娘よ

By , 2012年8月11日 8:34 AM

さる知り合いの先生から教えて頂いた歌、結構ツボでした。

・娘よ

歌詞:http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND45151/index.html

ホント、救いようのない歌ですね (^^;

このシリーズ、いくつかバリエーションがあるようです。

息子よ:http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND45149/index.html

妻よ:http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND44715/index.html

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猿橋勝子という生き方

By , 2012年8月10日 8:55 AM

猿橋勝子という生き方 (米沢富美子著、岩波書店)」を読み終えました。猿橋勝子氏は日本の女性科学者の草分けで、「猿橋賞」の創設者としても名を残しています。

猿橋氏の時代は女性のアカデミックへの道は限りなく狭いものだったそうです。

 猿橋が第六高等女学校を卒業した一九三七年には、高女卒業後に正規の高等教育機関に進学した女性は、同年代の女性の約0.6%に過ぎなかった。

そのような時代に、猿橋氏は、当初医師になることを志し、東京女子医専 (現・東京女子医科大学) を受験しました。1941年、21歳であった猿橋氏は東京女子医専の創始者、 70歳の吉岡彌生の面接を受けました。その時の様子を彼女は後に繰り返し人に語っています。

面接試験は二つの部屋で行なわれた。私は当時校長であった吉岡彌生先生のいらっしゃる部屋に入る順番となった。吉岡にお会いするのは、はじめてであった。かねて尊敬する先生とお会いすることに、私はうれしくもあったが、面接試験ということに、多少の不安もあった。

先生の前の椅子に腰をおろした私に、先生は「どうしてこの学校を受験しましたか」とおっしゃるので、私は「一生懸命勉強して、先生のような立派な女医になりたいと思います」とお答えした。すると先生は、天井の方を見上げながら、カラカラと笑われた。そして、「私のようになりたいですって。とんでもない。私のようになりたいといったって、そうたやすくなれるもんじゃありませんよ」とおっしゃったのである。私は、びっくりして、先生の顔を見つめていた。そして先生への尊敬の念がしだいに後退し、女子医専に入学することへの期待は、大きな失望に変わっていった。

このようなことがあり、彼女は合格した東京女子医専を辞退し、開校したばかりの帝国女子理学専門学校 (現・東邦大学理学部) に一期生として入学しました。そして戦争に協力していった吉岡彌生とは対照的に反戦の姿勢を貫きました。

大学在学中、猿橋氏は生涯の付き合いとなる三宅泰雄氏の研究室を訪れ、ポロニウムの研究を行いました。卒業後は「戦争に協力するのは嫌」という理由で、中央気象台に就職しました。中央気象台では当初オゾン層について研究していたそうですが、1950年頃からは水中に溶解した炭酸物質の研究を始めました。彼女は「微量拡散分析装置」を開発し、塩素量・水温・pHに対する炭酸物質の存在比を表にしました。この「サルハシの表」は国際的に高く評価され、数十年に渡って使われたそうです。

1954年3月1日、ビキニ環礁でのアメリカの核実験で第五福竜丸が被曝したことで、彼女に転機が訪れます。

炭酸物質の研究に加えて、第五福竜丸の死の灰被災事件を機に、私は死の灰の地球化学研究にもたずさわることになった。核兵器爆発によって大気中に放出された死の灰が、大気、海洋の中をどのように行動するかを追跡する仕事である。アメリカのネバダで核爆発すると、その影響は、日本に約三週間で達し、また中国の核爆発の影響は二、三日で日本に到達することが明らかになったのは、私たちの研究室の成果の一つである。

「海洋上に落ちた死の灰が、表面から深海に拡散していく速さが予想以上に速く、わずかの五、六年で六千メートルの深海に到達することも、私たちの研究からわかった」

彼女達は海水や雨水中のストロンチウム九〇やセシウム一三七を測定しました。ところが、これらの結果 (例えば、1960年の日本近海のセシウム一三七の濃度は、海水 1Lあたり、 0.8~4.8×1012キュリーだった) を発表して核実験による大気汚染の深刻さを警鐘を鳴らしたところ、アメリカの研究者から「日本側の分析の不備」を指摘され、データは信用されませんでした。この問題に決着をつけるため、猿橋氏は単身アメリカに乗り込みました。

