです。どこも夜8時までの演奏が限度のようです。もう少し探す余地があります。
7月1日に郡山に遊びに来た友人が、また7月15日、16日と遊びに来ました。暇を持てあましていたこと、競馬で大勝し、遠征費用が生み出されたためです。本日その友人は岡山に引っ越すため、郡山で会うのはこれが最後でしょう。友人は東京でのプログラマーとしてのキャリアを終え、地元岡山のIT業界で働いていくそうです。
友人とは、福島競馬場で馬券を買ったり、飲み歩いたり、麻雀を打ったり、これ以上ないくらい遊び尽くしました。飲んで潰れて横になったときに、いろいろ語りました。将来のビジョン、自分がキャリアアップするために何がしたいかを聞いて、私も頑張らなければと思いました。
バーンスタインがハーバード大学で講演した「答えのない質問」というDVDを購入しました。バーンスタインは「Young people’s concert」という音楽番組で、非常にわかりやすく音楽を解説していたので、見るのが楽しみです。
とうとう、ワールドカップもイタリアの優勝で幕を閉じました。敗退したチームも決して内容的に劣っていた訳でなく、世界最高レベルの選手の集まる大会を堪能しました。
さて、そのワールドカップ期間中に、私の両親がたまたまドイツ→ザルツブルグ→ウィーン旅行中だったそうです。ドイツで泊まったところが、偶然アルゼンチン対ドイツ戦の行われた街。ドイツの勝利に深夜までクラクションが響いていたとのことでした。とても手のかかる子供を持って、さぞかし子育てが大変だったと思いますし、その分たくさん良い思いをして欲しいと思います。
私自身も旅行の計画を立てている最中です。「ヨーロッパ医科学史散歩(石田純郎著、考古堂)」「バッハの街(マルティン・ペッツォルト著、東京書籍)」などを参考にして、自分自身を高める旅にしたいです。ボンとライプツィヒは相当距離がありますが、両方外せない街です。毎年楽器を持って遊びに行っているのですが、今回は移動が多いので迷います。ヨーロッパに楽器を持っていくと、とても響きが良いのです。そういったところで音を出すと、奏法が変わるのがわかります。とはいえ、なかなか荷物も多いですし・・・。
(追記)
「ヨーロッパ医科学史散歩」の著者、石田純郎先生から、下記のコメントを頂きました。
拙著を参考に旅行に行かれることを
光栄に思います。
7月1日、幼なじみの友人が、横浜から我が家に遊びに来ました。彼は今後岡山県の実家に戻り、仕事を続けるようです。これまでは、毎月のように私が彼の家に遊びに行っていたのですが、寂しくなります。私に麻雀、競馬、といった遊びを教えてくれた師でもあります。良く飲んで語り合ったのを思い出します。
7月1日は、猪苗代湖、五色沼といった名所をまわり、7月2日に、一緒に福島競馬に遊びに行き、楽しみました。結局二日間飲み歩き、7月3日の朝、氏は帰っていきました。次に会うのはいつになるか、いずれにしても、岡山の実家付近で会うことになるでしょう。
サッカーの中田選手が、引退を発表しました。同い年ということもあり、また、彼の日記を昔から読んでいて、知性にあふれた人だなと思い、ずっとファンだったので残念に思います。しかし、引き際というのは自分で決めるものですし、今後の人生を楽しんで欲しいなと思います。
昨日7月7日は、特殊疾患療養病棟で私の送別会をして頂きました。9月1日付けで大学病院に戻ることとなるためです。今後7月下旬には、研究会での発表、軽井沢でのプロを交えた音楽合宿、8月上旬には発表会(無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番(バッハ)からFuga演奏予定)、8月下旬ドイツ旅行、引っ越し・・・。過密な日程が続きます。
明日は、東京でボツリヌス毒素の講習を聞く予定となっています。ボツリヌス毒素による筋弛緩を利用して、眼瞼痙攣などの治療をすることがあるのですが、その為には資格が必要だからです。資格といっても、手技的には簡単なものなので、講習を聞くだけで可能となっています。
前回は、「裁判官が日本を滅ぼす」という本を紹介しましたが、同時に購入した「裁判官はなぜ誤るのか(秋山賢三)」という本の方が、読んで明らかに面白かったです。こちらは元裁判官が、自省を含め、構造的な問題を指摘しています。2冊を比較すると、ジャーナリストの文章のいい加減さが見えてくる気がします。
