Category: 医学と医療

音楽家の悩み

By , 2007年1月14日 7:58 PM

音楽家というのは、特殊な体の使い方をするため、種々の健康上の悩みを抱えていることがあります。それをいくつか紹介したいと思います。

①緊張型頭痛/頸肩腕症候群
ヴァイオリンの演奏姿勢は、本来不自然な格好です。また、他の楽器であっても、常に同じ姿勢を強いられるため、肩こりを中心とした症状が多く見られます。マッサージや湿布が手放せない方も多いようです。筋弛緩薬の内服などを使用します。

②振戦
特に音大生に多いと思いますが、緊張すると手など、体が震えて演奏が上手く出来ないというものです。βブロッカーの内服が有用ですが、喘息、徐脈性不整脈などの方は禁忌です。

ジストニア
最も重篤なのが、職業性ジストニアです。これは、普段の動作は問題ないのに、ある姿勢をすると、その姿勢で固まって全く動かなくなるというものです。例えば、ピアノを弾く動作を空中ですると問題がないのに、鍵盤の上に手を置くと、指が動かなくなったりします。演奏家生命に関わりますが、治療が難しく、神経内科以外では診断をきちんと下されないことも多いので、患者はいくつもの病院を転々とします。
原因ははっきりとはわかっていません。ただ、脳がある姿勢を憶えていて普段はその姿勢で演奏しているのが、何かの拍子にちょっとしたコンディションの違いが生じた結果、あるべき姿勢がわからなくなって脳がパニックになり、その姿勢から動かなくなってしまうのではないかと考えられています。
副交感神経遮断薬の投与を行いますが、緑内障に禁忌で、前立腺肥大症での尿閉を悪化させるので、中年以上には使いにくいところがあります。その他、ベンゾジアゼピン系薬剤も使いますが、決め手に欠きます。最も期待できる治療は、高額になりますがボツリヌス毒素の局所注入です。ただし、行える施設は限られます。

上記のような疾患での音楽家に対する医療に興味を持っている医師は、日本にはほとんどおらず、勉強していこうかなと思っています。

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冗談と学問

By , 2007年1月7日 7:07 PM

 医師専用サイトのm3.comで医療系ニュースのチェックをしていました。すると面白い記事が・・・。

 「手術室の医師はハンサム? -外科医には高身長・美男子が多い傾向についての研究 -」と題された研究です。BMJ (Dec. 23-30,2006;vol 333:1291-1293)という非常に権威ある医学雑誌に、バルセロナ大学の医師が冗談で載せています。

 研究者は、外科医12名、他12名の顔写真を女性8名(医師3名、看護師5名)に見せ、7点満点で評価して貰いました。外科医の平均は51歳で、容姿平均4.4点。その他の医師は1歳若く、容姿は1点低かったそうです。俳優4名の写真を交えるとおよそ6-7点であったため評価方法は正しいと判断しました。

 どう考えても冗談ですけど、権威ある雑誌がこういった遊びを理解しているところが、面白いところです。ある意味東スポ的です。東スポは権威ないけれど。

 その他のトピックスとして、パーキンソン病の治療薬として運動改善に抗てんかん薬のゾニサミド(商品名:エクセグラン)が効くことが、2007年1月2日付けのNeurology(神経内科領域では世界最高の雑誌)に掲載されたそうです。研究者は、日本の国立精神・神経センター武蔵病院の医師達です。

 先輩の話では、ゾニサミドは、Parkinson病を併発していたてんかん患者にゾニサミドを処方したところ、運動が改善したことが数年前の神経内科関東地方会で話題になり、本格的な研究がされたようです。その頃から神経内科医の間では密かな話題で、私の患者にも処方されている方がいます。Parkinson病では、L-Dopaとドパミンアゴニストが2大治療ですが、長期に渡る投与や高齢者に対する投与では、副作用などの点から少し使いづらい点があるのは確かです。経験則から、ゾニサミドにそれほど強い運動改善作用はなさそうですが、治療の補助としては夢が持てます。

 患者がAという病気に併発してBという病気を発症したとき、Bに対する治療薬がAを改善したというのは、慢性副鼻腔炎に対する治療(マクロライド系抗生物質)がびまん性汎細気管支炎や気管支拡張症を改善した話を彷彿とさせます。しかし、こうしたことは患者の状態の変化に対する外来医の細やかさがなくては見逃されてしまうことは間違いないありません。

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奈良県の事情?