1962年、猿橋氏はサンディエゴにあるカリフォルニア大学スクリップス海洋研究所で、フォルサム博士らとセシウム一三四の回収実験で雌雄を決することになります。そして、より難度の高い方のサンプルを用いた上で、より高い回収率を上げ、分析競争に勝利しました。この分析競争の結果により、アメリカの原子力委員会も日本のデータを認めざるを得なくなり、「核実験は安全」だというアメリカの主張の根拠が崩れました。地上核実験廃止にも影響を与えたそうです。

この本は、歴史に影響を与えた日本人科学者「猿橋勝子」のことを知ることのできる素晴らしい本ですので、興味のある方は読んでみてください。

(追記)

日本近海のセシウム 137について、1959年の Natureにこのような論文を見つけましたが、私が所属する研究所からだと有料でした。どこか無料でアクセスできる研究所に行く事があれば読んでみたいと思います。

Concentration of Cæsium-137 in the Coastal Waters of Japan (1959)

NOBORU YAMAGATA

Institute of Public Health, Tokyo. Aug. 14.

I HAVE analysed bittern and carnallite of industrial origin and deduced the concentration of cæsium-137 in the coastal waters in early 1958 of Japan as 70–150 µµc. kgm./l.1 Recently, by application of a low-level β-counting equipment, cæsium-137 has been successfully determined by direct treatment of 6–20 litres of sea-water.

 

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英語の勉強

By , 2012年8月5日 8:12 AM

巷には英語の教材があふれています。センセーショナルなタイトルの本が繰り返し売れながらうまくいかない人が多いのは、ダイエットと似た感がありますね。

電通大学の先生が説得力のあるスライドを公開しています。これを読むと、結局は勉強量なのだと思いました。コツコツ英語に触れるのが面倒くさい人にとっては、学習時間を稼ぐには、留学が一番手っ取り早いのかもしれません。

電通大1年生に1日1時間の英語学習を勧める根拠

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プロ野球

By , 2012年8月4日 10:58 AM

チケットを頂いたので、8月1日に研修医を連れてプロ野球を見に行って来ました。プロ野球を実際に観戦するのは小学生の時以来です。

着くのが若干遅かったため、外野立見席は満席で、1塁側内野立見席での観戦でした。最初は空調が寒いくらいと思ったのですが、観客が増えて熱気が増してくると気にならなくなりました。ビールが美味しく、ビールの売り子さんも綺麗でした。

医局で草野球チームをやっているので、守備位置など参考にならないかと思ってみていたのですが、守備範囲など条件が違いすぎて、そのまま参考になるかは不明ですね (^^;

8月1日(水) 巨人 vs. 中日

1 2 3 4 5 6 7 8 9
中日 1 0 0 0 1 0 0 0 0 2 10 1
巨人 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 11 0
中日バッテリー 吉見 、ソーサ 、田島 、岩瀬  –  谷繁
巨人バッテリー ゴンザレス 、福田 、高木京 、田原 、高木康  –  阿部

試合は引き締まった好ゲーム。ファインプレーがいくつもあり、結果は巨人が終盤追いついて引き分けでした。9回裏の攻防では、一球毎、観客の盛り上がりが凄かったです。

終了後、研修医を連れて飲みに行きました。進路相談に乗ったり、医学ネタで語り合ったりして、0時頃帰りました。

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河北新報のいちばん長い日

By , 2012年8月2日 9:21 PM

「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (河北新報社、文藝春秋刊)」を読み終えました。新聞社の出した本だけあって、さすがに文章は上手でした。

被災直後の社内の状況が手に取るようにわかりましたし、極限の状況の中、皆が必死に新聞を発行している様子が目に浮かぶようでした。何よりも心に響いたのは、生々しい記者たちの本音が伝わってきたことです。例えば、ある記者は原発事故の時福島にいましたが、一時的に新潟に避難した後、福島に戻って取材を続けました。しかし、結局記者を辞めることにしたそうです。心境が綴られています。

