4月17日(火) 19時開演 東京オペラシティ
1.スラヴ舞曲(ドヴォルザーク)
2.ヴァイオリン協奏曲ニ長調(ベートーヴェン)
3.交響曲第9番「新世界より」(ドヴォルザーク)
指揮:Daniel Harding、ヴァイオリン:F.P.Zimmermann
ロンドン交響楽団
ついに念願のコンサートに行ってきました。チケットをヤフオクなどで追加入手したため、神経内科の先輩2人、中学校時代の同級生と4人となりました。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ツィンマーマンが過去に録音したCDより少し早めのテンポで始まりました。そのためか、出だしは、想定していたのと違って、すこし違和感がありました。和声的にⅤ→Ⅰと執拗に繰り返すことを自分のレッスンで習いましたが、あまりそこを主張して演奏していなかったように感じます。でも、すっきりとした演奏で、良い意味で期待を裏切られました。ボウイングも、楽譜から離れて、かなり工夫しているようでした。ツィンマーマンの演奏として、オリジナリティが確認出来ました。ただ、(お互いに忙しいので)オーケストラとの合わせが少なかったためか、少し冷や冷やすることもありました。そのスリルがまた演奏を面白くするのかもしれませんが・・・。
カデンツァはクライスラー作曲。ツィンマーマンがクライスラーが使用していた楽器で演奏しているので感慨深く聴きました。
アンコールは、バッハの無伴奏パルティータ第2番3楽章。最後は全員が演奏に引き込まれ、沈黙のうちに終わりました。
ドヴォルザークでは、ロンドンフィル+ハーディングの魅力を味わいました。3楽章では「旅路」の旋律が出てきて、それが第4楽章でも繰り返されるのですが、味わいのある演奏でした。チェコ独特の音型を聴き、以前プラハに行ったときのことを思い出しました。
最後は4人で飲んで帰宅しました。当分、この演奏が頭から離れそうにありません。
(参考) ツィンマーマンのコンサートの感想を書いたブログ
・Adagioなひととき
・Sheva’s Diary
・コンサート日記
・Audio Life
・たるのいつものひとり言
「ユーディ・メニューイン『コンサート・マジック』を語る」という番組をクラシカ で放映していました。
メニューイン は若くして完成された演奏で一世を風靡しましたが、20歳代からスランプに陥り、苦しみに満ちた演奏家人生を送りました。このような音楽家としての苦悩は、彼を哲学者として育てました。彼はいくつもの著書を残しています。
「コンサート・マジック」は、若き日のメニューインの演奏を記した映画で、今回の番組は、メニューイン自身がその演奏を振り返るという企画でした。いくつものメニューイン語録が登場します。
まずはマタイ受難曲のアリア「神よ 憐れみたまえ」について。
これほど心を動かされた音楽はありませんでした。個人の苦痛が表現されているからでも、それを劇的に描いているからでもありません。この曲は全人類の苦痛を描いているのです。キリストの十字架に象徴される人類の苦痛と罪です。安堵感を与えてくれる音楽でもあります。
続いて、バッハについても語っています。
バッハから遠くなるほど彼の曲に価値が出てくる。現代社会はあまりにも傲慢で不遜です。伝統を軽んじ物事を深く考えない。暴力的で騒々しく残酷です。五感を苛み自然を破壊し、人間を攻撃します。じきにバッハの音楽が真価を発揮します。人々に癒しを与える解毒剤として。
彼の一言一言を聞いて、深い言葉だなと思いました。
昨日、19時くらいから、バイオリンのレッスンを受けて来ました。持って行ったのは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ツィンマーマンのコンサートを聴きに行く前に予習しておこうと考えたからです。
テクニック的な点では、右手の使い方を工夫して音色の種類を増やすことを教わりました。
音楽的な面では、和声 からの音楽のとらえ方を教わりました。古典派のドイツ音楽は、ドミナント(Ⅴ)→トニカ(Ⅰ)の和声進行が多く使用されます。ベートーヴェンでは特にそれが顕著です。ドミナントはトニカに向かう性質を持ち、トニカは解決するという性格を持つことが、ドイツ音楽の持つ雰囲気に多く影響しています。
フランス音楽は、これ以外の和声を多様することで、簡単に終止に向かわず、移ろいやすさが表現されます。
このようなことを教わって、最後に、このコンチェルトでどのカデンツァを用いるかという話になり、「いろいろな版のカデンツァをまとめて一つの本にしてくれたら、好きなカデンツァが弾けるのに・・・」と言ったところ、「出版社に聞いてみようか?」となりました。
有意義なレッスンでした。理論的な面ももう少し勉強していきたいと感じました。
絶対音感という言葉は、正確な定義なしに独り歩きしているところがあります。何だか「絶対」という響きが誤解を生んでいるのではないかと思います。