By , 2006年12月23日 1:40 PM

奈良県南部地域で、ついに産科が絶滅したそうです。

ある産婦人科医のひとりごと-奈良南部の病院、産科ゼロ 妊婦死亡、町立大淀も休診へ (産経新聞)-

大淀病院は、脳出血を合併した妊婦の搬送先がなく、19病院で拒否などとセンセーショナルに報道された病院です。しかし、問題となったのは、マンパワーを含めたゆとりない運営によってどの病院も超重症患者の搬送を受け入れられない状況にあったためと考えられ、当事者の産科医を責めても何の解決にもなりません。医療システムの問題です。

常勤医は、週3回以上の宿直(医師の宿/当直は36時間連続勤務ですし、代休はありません)など、地域の産科医療を身を粉にして、支えてきた方であったと思いますが、あげくの果てに(医師から見てもほとんど過失がないのに)事故報道ですから、産科医を続ける意欲はなくなったでしょうね。彼を最後に、地域から産科医がいなくなったのは、「最後の武士」という言葉を連想させます。

上記のブログに書かれていた文章を紹介します。
「たとえ理想には程遠い不十分な医療施設であろうとも、何も無いよりははるかにましだということに、世の中の人々が早く気付く必要があると思います。」

低コストで、高い医療水準を保っている日本の医療が、崩壊してきています。その崩壊も目に見える形として、いくつかの地域で噴出するようになりました。

今後は医療制度として、「低コストで低い医療水準」を選ぶか、「高コストで高い医療水準」を維持するか、「払った金に応じた水準の医療」を受けられるようになるのか、どの方向かに進むのでしょう。安倍政権の印象では、最後の選択肢の可能性が他よりやや高いかもしれません。

今後、奈良県南部地域では、産科に限って言えば、医療事故は0になります。「人がやることだから絶対にミスはある。それを前提に議論しないといけない。ミスをなくすには医療行為をしないこと。そういうわけにいかないから、システムを・・・」などという冗談から始まる講義を聞いたことがありましたが、冗談ではなくなってしまいました。今、神奈川県でも大量のお産難民が発生し、千葉県まで搬送するのもしばしばのようです。

まだ、くだらない医者叩きバラエティー番組をみて笑っていて大丈夫でしょうか?この地域の問題だけではないと思います。もっと建設的な議論をしなければ・・・。

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終診

By , 2006年12月16日 1:02 PM

先日、埼玉のとある病院に代診に行きました。着くと看護師から、「次に来る先生がいないので、今日で外来は終わりなんです。先生紹介状とかお願いしますね。」と言われました。

初めて行く病院で、初めて診る患者ばかりですが、分厚いカルテをひっくり返して、一人一人問題点を整理し、次の受診先を決め、紹介状を書きました。医師が確保出来ず、一つの診療科を閉めるというのが、これ程切ないものかと思いました。

一番困るのは患者でしょうが、これから医療崩壊が始まり、同様の光景があちこちで見られるようになります。固定観念をもたれている方もいますが、医師は決して楽をしている訳でもなく、医療の高度化に伴う負担増を制度的に支えられなくなってきているのです。一人の患者にかかる労力は、一昔前より雲泥に増しています。

医学が高度化すれば、それだけ鑑別診断も増えるし、検査法も増えます。今まで「原因不明」「調べる手段がない」「治療がないから」と全身管理のみであった疾患も、多くの検査が行われ、いくつもの治療が組み合わされることとなります。医師はそれらの検査、治療のすべての指示を出し、結果を評価します。医学の進歩は労力を増やす方向に働くというのが感覚的にわかると思います。治療にしても、例えばt-PAという治療は、ほぼ24時間医師が一人の患者につきっきりで診察していないといけません。