その他最近購入した本は、「ビルロートの生涯(武智秀夫著)」「人の魂は皮膚にあるのか(小野友道著)」「ヨーロッパ医科学史散歩(石田純郎著)」「臨床医が語る脳とコトバのはなし(岩田誠著)」「死に方目下研究中。(田辺保、岩田誠著)」「精神医学の歴史(小俣和一郎)」「外科の歴史(W.J.ビショップ)」「死の真相―死因が語る歴史上の人物(ハンス・バンクル著)」といった所です。どれも魅力的な本で、これから読むのが楽しみです。特に、ビルロートの本は、ビルロートが作曲した歌曲の楽譜がついていて、是非演奏したいと思います。
ここ1ヶ月くらい、毎朝5時半に起きて読書をしています。今日読み終えたのは、「裁判官が日本を滅ぼす((門田隆将著)」という本です。医師は白衣を着ていますが、裁判官は黒い服を着ています。一冊を通じて、「何物にも染まらない意志表示」で黒い服を着ているのではなくて、「既に染まりきってしまったから」黒いのかという皮肉を思いつきました。
何故、このような本を読もうかと思ったのは、最近の医療裁判において見当はずれの判決が多発しているからです。医療行為というのは、人間である医療スタッフが、刻々と変化する状況の中で限られた情報を元に行うものです。従って、後から結果を検証した場合、常に最善だったということはありません。次善であったり、その後出てきた検査結果を照らし合わせれば最初の決断が間違っていることもあります。でも、決断をしないと治療は進みません。それが現実だと思います。
医学的な専門知識を他の医師並に持ち、その時点において妥当と思われる選択をした医師に、後付の理由で結果責任を問うたり、およそ現場からは常識はずれの判決が多発しているのを良く耳にします。私は法律は素人なので多くの判決が妥当かは論じられませんが、医療に関する訴訟を常識的に判断すると、違和感を覚えることが多いように感じます。医師に対して厳しすぎる判決のみならず、甘い判決の場合にもです。
本の内容としては、およそタイトル通りでした。裁判官を糾弾する内容に終始していて、さまざまな誤判が具体的に書かれていました。しかし、だんだんとジャーナリズムと表現の自由についての記述が増えていき、最終的に裁判官が表現の自由を侵害しているという結論が伝えたかったようです。途中述べられていたのが、「新潮45」が名誉毀損で訴えられたことがおかしいということ。そしてこの本の出版元も新潮社。少し本の裏に隠れた意図も見えました。誤判を集めて、被害者の辛い感情を並べて、読者に義憤がこみ上げてくるように書いていますが、もう少し裁判官の立場についてとか、多面的に書いて欲しかったと思います。価値観が分かれる部分も断定的な表現が多用されたのが目立ちました。
裁判というのは、及ぼす結果が甚大なだけに、完全を求められることは理解できます。ただ、人間のすること。全てパーフェクトとはいきません。そこが難しいところと思います。
仕事が終わって、ワインを買って帰り、初戦のオーストラリア戦を見ていました。
戦前に散々盛り上がり、初戦は勝って・・・という事前の予想(大部分の報道)と異なり、惨敗でした。何でもあるのがスポーツの試合。こういうシナリオも予想していましたが、少しは現実が見えた人も多いでしょう。もちろん私も日本を応援していますが、余りに現実味のない報道には辟易していました。
酔っぱらいついでに、「String (1997年2月号)」という雑誌から。
今や、ストラディバリウスをも凌ぐ人気を誇る、バルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ、通称デル・ジェスのお話(中略)。今思えば、大変もったいないことですが、彼の作品には、ずいぶんおかしなものがあって、ネックがねじれているものや、左右が非対称なものや、f字孔の大きさの違ったもの等々があります。これらは『ドランク・デル・ジェス』と言われるもので、彼が酒を飲みながら作ったものだろうと推定されているものです。また、『プリズン・デル・ジェス』と呼ばれているものも残されていますが、これは獄中で暇つぶしに作ったものだろうと言われています
恐るべき酔っぱらいです。そのコラムのタイトルは、『アー・ユー・ドランク?』『イエス・アイ・アム』でした。
5月28日は、外科主催のゴルフコンペでした。私はまったくの初心者でしたが、ルールに助けられて、楽しむ事が出来ました。ルールというのが、隠しホールを決めて、そのホールのスコアをハンディキャップに当てるというもの。つまり、隠しホールのスコアが悪い人は、そのホールを基準としてスコアを修正するので、とんでもなく良い結果となるのです。さらに初心者ハンディとして、18ホール中8ホールをパーとして申告して良い事になっており、そんなこんなでハンディなしだと130台のスコアながら、8ホールパーにして101、さらに隠しホールの恩恵もあって3位入賞してしまいました。80台でまわっていた人も何人かいたのですが。