今回福島を離れた私の姿は、自分がこれまで追い求めた理想の記者像とあまりに懸け離れ、その落差に言いようのない絶望感を覚えました。自分の中の弱さ、報道の使命、会社の立場・・・それらいろいろな因子の折り合いをつけて前に進むのが記者なのかもしれません。

でも、一度福島を去った私にはそう割り切ることができなかった。震災後をどう生きていけばいいのか、記者の立場を離れた一人の人間として考えようと思いました。

被災した新聞社に印税を支援する意味でも、”買い” の一冊ですね。

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やりたくない仕事

By , 2012年7月29日 8:09 AM

やりたくない仕事があったとき・・・

2011年にイグノーベル文学賞を受賞したエッセイ「いかに先延ばしをして、物事をやりとげるか」というエッセイが役に立ちます(・・・いや立たない?)。まずは下記のリンクを読んでみてください。

最重要課題の先延ばしが重要課題の遂行をもたらす

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津浪と人間

By , 2012年7月28日 1:56 PM

寺田寅彦の随筆が好きでよく読みます。最近、あっと思う随筆を見つけたので紹介したいと思います。

津浪と人間

昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙なぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
しかしまた、罹災者の側に云わせれば、また次のような申し分がある。「それほど分かっている事なら、何故津浪の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってくれてもいいではないか、今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを云うのはひどい。」
すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。するとまた、罹災民は「二十年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えてはいられない」という。これはどちらの云い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである。
災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。(以下略:リンク先で全文読めます)

繰り返す津波被害について、本質を突いていると思いました。

ただ、現代は寺田寅彦の時代と比べ、映像を残せるなど情報技術は格段に進歩していますし、先日の震災を機に予測技術の開発も進んでいるようです。この不幸な繰り返しを何とか防いで、この文章を過去のものにしたいものです。

 

–関連記事 (寺田寅彦の別の随筆)–

物理学者の心

科学者と芸術家

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第5回上肢の機能回復セミナー

By , 2012年7月26日 7:55 AM

第5回上肢の神経機能回復セミナーに参加してきました。

6月29日は前夜祭で、Evening seminarが行われました。京都大学の福山秀直教授による SPECTを用いた歩行中枢の検討では、立位で小脳虫部が、歩行に運動野と補足運動野が、パーキンソン病での Kinesie paradoxaleに前頭前野が重要な働きを働きをしていることが示されました。Larry B. Goldstein先生は米国脳卒中学会理事で、米国の脳卒中ガイドラインを作った方ですが、アメリカ東海岸の stroke beltと呼ばれる地域の話をしてくださいました。Primary Stroke Center (PSC) を作って専門的な管理をするようにしてみたものの、劇的な改善には至らなかったそうです。質疑応答で、「米国での脳卒中専門施設の数は限られ、そこにアクセスするには時間がかかると思うけれど、t-PAは間に合うのか?」と問われ、Goldstein先生は「Drip and ship」と答えていました。最初の医療機関で t-PAを注射してから搬送する方法がとられるらしいです。

夜のレセプションでは、Everlyの演奏を聴くことが出来ました。Everlyのブログでもこの日の演奏に少し触れられていますね。なかなか素晴らしかったです。

6月30日は 10時30分~20時10分までみっちりと講演がありました。特に印象に残っている話をいくつか抜粋して紹介します。

・岡山大学阿部康二教授「脳梗塞の脳保護療法と再生医療」では、基礎医学の話を色々聞くことができました。脳卒中後の rat脳に iPS細胞を入れると腫瘍化するらしいのですが、ratの骨髄をとっておいて脳梗塞の ratに投与すると効果があることから G-CSFを用いた脳梗塞治療が研究されていて、現在第3相試験が行われているそうです。

・Brain Motor Control Assessment (BMCA) では、multi-channelの表面筋電図を用いて運動制御の障害を評価します。現在行われている臨床試験を検索するサイトで複数登録されることからもわかるように、注目を集めてきているようです。

・国立精神・神経医療研究センター神経内科の坂本崇先生の「ジストニア・痙縮のボツリヌス治療」では、「適切な量を 適切な間隔で 適切な筋に」をモットーに、ボツリヌス注射についての実践的な話を聞くことができました。興味深かったのは、ジストニアでの sensory trickについて。ジストニアのある患者さんが患部を触ると症状が改善する現象ですが、触れる前から効くし、他人の手を使ったり逆の手を使うと効かないらしいのです。このことから、どうやら肩の位置覚が関与しているのではないかと推察されていました。