訴訟の増加は、防衛のための書類を山のように増やします。Informed consentの充実はそれだけでかなりの時間を要します。また、コンビニ感覚での夜間の受診が増えています。旧泰然とした制度で、これらが支えられるとは思いません。

医療崩壊について、多くの医師が警鐘を鳴らしています。日本的な特徴として、夕張市の例をとるまでもなく、問題が顕在化するときは、手遅れになったときです。こうした問題に対するマスコミの報道も貧困なものです。

(参考)
三重県医師会 日本の医療が崩壊する?!
新小児科医のつぶやき -春のドミノ-

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医師の音楽家、音楽家の医師

By , 2006年12月10日 11:52 PM

プロの音楽家になるには、毎日数時間の練習が不可欠です。その上で、一流として食べていけるのは一握り。

医師でありながら音楽家として活躍している日本人を2人知っています。面識はありませんが。

米沢傑氏は、郡山の病院のボスに自宅に招待された際、CDを聴かせて頂きました。氏は鹿児島大学の病理学の教授でありながら、一流の声楽家として活躍されています。

上杉春雄氏は、神経内科医でピアニストです。先日教授に教えて頂きました。今日、CDを買って聴いたのですが、滅茶苦茶上手でした。私がこれまで聴いたプロの演奏家の中でも、最上位に入るレベルです。是非一度お会いしたいものです。

医師が音楽家であることは、時間的な制約などから非常に難しいことと思います。声楽に関しては、ある程度の年齢になってから始めること、喉を痛めるので練習量が他の楽器より少ないため、才能の要素が強くなります。そのため、才能さえあれば可能なように思えます。一方、ピアノについては、上杉氏がそうであるように、小さい頃どこまで極められるかにかかっています。ヴァイオリンにしろ、ピアノにしろ、基礎となる部分は小さいうちに築く必要があるからです。もちろん、トッププロの話であって、アマチュアは別です。

この2人にビルロート作曲の歌曲を演奏して頂けたら、どんなに幸せかと思います。

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椎骨動脈解離

By , 2006年11月30日 10:08 PM

頭痛の分野で最近注目を集めているのが、低髄圧性頭痛や椎骨動脈解離といった頭痛です。先日、山形大学の細矢高亮教授の講演を聞きました。

細矢教授は、椎骨動脈系の病変のほとんどは動脈解離なのではないかと考え、研究を進めてきました。血管をMRI (CE-SPGR) や血管造影で評価することにより、Wallenberg症候群の約半数で possible or definiteの動脈解離を証明しました。論文のタイトルは「Prevalence of vertebral artery dissection in Wallenberg syndrome: neuroradiological analysis of 93 patients in the Tohoku District, Japan.」で、雑誌は1996年のRadiat Medです。

こうした解離の場合、外径が予後に関係するので、MRIのCE-SPGRやBPAS (Basi-parallel anatomic scanning: 脂肪抑制 heavily T2WI, 20mm cilvus後縁に平行に撮像) といった外径をみる撮像法が大切になります。

これまで、証明が難しかった分野ですが、画像診断法の進歩により明らかになった部分が多いようです。

解離の誘因は、頭部を激しく動かすことで、整体やヨガ、ゴルフやサッカーのヘディングなどがハイリスクとなります。演者の経験では、ビートたけしの真似(首を動かす仕草)で解離を発症した症例があるそうです。解剖学的に模型を作ると理解しやすいとのことです。

私の大学の教授の発言でも、「ラジオ体操は危ないよなぁ」と。

講演で他に面白かったのが、perioptic subarachnoid space (perioptic SAS) の話。MRIのFast-STIRで評価するそうですが、asymmetricalなのが病的で、拡張は check valveの機序による拡張で、狭小化は眼窩病変を示すそうです。初めて聞いた話でした。演者には、他にFisher症候群における脳神経の造影効果を最初に報告した実績があります。

講演が終わってから、意見交換会 (飲み会) へ。演者と、私と、同僚と、私の大学の教授が同じ卓を囲みました。

私の大学の教授が海外で初めて椎骨動脈解離を知った時の話や、昔の気脳室撮影の手技、血管造影の黎明期の話(頸部から動脈を穿刺しており、失敗も日常茶飯事だった)など興味深く聞きました。