実際に楽器を演奏する上では、相対音感の方が大事で、これがないとハモらない(周波数比が綺麗にならないし)のですが、絶対音感は相対音感の習得を阻害するとも言われています。つまり、絶対音感があると、自己の内部にある音程を優先して、周囲の音程との関係がおろそかになりやすくなるのです。
具体的には、絶対音感のある人にとっては、440Hz~442Hz周辺が「ラ(A)」、○~△Hzが「ド(C)」と決まっているのです。一方、相対音感では周囲に演奏される音との対比によって周波数が決定します。440-442Hzから遙かに外れる「ラ(A)」もありますし、周囲の音程と周波数がそろう音程は、ケースによって変わってきます。
本当に優れた演奏家は、絶対音感と相対音感両方を持っていることが多いのですが、中途半端な演奏家は両方弱いケースが多々あります。また、楽器の違いもあり、例えば東京フィルでは弦楽器奏者のほとんどが絶対音感を持っているのに対して、管楽器奏者の多くは絶対音感がないそうです。つまり、音楽に絶対に必要な能力ではないということです。また、更に、絶対音感や相対音感で規定される音より更に外れた音が、そのフレーズの文脈の中では心地よかったり、表現につながったり、一概に正しい音程というのは定義出来ません。
絶対音感を検査しようと思うと、ある音を出して、その音が何の音か当ててもらうことになります。しかし、ドレミファソラシとその半音を合わせた計12個の音符から答える訳ですから、確率的に12分の1は正解になります。この正答率が高ければ、絶対音感があるというのですが、問題はどのくらい高ければ絶対音感があるというかです。その定義がうまくなされていないのです。また、純音よりも、倍音を含んだ楽器の音の方が成績が良くなる傾向にあります。
こうした問題に取り組んでいる日本人研究者がいます。新潟大学の宮崎謙一先生です。彼の論文を紹介しているブログ があり、勉強になります。
世界最高峰の科学雑誌、「( 日本語版 )」の名を聞いたことのない文化人はいないでしょう。今日、医学論文の検索をしながら、音楽関係のキーワードを入れて遊んでいると、下記のような論文を見つけ、さっそくon lineでダウンロードしてしまいました。
「Wood used by Stradivari and Guarneri 」
Stradivariのviolin (1717年製)・cello (1731年製)、Guarneri del Gesuのviolin (1741年製)、Gand-Bernardel of Parisのviolin (1840年代製)、Henry Jay of Londonのviola (1769年製)の裏板内側のサンプルを、補修作業の際に一部得ました。それに対して13C solid-state NMR spectroscopy及びFTIR spectroscopyで分析しました。
その結果、Guarneriと Stradivariでは、他の楽器に比べて違いがあることが明らかになりました。著者らは、酸化や還元といった化学的処置がこれらの楽器の制作時に行われたためではないかと推測しています。
詳細については、原著を参照ください。
去年のクリスマスに購入したDVDを、暇なときに鑑賞しています。今日見たのは、STEPHEN KOVACEVICH というピアニストのDVD(EMI 094633149496)。ベートーヴェンのピアノソナタOp.110, 111などが収録されています。
私はあまり詳しくなかったのですが、彼はベートーヴェン弾きとして有名らしいです。私がベートーヴェン弾きで好きな演奏家は、何といってもバックハウス。それから、リヒテルも好きですね。そこにお気に入りがもう一人加わりました。
・Ludwig van Beethoven sonata n. 32 op 111 Stephen Kovacevich piano
VIDEO
1月25日 サントリーホール
第587回定期演奏会
・交響曲第9番ニ長調(G.Mahler)
指揮:小林研一郎
日本フィルハーモニック管弦楽団
例によって、頂いたチケットで、コンサートへ。今回のコンサートは、演奏以外にも話題性が豊富にありました。まず、マーラーの指揮を多くしている小林氏が、第9番を振るのが今回が初めてということ、小林氏が日フィルの音楽監督を離れること。
マーラーは、ウィーンフィルの指揮者兼作曲家で、フロイトのカウンセリングを受けていたなどの逸話をもつ人物です。彼は、ベートーヴェンが第9交響曲を書いた後に死亡したのを気にしていて、自分も第9番交響曲を書いたら死ぬのではないかと考え、<大地の歌>を交響曲と呼び、第10交響曲としてこの曲を作曲しました。その4ヶ月後に実際に死亡した訳ですが・・・。死因は、心内膜炎で、血液培養からは多数のレンサ球菌が検出されたといいます(「音楽と病」ジョン・オシエー著, 法政大学出版局)。
曲の始まりで、特に金管楽器を中心として音程が曖昧で、聞いていてヒヤヒヤしましたが、尻上がりに演奏は良くなり、最終楽章、曲の終わりの終結部は極上の美しさでした。音が消え入り、演奏が終わってからも音を立てる観客はいませんでした。全員が息を潜め、数十秒してから、指揮者が姿勢を解くと、割れるような拍手が鳴り響きました。指揮者も、「観客の拍手の間が絶妙でした」と大絶賛。演奏者、観客で作り上げた名演でした。もちろん、コンサートマスターの木野雅之氏を含めた各楽器のソロも素晴らしかったです。