実は、その日はゴルフの始まる直前に雷が鳴っていて、しばらくレストランで雷がやむのを待ってから始めたのですが、こんな経験は始めてでした。土砂降りの中のゴルフとなりましたが、良い思い出となりそうです。
6月2日は大学時代の部活の新勧でした。池袋で朝までオールで飲んだり語ったり。久しぶりのオールでした。とはいえ、新入生は私の11歳も年下。知らないうちにおじさんになっていくものです。
サッカーのワールドカップ、日本の初戦まで1週間です。今回のグループは勝ち抜くのが厳しそうですが、楽しいサッカーを見られると良いなと思います。
夏休みは、今年はドイツを中心にまわろうかと思っています。バッハやベートーヴェン縁の地を訪れたいです。ウィーンはモーツァルトの墓地以外大体散策しつくしたし、8月頃はちょうどザルツブルグ音楽祭で、ウィーンでは良いコンサートをやっていないのです。バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータも出会ってから5年くらい。今は無伴奏ソナタ第2番を練習中です。作曲家縁の地を訪れて感じるものもあるはずです。
(参考)http://homepage2.nifty.com/bachhaus/reise/reise.html
最近は、「ブラームスの音符たち (池辺晋一郎著、音楽の友社)」という本を読んでいます。ブラームスは、近代外科学の父「ビルロート」の親友であったことも有名です。医師として少し親近感がわきます。
彼は「髭のあるブラームスと髭のないブラームス」という例えどおり、堅苦しいアカデミックな雰囲気の曲と同時に、聴きやすい曲も多く作曲しています。バッハからブラームスくらいまでの時代の曲は、表面上とても心地良く聞こえるように書いてありながら、曲の中にさまざまな工夫、トリックを見ることが出来ます。バッハ以前の音楽は、曲の構造としてはやや単純で、ブラームス以降は例外はあるものの、すこし取っ付きにくい作曲家が多い印象があります。論文を書くときは、だいたいバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタかベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴きながらで、心が落ち着きます。
音楽について勉強して、ある程度曲の構造が見えるようになると、建築物を見るような「構造美」を知ることが出来、新しい感動があります。井福部昭はピカソの言葉を引用して、「鳥の声は聞いているだけで心地良い。音楽もそれで良いではないか」と述べていますが、確かにそうではありながら、人によっては、より知的好奇心を満たす鑑賞の仕方もあると思うのです。そもそも、井福部昭氏が、音楽を深く知った上で鑑賞していた人なのですから。
モーツァルトのCD全集は、ようやくオペラを残して全部聴きました。今は、オペラを聴いていますが、本当は解説本を読みながら聴きたいところです。車での通勤途中に聴いているので難しいところですが、いずれまた聴きなおしたいと思っています。結構、いろいろな曲が気づかないように使いまわされていたり、他の作曲家の曲と似ている部分があったり、聴いていて飽きません。
話は変わりますが、実家の近くから、狂牛病の牛が見つかって少し驚いています。
(参考)http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/04/h0419-2.html
ロシアやフランスのそこそこの大病院で、脳梗塞治療を受けてきた患者に遭遇しました。
現時点での日本での診断のスタンダードは、
①病歴・診察所見で脳卒中(脳出血・脳梗塞など)を疑う
②CTで出血が除外出来れば、梗塞を疑って治療を開始する
③後日MRIを施行する(可能なだけ早期)
といったものです。
ロシアから来た患者は、CTもMRIもなく、脳梗塞として治療されていました(脳出血と脳梗塞は、正反対の治療です)。脳梗塞と脳出血は、画像検査を行わないと区別出来ないとされていますので、要は必要な検査を行わず、イチかバチかの治療だった訳です。CT1枚とれれば、危ない橋を渡らずに済んだわけですが、それがロシアのスタンダードの医療なのでしょう。彼が持って来た紹介状は英語でした。
一方、神経学の総本山フランスで治療を受けた患者は、CTを施行されていましたが、MRIは施行されていませんでした。神経内科医が数ヶ月に1度程度遭遇する程度の非典型例の脳血管障害は、見逃して良いということでしょうか。紹介状は何故かフランス語(苦笑)。さっぱりわかりませんでした。日本語で返信してみましょうか・・・。