細矢教授はとても気さくな方で、「放射線科診断医は金の卵、放射線治療医はダイヤモンド」と学生に入局の勧誘をされているとのことでした。放射線治療専門医は全国で400~500人程度 (http://www.jastro.jp/)。米国では「Docotor of doctor」と呼ばれ、億の収入を誇る放射線科医も、日本ではあまりに地位が低すぎ、なり手不足のようです。

講演全体を通して、一つの分野を築いた人への憧れを感じました。

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近代手術の開拓者

By , 2006年11月23日 9:23 PM

「近代手術の開拓者(J・トールワルド著、尾方一郎訳、深瀬泰旦解説、小学館)」を読み終えました。

以前紹介した「外科の夜明け」という本の続編です。扱う内容は、脳外科手術、甲状腺手術、胆嚢摘出、喉頭癌などです。詳細な解説があり、医学的知識が無くても読むことが出来ます。

第1話は、「脳外科の門出」。脳に局在があるという説は、ガルの骨相学より始まっていますが、今から150年くらい前は、フルーレンによる全体説が主流でした。その後、局在論を唱えたフェリアと、全体論を唱えたゴルツらが激しい論争を繰り広げました。これはその頃の話。今から120年くらい前のことです。脳の一部を除去した猿を用いた実験で、フェリアが勝利を収める様子が描かれています。失語を発症し、左前頭葉、第2・3前頭回に軟化した患部を認めたブローカの症例(局在を示唆する)を裏付けるものでした。この当時には、てんかんのジャクソン・マーチで有名なヒューリングス・ジャクソンが「運動中枢」を提唱しています。パジェット、パストゥール、ウィルヒョウ、コッヘルなどが活躍した時代のことです。

第2話は、甲状腺腫摘出の話。1880年代までは、甲状腺腫の患者の多くが、気道を圧迫した腫瘍により、呼吸困難で死亡していたそうです。エドムンド・ロゼが防腐法、鉗子などの利用によって手術を成功させ、タブーを打ち破りました。彼以前の時代の甲状腺手術は、出血の合併症での死亡例が多く、また反回神経麻痺により声を失うこともあったそうです。「ビルロートの生涯」という本の紹介でも登場した、手術器具に名前を残した外科医コッヘルは、その技術を高めました。しかし、術後、甲状腺機能低下症が多発し、可能な場合は全摘から部分切除に術式が改められました。テタニーという合併症から、上皮小体(副甲状腺)を温存することが常識になり、その役割が研究されました。副甲状腺ホルモンが同定されたのはその後です。

一つの術式の確立の裏に、多数の患者の犠牲があったことを忘れてはなりません。近年、医療は安全なもので、完全な治療をすれば命は助かり、何かトラブルがあったら医療者に過誤がある筈だという風潮があります。しかし、このように実験的な治療の積み重ねの上にデータが蓄積されてきたものの、未知の部分もまだ多いのが実情です。

第6章は、喉頭癌です。ドイツのフリードリヒ3世(当時、皇太子)は、喉頭の腫瘍を発症しました。ドイツの医師団は、白金線で焼き切ったにも係わらず再発したため、癌と診断しました。

しかし、セカンドオピニオンを求めようということで、皇太子妃はイギリスからマッケンジーという医師を呼び寄せたのです。マッケンジーは癌ではないと診断しました。患者心理としては、良い方の診断を信じたい、また皇太子妃はイギリス出身で、マッケンジーの診断が支持されました。以後、明らかに癌としての経過をとったため、ドイツ医師団は何度も癌であり、今手術(世界最初の喉頭全摘術はビルロートが成功させた)すれば助かる見込みがあると進言しましたが、いずれも退けられました。皇太子妃はドイツ医師団を遠ざけました。