・前日にも講演された Goldstein先生が、「Current Guideline-Based treatment of Acute  Ischemic Stroke in the United States」 という演題で講演されました。アメリカの脳卒中ガイドラインについての話でした。例えば、AHAのガイドラインでは、発症3時間以内の t-PA療法は class I, LOE A, 発症4.5時間以内の t-PA療法は class I, LOE Bとされています (80歳以上やワルファリン内服は除外基準)。発症4.5時間以内での t-PAの NNH or NNTは Mortality 143, ICH 29, good outcome 11となります。その他、抗凝固療法について、アスピリンについて、開頭減圧術についてガイドラインの根拠となった論文が示されました。また、Goldstein先生が教授を務める Duke大学に脳卒中疑いで搬送されてきた患者のうち 21%が脳卒中ではなく、脳卒中患者のうち出血性脳卒中が 15-20%, 虚血性脳卒中が 80-85%であったデータが示されました。t-PAの meta analysis脳卒中の初期対応についても触れられました。興味深かったのは、篠原先生からのコメントで、「アメリカでは Class I, IIa, IIb, III (Benefit/Risk). Level A~C (Evidence) で分けているけれど、それだと systematic reviewっぽくなってしまうので、日本では C1, C2といったクラスを設定して、提言的な意味を持たせている」ということでした。

・篠原幸人先生は、「私の Serendipity」というタイトルで講演されました。優れた臨床家であり、かつ研究者でもあった篠原先生の Serendipityについての話です。抄録がよくまとまっていますので是非御覧ください。抄録には論文名しか書いていませんが、Routed protein migrationは実験中に病棟に呼ばれ、タイムスケジュールが狂ってしまったので、いっそのことと思って 24時間置いておいてからネズミを解剖してみたら、タンパクが広がって流れていたことで発見されたそうです。また、排便失神の患者さんにValsalva手技をしてみたら血圧が下がったことで閃きを得て、Shy-Drager症候群の 3例に Tilt試験をして脳血流を検査してみたそうです。そうしたら脳血管の自動調節能が失われていることがわかりました。つまり自動調節能には自律神経が関係しているということです。一方、Shy-Drager症候群でも二酸化炭素への反応性 (血中二酸化炭素濃度が上がると血管が開く) は保たれており、自律神経とは別のメカニズムによることがわかりました。こうした発見のエピソードを興味深く聞きました。

・桑山直也先生はサテライトシンポジウムで頸動脈狭窄症への血管内治療の話をされました。動画を使ってのビジュアル的な講演で、とてもインパクトがありました。ステント設置の際に血管を拡張しすぎるとフィルターが機能しないことがあるので注意しなければいけないとか、術者からの生きた話が聞けました。また狭窄部位を解除した後の過還流での出血はしばしば問題になり、CEAだと血圧コントロールである程度防げますが、CASだと血圧コントロールしてもダメなのだそうです。しかし、最近 staged CASという方法が開発され、PTAで (2 mmのバルーンを用いて) 予め少し拡張しておき、2週間~2ヶ月後に CASを行うと予防出来る場合があるのだそうです。

講演が終わってからは、打ち上げがあり、地元の伝統芸能保存会の方が、歌と踊りを披露してくださいました。なぜか、私が指名され、即興で締めの挨拶をさせられましたが、やっぱりこういうのは経験がないと、とっさに良い挨拶は出来ませんね。思い出すと赤面モノです。

最後に、角館にこれだけの名士が集まったのは、ひとえに主催された西野院長の人徳だと思います。この会が素晴らしいのは、分野が全く違った人たちがアットホームな雰囲気の中勉強できることだと思います。神経内科、脳神経外科、リハビリ、基礎医学、様々な分野の専門家が集い、多面的に見ることで、知的な刺激を受けます。医学生や医学部を志望する高校生まで参加していたそうで、若者たちにとっても得がたい経験になったのではないかと思います。このセミナーがこれからも続くことを願います。