マタイ受難曲(J.S.Bach)のDVDを今、見終わりました。「憐れみたまえ、わが神よ」のアリアがこの曲で一番切なさを誘うところです。
この曲を聴くと、いつもヴァイオリン・ソナタ第4番1楽章(J.S.Bach)やトリオソナタBWV 1079 第1楽章(J.S.Bach)を思い出します。雰囲気が何となく似ているからですね。
この曲の背景は、以前、ビートたけしの「誰でもピカソ」という番組で紹介されていました。キリスト教徒の研修医がいたので聞いてみたところ、聖書のこの下りは知っているが、曲のことは知らないと言っていました。
簡単に解説しますと、キリストの処刑のシーンが、「マタイ受難曲」の舞台です。最初からキリストは、ユダが裏切ることを予言しています。また、弟子のペテロに対して、「鶏が鳴くまでに、お前は私を3度知らないと言うだろう」と予言するのです。ペテロはそれを否定します。しかし、キリストが捕まり、ペテロも「お前もキリストの仲間だろう」と嫌疑を掛けられたとき、ペテロは「キリストなんて知らない」と3度答え、その直後鶏が鳴きます。ペテロはキリストの予言が正しかったと愕然とします。この時に流れるアリアが、「憐れみたまえ、わが神よ」です。
・Bach – Matthaeus Passion – 39-40-41
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あまり触れたくはない話題ですが、触れないわけにはいけないでしょう。
今日は、クリスマス というのだそうです。スパークリングワインを片手に、一人で七面鳥の足を囓っています。まぁ、飲めれば何でも良いのですが・・・。
そんなこんなしながら、「マタイ受難曲(J.S.Bach) 」のDVDを鑑賞し、たった今、第一部を見終わりました。「たけしの誰でもピカソ」というTV番組で、N響の長峰氏が感動的な演奏を披露して以来、いつか見たいと思っていた音楽作品です。キリスト教を信じている訳ではありませんが、バッハを演奏をしていく上では、一度内容を把握する必要があるし、今日は良い機会と思っていました。
実際に見てみて、それほど感動するストーリーではありませんが、音楽は綺麗です。以前、バッハの全集のCDでは聴いていましたが、内容まで知って聴いたのは今日は初めてです。なかなか新鮮でした。
数日前にCD、DVDを大量に買い込みましたので、良いクリスマスが過ごせそうです。書くべき論文の存在は、頭の片隅に追いやられました。
・Bach: Erbarme dich, mein Gott (Matthäuspassion) – Galou (Roth)
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知人から頂いたチケットで、オペラシティの演奏会に行ってきました。貰い物のチケットばかりで恐縮です。チケットが2枚あったので、先輩医師と一緒に聴きに行きました。先輩医師は学問上の良いディスカッション相手で、医療問題についてもしばしば議論します。非常にインテリジェンスの高い方です。私が以前勤務していた郡山の病院で働いていたことがあります。
12月13日 オペラシティ
第204回定期演奏会
・ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503 (W.A.Mozart)
・交響曲第6番イ短調「悲劇的」(G.Mahler)
指揮:飯守泰次郎指揮、ピアノ:高橋アキ
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ピアニストの高橋アキさんは、とても音が綺麗でした。しかし、オケとの練習が少なかったのか、しばしば両者の演奏にズレがありました。特に、少し間を置きたい場所などの打ち合わせが十分でなかったような印象でした。多くの場合、オーケストラとソリストの事前練習は十分とれないので、仕方のない気もします。
マーラーは、先輩医師が「初めて聴いた」音楽。新鮮な感動を味わい、「是非、また聴きたい」とのことでした。すごく迫力のある演奏でした。バロック、古典派を聞き慣れた耳には違和感がありますが、それまでの音楽から脱却し、より新しい音楽をというのは、時代の要請でもあります。1903年に作曲されたこの曲は、そのような聴衆の要望に応えるものです。一方で、曲の長さに疲れます。
演奏が終わって、オペラシティのレストランで先輩医師と食事をし、音楽史や和声、曲の構造についての講釈を垂れてみたのですが、先輩医師は浮かない顔。何度もメール、電話をしています。「かみさんが出ない。家にいるはずなのに。怒っているのかなぁ・・・。」前日は忘年会の後、私と深夜まで飲んでいて、その日は私とまた飲みに行ったことが妻の逆鱗に触れたそうで、帰宅後こってりしぼられたと後日聞きました。