マッケンジーも徐々に癌と感じるようになっていたのかもしれませんが、自分のプライド、王妃から得た信頼などのため診断を変えることはしませんでした。

結局、皇太子は癌で死亡しました。死ぬ少し前に、父のヴィルヘルム1世が死亡したため、短期間フリードリヒ3世として皇帝となりました。死後、宰相ビスマルクの許可を得て、ウィルヒョウとヴァルダイアーが解剖を行いました。診断は喉頭癌と確定しましたが、マッケンジーはあくまで非を認めず、ドイツ医師団を中傷する内容の本を出版し、英国王立医学界から追放されましたそうです。マッケンジーは、癌と確定した後も、「自分も癌だと思っていたが、喉頭手術は死の確率が高いので、皇帝を手術による死から守った」と言い訳をしていました。

甲状腺手術の話を読んだ感想です。今の医療では当たり前のこととなっていることの陰に、多くの犠牲者が過去に存在したことを忘れてはなりません。現在では当たり前の治療を見たとき、「昔の人もこの技術があれば、多くの助かった命が助かっただろう」とか、「このような治療しかない時代に、病気にかかったときの患者、家族や周りの人はどんなだっただろう」と感じるときがあります。何故その術式がいけないか、手術が失敗して死んだ人がいたから判明したことも多々あります。

未来の人から、現在の医療はどう映るでしょうか?

第6話からは、セカンドオピニオンの難しさを感じました。二つの相容れない診断があったとき、患者は良い方の結果を信じやすいが、正しいかどうかは別問題ということです。フリードリヒ3世は、どのような医師を動かせる立場であっても、マッケンジーの甘い言葉に嵌ってしまいました。今日の日本人は皆、115年前の皇帝より優れた医療を受けていますが、セカンドオピニオンの本質としては、変わらない部分があり、気を付けないといけないと思います。もちろん、セカンドオピニオンというのは、非常に有用な制度です。

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大学病院

By , 2006年11月23日 7:24 PM

私の科では、研修医は何名かいますが、直接患者を持たない指導医を除くと、医局員は病棟に2人しかいません。医師-患者関係がこじれた症例や、VIP、暴○団関係者などは研修医に持たせられないため、基本的に私ともう一人の医師でみることになります。学問的に困難な症例を持つことも多いのですが、何故か一般的な症例の筈が、入院後、症例報告ものであることが多くてびっくりしています。他の先生が主治医になるとそんなことはないのに、珍しい病気が集まる星の下に生まれているのでしょうか?

郡山時代の症例を論文にするのと並行して、大学での症例も学会発表、論文報告しないとなりません。珍しい症例は、情報がないので、次にその症例に遭遇する医師のためにも、論文にするのは医師の義務と思います。

私が研修したころと、大学病院もかなり変わっていて、自宅に病棟から電話がかかってくることがめっきり少なくなりました。研修医に経験をつませるためか、「脱水症の老人」とか、場末の病院のような入院も増えました。大学病院の機能について考えるところもあります。

研修制度が変わってから、大学からの給料が上がりました。月20万円くらい貰っています。当直は月3回(うち1回は土日)で、その手当はtotalで2万円(時給270円前後)です。一方で、大学病院では、退職金やボーナスを払わなくて済むように、定期的に出張に出して、短期労働者扱いにしているトリックがあります。

出来るだけ自宅に電話しないとか、給料のアップに関しては、おそらく、研修医を集められない病院は、淘汰されていくので、待遇の改善が始まったのではないかと感じています。昔は大学病院の月給は、3-5万円が相場でしたし、毎日のように、看護師から問い合わせの電話がありました。検体を手術室から検査室に運ぶためだけに、深夜に病院に呼び出された研修医もいたと聞いたことがあります。研修医の奪い合いと並行して、看護師の奪い合いも大変みたいです

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生殖内分泌学を築いた巨匠達の群像

By , 2006年11月10日 9:37 PM

「生殖内分泌学を築いた巨匠達の群像 (五十嵐正雄著、メディカルレビュー社)」を読み終えました。かなり専門的な知識を要する本で、卵巣の組織なども解説なしにいきなり英語で書かれています。PMSや hCGのなどもある程度知っていることが前提です。学生時代の婦人科分野の知識が欠落してしまった現在、内容が全て把握出来たとは言えないものがあります。