(参考)

上肢の機能回復セミナー1

上肢の機能回復セミナー2

上肢の機能回復セミナー3

第3回上肢の機能回復セミナー1

第3回上肢の機能回復セミナー2

第4回上肢の機能回復セミナー

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江戸の病気ランキング

By , 2012年7月19日 7:48 AM

製薬会社のエーザイが作るサイトに、くすりの博物館というのがあります。 

その中に、面白いコラムを見つけました。

江戸の病気ランキング

江戸時代の病気ランキングが、番付表形式で残されています。といっても深刻さは表に出さず、「ひびの判官しミ升」「前頭  眩暈之四郎倉々」「頭痛之助鉢巻」など、思わずクスリと笑ってしまう番付になっています。

神経内科医の目から見て、「頭痛之助鉢巻」で取り上げられている頭痛は片頭痛じゃないかなと思いました。片頭痛はこめかみを抑えると症状が多少和らぐことがあり、一部の患者さんたちは経験的にそうしています。押さえる代わりに鉢巻を巻いて圧迫して症状を和らげるという方法もあり、「頭痛之助鉢巻」はそれを表していたのかもしれません。

「溜飲を下げる」の語源となった「溜飲」もランキングにありました。眺めていると色々と発見のある番付だと思います。

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フランス音楽の夕べ

By , 2012年7月18日 8:25 AM

ジェラール・プーレの演奏を聴いて来ました。ジェラール・プーレは世界的なヴァイオリニストである一方、ヴァイオリンの名教師としても知られています。

日仏会館・日仏音楽協会がおくるフランス音楽の夕べ

2012年7月11日 (水) 午後 7時 日仏会館 1Fホール

櫻木枝里子

ラモー:新クラヴサン組曲より アルマンド、クラント、サラバンド

ラヴェル:夜のガスパール オンディーヌ、絞首台、スカルボ

夜船彩奈

白山智丈: 前奏曲(初演)、幻想曲(再演)

ジェラール・プーレ/金澤希伊子

ラヴェル:フォーレの名による子守唄、ハバネラの形式による小品、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ

一曲目の新クラヴサン舞曲は拍感に乏しい演奏で、舞曲としての雰囲気が感じられませんでした。この手の曲では和声に従って音の軽重をつけることがかなり重要になってきますが、軽く演奏すべき箇所に変なアクセントがついていたり、あるいはその逆だったりして、ドタドタした印象を与えました。多分専門外の曲だったのだと思いますが、残念でした。

一方で、二曲目のラヴェルは素晴らしかったです。漂うようなリズムの中、旋律が綺麗に描かれていました。

白山智丈氏が作曲した曲は、普段現代曲を聴かない私でも非常に聴きやすく楽しめました。その一方で、例えば前奏曲では左手バスが鍵盤の 12音すべてを使うようになっていたり、見えない工夫が多く凝らされているようです。白山氏は銀行員だったのに、退社して作曲を志したようで、安定した地位を捨てて音楽に打ち込めるところが凄いなと思いました。夜船さんの演奏も素晴らしかったです。

さて、休憩を挟んで後半はプーレ氏の演奏。フォーレの名による子守唄、ハバネラの形式による小品は素晴らしかったのです。ヴァイオリンとピアノのためのソナタはヴァイオリニストとピアニストの対話があまりなくて若干期待はずれでした。プーレ氏はこのことにかなり苛立たった雰囲気で、「俺の音も聞けよ」的なジェスチャーで、ピアニストの耳元で弾いたり、弓で指揮のような真似をしていましたが、ピアニストは黙々と演奏し、自分のスタイルを崩しませんでした。一方で、アンコールは涙が浮かぶほど美しい曲、美しい演奏でした。曲名を失念したのが残念。

初めて生で演奏を聴いたプーレ氏について、ボウイングが非常に軽やかであること (しかし音は軽薄ではない)、音の繋ぎ目が滑らかであること、ヴィブラートの幅が広く美しいこと・・・といった記憶が強く残りました。彼の音を一言で形容すると、「シルクの肌触りのような音」と表現できると思います。CDをいくつか購入しましたので、聴くのが楽しみです。

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