人ないし動物の組織を人に注射する方法は、1668年の羊→人の輸血の記載以前の報告を私は知りませんが、いつ頃からあったのでしょうか。その後は時々行われることがあったようで、1798年のジェンナーによる種痘は有名です。これは牛痘に罹患した女性の膿をジェンナーが息子に注射して天然痘を予防したものです。雌牛 (Vacca) を語源としてパスツールがワクチン (Vaccine) と名付けました。

神経内科を勉強したことがあれば、Brown-Sequardという名前を聞いたことのない人はいないでしょう。彼は脊髄損傷での Brown-Sequard症候群で有名ですが、動物の副腎を摘出すると生存できないことを証明しています。彼は 72歳の時、「イヌとモルモットの睾丸のエキスを自分自身に注射して若返り効果を認めた」と発表しました。このことは British Medical Journal (BMJ) で論争を呼びました。Brown-Sequard自身が Lancetに論文を載せています。

このようなエキス注射は organotherapyとして発展を遂げ、粘液水腫に対する甲状腺エキスや、糖尿病に対する膵臓エキスで効果を認め、以後の医学の発展につながったといいます。

1690年に Frederik Ruyschが甲状腺が血中に何かを注いでいるらしいと述べ、1700年代の Bordeuも体の他の部分に影響を及ぼす放散物質を想定していたそうですが、エビデンスある内分泌学を確立したのは、Bertholdと Addisonであると著者は述べています。1849年、Bertholdは雄鶏を去勢すると鶏冠が萎縮することを報告しました。

1849年にAddisonは副腎に関する貧血を発表しました。彼は 1855年に「副腎性黒皮症 melasma suprarenale」を報告しましたが、翌年 TrousseauはAddison病と名付けました。1855年には Claude Bernardにより「内分泌 secretion interne」という用語が生まれました。

これ以後の内分泌学の発展はめざましいものがあります。最もスタンダードな方法は、動物の様々な器官 (下垂体、卵巣、子宮、精巣など) を摘出したり、それらを別の場所に移植したり、エキスにして他の動物に注射したりといったものです。

こうした研究により、様々なホルモンが「ありそうだ」と仮説が立てられるようになりました。そうしたホルモンを、同定していく作業が19世紀半ばに行われるようになりましたが、著者を始め、松尾寿之博士 (LH-RFを発見) などの大活躍がありました。様々なホルモンが同定され、役割が検証され、各研究所で激しい競争が繰り広げられました。この辺りの記述は、手に汗を握るものがあります。

これまで述べてきたことからわかるように、内分泌学というのは非常に新しい学問です。女性の排卵がいつ起こるのかがわかったのですら、1920年代なのです。ちなみにそれを突き止めたのは、荻野久作という日本人です。彼は「オギノ式」という避妊法で有名です。

荻野氏は受胎期を8日間としましたが、後にKnausという学者は5日間としました。著者の記述が笑えます。「荻野学説との違いは、受胎期を荻野は8日間としているのに対し彼は5日間としている点であり、彼の方法のほうが実際には受け入れやすいが、他方禁欲期間が短いために避妊効果についての信頼性がそれだけ低下する点が荻野式よりも劣る。」

著書の中では、一つ一つのホルモンの発見の歴史、エピソード、役割などが詳細に記されています。例えばPRL(プロラクチン)というホルモンは主な作用として乳汁分泌が知られていますが、ラットの巣作りを誘起したり、サンショウウオの繁殖を始めさせたり、両生類や魚類の浸透圧を調整したり、渡り鳥の渡航の前に脂肪を蓄積させたり多岐な作用が紹介されています。PRLは非常に古いホルモンで、無脊椎動物ばかりか単細胞動物にも存在するそうです。

ホルモンというのは、相互作用があったり、フィードバックがあったり、極めて複雑な動態を示します。ホルモンを発する器官と、受容する器官両方の研究が欠かせません。それらの器官が各々 1つとも限らない訳です。近代医学としての研究が始まってから、約 50年間。極めて短期間のうちに、これだけの知見を集めた研究者達に対する尊敬の念は尽きません。こういった研究の歴史が忘却されないためにもこの本は貴重です。まだ未知の知見 (ActivinやInhibinなど) もあり研究が進められていくと思います。Activin Aは単球性白血病に働いて脱癌させることも1987年に江藤穣らにより発見されたそうです。

 

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田原淳の生涯

By , 2006年10月28日 5:28 PM

宣(よ)きかな
己が父祖を好みてしのぶ者は
彼らのかずかずの業績と偉大さとを、喜びもて
聞く者に語り伝え、しかして喜びの心を抱きつつ
この、うるわしき系譜の末に
わが連なるをさとる者は (ゲーテ)

このような文章から本書「田原淳の生涯(須磨幸蔵、島田宗洋、島田達生編著、ミクロスコピア出版会/考古堂書店)」は始まります。

田原博士が心臓の研究を始めた頃、心臓を伝わる刺激は神経によるものか、筋肉によるものか不明でした。また、どのような経路を伝わるかも明らかではありませんでした。心臓にあるヒス束、プルキンエ線維などの構造物も役割が不明だったのです。田原博士の業績を列挙します。

(1)房室間連結筋束の全走行と組織像を解明し、刺激興奮の伝達を司る系とみなし、刺激伝導系と命名
(2)刺激伝導系の起始部に網目状の結節(田原の結節=房室結節)を発見
(3)左右両脚の走行の正確な記載
(4)プルキンエ線維が刺激伝導系の一部であること、また仮腱索が刺激伝導系であることを発見
(5)筋原説の正当性を決定的にする
(6)線維の太さと刺激伝導速度などに関する推論
(7)リウマチ性心筋炎患者におけるアショッフ結節の発見

田原博士は東大に主席で入学し、卒業後は東大皮膚科に入局しました。実家の九州に帰る前にドイツの Ludwig Aschoff教授のもとに留学。弁膜症で肥大した心筋はなぜ麻痺を起こしやすいかをテーマに研究を始めました。しかし、病理学的に証明できず、ヒス束に目を向けました。しかし、ヒス束についてはほとんどわかっておらず、研究を続けるうちに未知であった刺激伝導路の全貌を明らかにすることができたそうです。ちなみに Ludwig Aschoffの孫は現在ウルム大学神経内科の教授であるそうです。

田原博士は、1903年に私費でドイツに留学し、1906年には帰国していますから、わずか 3-4年でこのような偉大な業績を積み上げたことになります。

本書には、田原氏が Aschoffにあてた手紙のコピーや、田原家の家系図の他、田原氏の病理標本のスケッチなど図表も満載です。驚くべきは、田原氏のスケッチと、今日の電子顕微鏡写真がほぼ一致していることです(本書では並べて比較できるようにしてあります)。

当時は日露戦争があり、日本は世界の中で微妙な立場にありました。そうでなかったとしたら、ノーベル賞は間違いなかったのではないかと著者は述べています。

心筋間をどのように興奮が伝達するかは、最近かなりわかってきました。本書でも、最新の知見が紹介されています。心筋間の伝導の中心となるのは、ギャップ構造という特殊な連絡通路です。心筋梗塞などで心筋が障害されると、この通路は閉じて障害が広がるのを食い止めるそうです。ギャップ構造を形成するのは、コネキシン (Cx) というタンパク質で、コネキシンには 20種類ほど知られています。心筋には Cx43, Cx40, Cx45が存在し、伝導度が違うのだそうです。コネキシンの分布は心臓内で違い、房室結節で伝導速度が遅れるのは、そこに多く分布する Cx45の伝導度が低いためで、通常の心筋では Cx43が主体です。プルキンエ上流は伝導度の高い Cx40が中心だそうです。心電図がまだほとんど知られておらず、ギャップ構造も知られていなかった時代に、解剖学的特徴だけで、伝導の遅い部分と早い部分があることを推察した田原博士の先見の明には恐れ入ります。ちなみに、Cx43欠損マウスは、出生後まもなく不整脈で死亡するそうです。

余談ですが、1930年頃 WPW (Wolff-Parkinson-White) 症候群が発表されていますが、1910年にWilsonが報告しているので、WWPW (Wilson-Wolff-Parkinson-White) 症候群というのが正確ではないかなどという話も載っていました。

野口英世などと並ぶほどの業績を残した日本人がいたことを風化させないためにも、本書は貴重だと思います。

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